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14.寅さんは、木の実ナナの回が何度観ても泣けます。

3ヶ月間の休職期間に気をつけたこと
・睡眠のサイクルを一定にすること
・3食、なるべくきちんとしたものを食べること
・ヨガを学ぶこと
・「これからどうする」とあまり考えないこと
・無理をしない範囲で、人と会うこと

病院からもらった薬は、ひとつが半夏厚朴湯という漢方薬、ひとつはソラナックスという薬でした。ソラナックスを飲むと空間をちぎられるような急激な眠りが訪れました。最初の3日間くらいは夜寝る前にソラナックスを使いましたが、そもそも私は「眠れない」ということがほとんどないタイプということに気がつき、緊急時のみの使用にすることにしました。

「つまらない仕事で忙しすぎたら、心が壊れた」私が痛感したのはこのことでした。そのことに気がついたら「文章が書きたい、コピーが書きたい」という思いも浮かんできました。傷病手当で暮らす私に夫は、家賃は当面自分が払うと言ってくれ私は家でご飯を作ったり病院へ行ったり本を読んだりカフェでお茶をしたり「男はつらいよ」を見たりして過ごしました。発作がでるずっと前から、サイコな上司についてしまった悩みは私の心を小さく縮ませていきました「私は、嫌いな人とは良い仕事ができない。話したくないから報告が遅れるし、その人の喜ぶ顔は観たくない。その人の指示を正しいとは思えない」と思いました。そんなこと乗り越えてなんぼでしょ、仕事だよ。という人も多くいらっしゃるでしょう。でも私はそれがダメでした。

自分は、どういう人がダメなのかを考えてみました。「威圧する人、怒る人、人をバカにする人、意地悪な人」。当時私がいた会社には「ダメな人を見つけてバカにする文化」というのがはっきりとありました。そうやって自分を保たないと、いられないようなところがあったのだと思います。何か仕事を頼まれるときも「◯◯さんちょっとダメだからさ、頼むよ」という言い方をされることがありました。これはつまり、私が復帰をしたら「らにしみずさんにはプレッシャーのある仕事振れないからさ」などと言われることがありえるということでした。

私は、Sさんの部下でいたとき、自分が常に怒鳴られ、バカにされる側でした。そういう人の存在がいなくてはならないタイプの人だと分かっていても(私が離れた後は、後から入社した男の子がその役割になりました。彼もとても悩んで、結局会社にパワハラの申請をしました。彼は、子供が生まれたときSさんに「親がバカで子供がかわいそうだ」ということを言われていました。)それはきついことでした。では、Sさんと離れたあと私はハッピーだったかというと、たくさんの仕事が来ましたが、自分の仕事ぶりが認められているとは思えませんでした。私がいい人だから仕事がくるのだろうと思っていました。だからますます頑張りました。でも、何を頑張っているのかはわかりませんでした。売り上げのノルマがあるわけでもないし、実際に広告を作っているわけでもないし、外に丸投げして作ったものを自分の仕事だと言っている会社のシステムが不思議で仕方ありませんでした。また、人と人をうまく調整できること、難しい人とうまくやっていくことが仕事というのも当時は全然理解ができませんでした。

そのことを、10代の頃からの友人に愚痴ったことがあります。彼女はいいました「“代理”業だからね」と。我ながら遅いとは思いますが、その言葉にはっとしました。そうか「誰かの代わりに、何かを引き受ける」仕事なのだ。
そしてそれは、面倒なことであるにちがいない。楽しいことを代わりにやってと頼む人はいないのだから。村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」という小説に出てくる牛川のような仕事なのだ。なぜ私は、コピーライターからステップアップしていたような気持ちになっていたのだろう。「この仕事がいやだからって、またコピーライターに“下がる”のもどうなのかなあ」なんて考え方を、なぜしていたのだろう。

退職について少しずつ現実的に考え始めました。実際に動くまでここから3年くらい、だい〜ぶ悩むのですが、その間に自分の仕事に対する思いは、かなりはっきりとしました。

私はやはり、人は、苦手なことを、苦手な人と、しかも自分の時間がなくなるほど忙しくやることは続かないと思います。得意なこと、得意になるための努力が楽しいことを、安心して、信頼して話せる人と一緒にやること。平日5日間働くとしても、少なくとも2日は家で作った食事をとれること。そうでなければ、好きなことも嫌いになってしまいます。

私は、人の取材をするのが好きです。その人にしか言えないその人の経験から出る言葉を聞けることや、その人ならではの魅力を見つけて言葉で伝えることが好きです。私は、取材の場で相手の美点を褒めます。本当に感じたことだけを言います。若い頃はそれで誤解をさせ食事に誘われることなどもありましたがおばちゃんになった今ではもう大丈夫!一方、私は買い物をすることがあまり得意ではないのでモノを売るコピーが苦手です。またダジャレ的なことも苦手で、うまいことを言うコピーも上手ではありません。このマガジンの見出しを見ても分かると思いますが、ひとことで何かを言うことは上手ではありません。また、働き方で言うと、パニック障害になった経験からラッシュアワーの電車に乗ることはできません。過労で倒れるのが恐いため、毎日遅くまで会社にいなくてはならない仕事はいやです。すぐに怒る人や、仕事に夢中になりすぎて妥協ができない方と組むのは遠慮したいところがあります。さらに、デザイン面の指示はもうやりたくありません。マルチな力を期待しないでほしいと思っています。お金の交渉はもっとムリ。そして、給与はあげていきたい。

そんな希望が叶う会社、さすがにないと思いますよね。私も思いました。だから、考えながらも一旦忘れたのです。でも、実際に転職をしてから振り返ると分かります。これだけ多くの会社があって、ひとつくらい自分の条件に合致するものが出ても全然不思議じゃなかったのだと。

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