合理的な自殺はありえるのか?
自殺を2種類に分けると
・自己本位的自殺(自分のために自殺すること)
・集団本位的自殺(集団のために自殺すること)
になります。
今回の記事では、前者について書きます。
自分のために自殺する動機も、大きく分けて2つ
・人生が無意味に感じ続けるから
・欲求が解消されないことに苦痛を感じ続けるから
ちなみに後者は、アノミー的自殺とも呼ばれます。
死んだほうが良いというのは起こり得るのか?
幸福の総量から考えてみましょう。
わかりにくければ、生涯食べるカラアゲの個数と考えると良いでしょう。
死んでしまえば、カラアゲは食べれません。なので、基本的に生きていたほうが得。
周りの人に死んで欲しいと思われることはあっても、本当に死んだほうが良い状況は中々ありません(凶悪な犯罪者は死んだほうが良いのかもしれませんが、犯罪者視点は拷問でも受け続けない限り生きていたほうが絶対に良い)。
段々悪くなっていく人生でも生きていたほうが良い
時間の経過とともに人生の質がどんどん下がっていく、ヤンキーとかアグロとか呼ばれる生き方ですね。
日に日に悪くなっていく人生は想像しただけで恐ろしいですが、それでも生きていたほうが絶対に得。死ねばゼロなので、一日の幸福度が100点満点中10点だとしても、生きていたほうが懸命となります。
ゼロを下回ってる人生でも回復する可能性がある
自身の記憶を冷静に振り返ってみても
「あの時期は明らかにゼロを下回っていた、マイナスだった」
と、思う時期はあります。
正直に告白すれば、今でも「あの時に死んでおけば良かったな」と考えているのですが、グラフを見ればわかるとおりマイナスの時期に自殺をするのは明らかに損です。
もっと言えば、プラスの時期に自殺をするのは言うまでもなく損。もし実行する人がいたとすれば、かなり変わった考えを持った人でしょう。
マイナスの時期にいるうちは、「これからもどんどん悪くなっていく」と思い込んでしまいがちですが、未来のことは誰にもわかりません。
自殺したほうが良い瞬間は存在するけど、誰にもわからない
次の場合は、生きているより自殺したほうが懸命となります。
・一生マイナスの時期が続いていく
・これ以上生きると人生全体でマイナスのほうが多くなる
でも、そんなこと誰にもわからないでしょう? という話です。
「未来はどんどん悪くなっていくだろう」
この考えは、本人の思い込みにすぎません。むしろ世界全体の話で言えば、どんどん良くなっています。
人間は正しいことよりも気持ちの良さを優先する
さきほど、「むかし辛かった時期に死んで置けば良かったと、今でも思っている」と書きました。
1 直感的には、死んだほうが良かった気がする
2 しかし、論理的には、明らかに死なないほうが良い
これは感情バイアスとか、感情ヒューリスティックと呼ばれるものです。
直感的や感情的に正しいと思うけど、少し整理すれば間違っていると理解できる。自殺に限らず、いたるところで見かけますね。
人生は誰でも初心者なので、気持ちよくなりたいから自殺する可能性は大きいと言えます。
気持ちよくなりたいというのは、言い方が良くないかもしれませんが
・苦痛を避けたいから自殺をする
・気持ちよくなりたいから自殺をする
ほとんど同じ意味でしょう。
人間は自分が悪い状態であることに耐えられない
「段々悪くなっていく人生でも生きていたほうが良い」
これは真理だと思います、反論するのは難しいでしょう。
しかし実際の私たちは、日々悪くなっていく状況に耐えられません。なぜか異常に失敗した時のダメージが大きい。居心地の悪さに耐えるのが難しいのです(少なくとも私は)。おそらく大昔の本能的なものなのでしょう。
良いか悪いか、好きか嫌いか、成功か失敗か。こういった瞬間的な判断は自分の思い込みである場合が多いので、アスリートの世界では試合中にイチイチ判断しないことになっています。
イチイチ判断してしまうことを裁判グセ、などと呼んだりします。
アノミー的自殺
アノミー的自殺とは、自己本位的自殺と同じようなものです(詳しく説明すると長くなるので、ここでは同じようなものだとしておく)。
意味は、「欲望が再現なく高まると、何をしても欲求不満になり苦痛を感じ続ける」といった感じです。
例を1つ挙げましょう。
青春を題材にしたドラマや漫画は多いですよね? しかし、実際に自分が高校生になった時、期待したより楽しくなかったのでは?
「10代は人生で一番楽しく輝いている時期」これは世間の思い込みです(美少女以外で作品を売るのは難しそうだし、仕方がない)。
本当にそうならば、10代の人はみんな順調でしょう。
そもそも青春作品に出てくる大半のキャラクターは、コミュニケーション能力が高く、人の足を引っ張ったり物を盗んだりしません。
立派な人物ばかりです。
他にもクレヨンしんちゃんの野原一家は、普通の家庭ではなく理想的な家庭です。
商業作品と現実の区別を付けないと、アノミー的な苦痛を感じることになります。
理想的な人生とは上昇していく人生のこと
先程の段々悪くなっていく人生と比べた場合、どちらも大して違いがないように感じました。
正直な感想です、どちらの人生も大したことがない。段々良くなっていくといっても一般人の人生、たかが知れています。
しかし、自分の人生となると話は別。
・段々悪くなっていく人生は苦痛に満ちている
・段々良くなっていく人生は大変ながらも喜びに満ちている
簡単に書けば、こんなイメージです。
一般的に、前者を不幸、後者を幸福と呼びます。
やはり全体的な幸福の総量で見ると、両者に大きな違いはなさそうです。別に幸福量の計算はしていませんが、5倍も差がないように感じます。
・他人の幸・不幸は、ただの気分の問題
・自分の幸・不幸は、非常に重要
自然体だと上に書いた通りになるけれど、本当は逆が良いそうです。自分の感情は重視せず、相手の感情は重視する。これが正解なのだと作家の人が言っていました。
とりあえず毎日を元気に過ごすには、ほんの少しでも昨日より良くなっている証拠があれば良さそうです。
今回の記事で書いたこと
・基本的には苦痛であっても生きていたほうが良い
・合理的な自殺はあるけれどタイミングを知るのは難しい
・少しづつでも上昇していく人生が理想的な人生
誰が見ても納得するような合理的な自殺、懸命な自殺は難しいようです。
今回の記事を書いたきっかけ
今から1年前に自殺をしたらしい、だるまと呼ばれている人の遺書を知ったからです(遺書のページには自己紹介で本名が書いてある)。
個人的に非常に価値があると思うのでリンクを貼っておきますが、普通の感覚を持った人が読んだ場合、気分が暗くなると思うので注意してください。
私のように自殺自体に興味がある人以外、見ないほうが良いでしょう。相手に共感すれば、自分も死にたくなるからです。
遺書のホームページの魚拓 俺の人生
主な参考図書
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版
自殺論 (中公文庫)
新インナーゲーム (インナーシリーズ)
スキ(ハートマーク)やフォローをしていただけると、とても喜びます。