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タトゥーを入れた記憶


昨年の12月にファーストタトゥーを入れた。その前後の記憶を掘り起こして、タトゥーレポとして残したいと思う。

タトゥーを初めて目にしたのは確か小学5年生くらいの時だったと思う。
時代劇好きの祖父と時代劇を見ていた時、たまたまその日は遠山の金さんが放送されていた。
祖父に何気なく「なんであの人は桜が体に描いてあるの」と聞き、「針でチクチク刺して傷に絵の具入れとるんだ、一生消えん塗り絵だよ」と答えが返ってきた。

なぜあの時、祖父は絵の具という言葉を選んだのだろうか。
祖父の素っ気ない口調と言葉選びから、絵の具で描いた絵が体に一生染みついて消えないということを思うと、体に良くない何かしらが回って寿命が縮みそうだなとしばらくの間そう思い込んでいた。

興味を持ったのはそれからしばらく経って、高校生の頃だ。
その当時はタトゥーシールが流行っていた。フィルムにインクでタトゥーの模様が入っており、水に濡らして肌に密着させると模様が転写される、というものである。
クラスの派手な女の子たちが、時折こっそり体につけているのを見て、タトゥー=遠山の金さんのイメージが大きく変わった。タトゥーとは、同じ年頃の女の子たちが楽しむオシャレの1種なのだと。もちろんタトゥーシールなので、ほんのひと時のものではあったが。

タトゥーを入れようと心を決めたのは去年の11月だった。

その時はとにかく仕事が忙しかった。これまで全くしたことのない仕事を任され、日々を必死にこなし、文字通り息つく暇もなく動き回っていた。自分の人生が思わぬ方向に右に左に揺れ動くのを肌で感じている時期だった。
自分がやりたいことは何なのか、自分が求められていることは何なのか、このままのペースで仕事をし続けて、明日はどうなっているのか。では3ヶ月後は?1年後は?

なんだか、自分の未来が全く想像できなくなっていた。
これまでの人生は、なんとなく来年も、今までと同じような生活をして、同じように仕事をして、同じような人間関係のままでいるんだろうなと漠然に想像できていた。
だが、昨年はコロナウイルスの蔓延による時勢の大きな変化、休職、長く付き合っていた恋人との別れ、親友との離別、復職などとにかく目まぐるしく、明日何が起きても全くおかしくないのだなと、ひしひしと感じていた。
それほどまでに、わたしを取り巻く環境は激しく波打っていて、毎日があっという間に過ぎていっていた。

タトゥーを入れようと思ったのはそんな時期だった。
この先何があるかわからないし、この調子だと人生はあっという間に過ぎ、わたしは毎日歳を取る。この際好きなことをしようと。そんな理由で、タトゥースタジオに予約を入れた。

大体のスタジオは事前にデザインの打ち合わせなどに行かないといけないが、全く休みもなかったのでできるだけ家から近く、SNSでのやりとりでデザインなどの相談ができるスタジオを探して予約した。

デザイン自体はずっとこれと決めたものがあった。
細い線で描かれた赤い狼に、裸の女性のシルエットが隠されたデザイン。
確かカナダに住んでいるタトゥーアーティストが作ったデザインである。狼と女性がしなやかに息を潜めるようなデザインをひと目見たときに、すごくハッとしたことを覚えている。

その頃は、わたし自身が女であることへのコンプレックス、周りの女たちへの劣等感、尊敬、憧れ、その他持ち合わせている様々な感情で心がグチャグチャな時期であった。
なんで女に生まれたのだろうと思ったことも幾度もあったし、他の女はわたしと全く違う生き方をしているのに、なぜわたしはこんな風なのだろうだとか、とにかくそんなことをずっとメソメソと考えていた。

そんな時に、虎視淡々と目前を見据える女が狼の中に身を潜めるデザインを目にし、「こんな風にならなきゃな」と思えた。
身一つで、前を見据えて、姿勢を低くし地面を這う女。力強く、艶かしい。
画像を大事に保存して、時折眺めては、いつか入れてみたいなとずっと考えていた。
その女性の髪型がロングヘアである部分だけ修正してもらって、予約の日を待った。

予約は朝10時、スタジオ近くのコンビニで彫り師の方と待ち合わせだった。
日々の疲れで朝起きられるかとても不安であったが、緊張のため眠りは浅かった。わたしは暖かいほうじ茶とチョコレートを買って、待ち合わせ場所に向かった。

そこにいたのは浅黒い、がっしりした体型の40代くらいの男性だった。
黒いマスク、黒いジャケット、テカテカ光る固められた頭髪に少し身構えたが、腰の低さと目尻を下げて笑う姿をみて、緊張は解けた。

彫り師の方はリキさんと名乗った。
タトゥーは初めてですか、多分今日は細かい模様なので痛いと思いますが、頑張りましょう。僕も頑張ります。
そんな話をしながらスタジオへ向かった。私はというと、これからまだ会って数分の男性に、施術部である乳房を見せる羽目になるのかと冷静に考え、非日常な体験に足を突っ込みつつあることをジワジワ実感し始めていた。

