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理想と現実の距離と仮面(1)

舞台芸術というものは、ある種の理想を、手に届くかのような空間に現して見せるものではないかと思う。人の脳内にある概念を、五感で捉えられるようなものに構成しなおすもの。例えば宝塚歌劇ならば、理想のロマンスや理想の追求の行く末としての革命。歌舞伎ならば、ミエというストップモーションで理想をビジュアルにしてとどめおく。

高尚の二乗の現場

そんなことを考えたのは、モンドパラレッロ歌劇団の公演 第4回能楽堂コラボ「桜紅葉」を観劇したからである。能舞台で、能装束をつけ、能の所作で舞い演じ、しかし、歌唱法はオペラだという。高尚の二乗である。

ライブものは大好物。誘われたら、他に予定がない限り、たとえ興味がないジャンルでも断らないことを旨としている。どこではまるかは、体験してみなければわからない。これまでの短くはない人生で何度も実感してきた。宝塚にはまったのだって、初観劇から四半世紀以上経過して、あるとき興味本位でライブビューイングを見に行って、贔屓が退団してしまっても抜け出せないところまでどっぷりと浸かってしまった身の上である。

歌舞伎と宝塚歌劇団は日常的に摂取しているわたし。であるので、今回お誘いいただいて好奇心がむくむくと湧き上がるも、お能を観たことは一度もない。オペラは3大テノール来日の『カルメン』を30年以上前に一度観たきり、それ以外には映像ですら観たことない。果たしてそんなわたしが楽しめるのか…と多少の不安を禁じ得ない。しかも午前中には、日比谷公園の新酒解禁イベントでワインをひっかけている。居眠りなんて粗相をやらかしてはお誘いくださった方にも恥をかかせてしまう、という緊張感をも抱えて梅若能楽堂会館へ向かったのだが、杞憂に終わった。
(それなら飲むな、というセルフツッコミをしたいところですが、眠くならない程度までセーブしたことは言い訳として書いておきます。)

第一関門を突破

まず、演目がわかりやすかった。
第一部の『桜紅葉見物』には、新作オペレッタブル狂言『指切り』との副題がついている。『三枚起請』『明烏』『五人廻し』といった落語の廓話をヒントにした新作狂言だという。コミカルなストーリーなので、視覚だけでも話が把握できるし、しぐさを観ているだけでおもしろい。
しかも、事前に「プログラムにストーリーと歌詞の解説があるので、開演前に読んでおくとわかりやすい」とのアドバイスを得ていたので、それだけで第一関門突破というわけだ。客席からも朗らかな笑いが起きていて、楽しい演目だった。

ちなみに、観客全員に配布されたプログラムは、かなり詳細に解説されており、開演5分前に読み切るのは、老眼には不可能というボリューム。