スタジオはごく普通の、隅田川を臨む2Kのアパートだった。ただ違うのは、壁中にリキさんが過去に施したと思われるタトゥーの写真が飾られていることと、背もたれを自在に動かすことができる、歯医者にでもありそうな黒い革張りの大きな椅子、幾多のチューブがつながったタトゥーマシンが鎮座していることだった。

早速タトゥーのデザインを確認させてもらい、わたしはニットと肌着を脱いで、タトゥーを彫る位置を決めた。まだ暖まっていない部屋の空気はひんやりしていた。

それから、リキさんの勧めで1本タバコを吸わせてもらった。リラックスするので、遠慮なく吸いたくなったら言ってくださいね、とのことだった。
その間、リキさんはいろんな話をしてくれた。ずいぶん長い間禁煙していること。趣味のサーフィンのこと。死んでしまった愛犬のこと。大切にしているタトゥーのモチーフのこと。
今にして思うと、わたしの顔はきっと緊張でたいそう強張っていたのであろう。雑談をして、少し笑って落ち着いた頃に、「じゃあ、そろそろ始めましょうか」と促された。
わたしはキャミソールの左の肩紐をずらし、革張りの施術台に寝そべった。

手元を明るくするため、カーテンは閉ざされた。気を紛らわすために川を眺めていたかったので、それだけは残念であった。
タトゥーマシンは古いミシンのように足踏み式で、リキさんの操作で稼働していた。施術に使う針を見せてもらったが、先端は裁縫用の針の何分の1かの細さで鋭く尖り、見せてもらったことをすぐに後悔した。

リキさんが、わたしの体をグッと抑えた。急に跳ねたり、反射で動いてしまったときのためだろう。わたしも大きく息を吸い込んだ。

針が入った最初の数秒は、「あれ?こんなものなの?」くらいの感想だった。
後で知ったのだが、タトゥーは脂肪や肉の多い部分への施術では痛覚は鈍る。逆に肉が少ない骨の上は痛むそうだ。リキさんがおそらく、左胸の脂肪の多い部分から施術を始めてくれたのだろう。
細いシャープペンシルの先端でひっきりなしに皮を引っ掻かれているような、鈍い痛みがしばらく続いた。緊張で身体中に力が入りっぱなしなのがわかる。
リキさんがマシンの針先にインクをつけるためにマシンを体から離すときにひっそり息を吸い、針が体に入っている間は胸が大きく上下しないよう気をつけながら、か細く息を吐き続けた。そうするように指示されたわけではないが、そうするのが1番施術の邪魔ではないような気がしたのである。

だんだんと痛みを感じ始めた。前述の通り、脂肪が多い箇所から次第に胸骨の上への施術に移ったためである。
よりによって、1番痛みを感じる部分がデザイン上複雑で線の多い箇所だった。針が皮に食い込み、シャープペンシルで引っ掻くような痛みから、非常に細いナイフでジリジリと切り裂かれるような痛みへと変化していった。
ひたすら呼吸に集中しながら、奥歯を噛んで、痛みの波に耐え続けた。
「休憩しましょう」と声をかけられたときには、もう1時間半経っていた。

起き上がって鏡を覗き込むわたしの左胸には、狼と力強い女性が息づいていた。

まだ線の強弱が付けられていない状態ではあったが、赤と黒の繊細な線は薄い葉を太陽に透かして見る葉脈のように美しく、鮮やかにわたしの肌の上で発色していた。
子供のように声を上げて、驚いてしまった。施術している様子は1度もみないまま時間を過ごしていたので、自分の体に入ったタトゥーを見るのはこの時が初めてだった。

もう1度タバコを吸って、チョコレートをゆっくり口の中で溶かしながら一息入れた。リキさんは過去、施術中に寝入ってしまった女性客の話をしてくれたが、私にはにわかに信じられなかった。

30分ほどして、施術台に戻るよう促された。先ほど入れた線をこれからなぞり、線の太さにこれから強弱を入れる。もしかしたらさっきよりも痛いかもしれないと言われた。
実際その通りで、1度針が入った部分を再び針がなぞるのは、先ほど大して痛みを感じなかった部分でもビリビリと痺れた。

気づいたら、再び1時間半が経過していた。
終わって起き上がったときには、全身がガチガチに固まっていて、ようやく息を吸うことができたような心地になった。

「どうでしたか」
とリキさんに尋ねられ、わたしは
「多分、もうタトゥー入れないと思います。痛すぎるので」
と即答した。

先程は葉脈のように繊細だったタトゥーは、力強く存在感を増して、わたしの左胸に鎮座していた。
私がこんなふうになりたいと願った狼と女性は、私が呼吸するたびに上下に蠕動し、生きているようだった。

この体験でわたしの人生が大きく変わることもないし、わたしの性格が突然180度変わってしまうことも、多分ない。
それでもこの経験は私にとってとても大きなものであったし、タトゥーはとても大切なものとなった。

今、わたしはセカンドタトゥーを入れようか大いに悩んでいる。
次は背中の肩甲骨の間あたりがいいと思っている。模様はクラゲか、風景画か、それともジオメトリックか。暇さえあれば悩んでいる。

タトゥーを入れる前のわたしと今のわたしとでたった1つ、確実に変わったことがあるとすれば、何かとても大切な忘れたくないこと、強烈な意味を持つ何かを体に刻み込むという選択肢が、日常に入り込んだことだと言えるだろう。

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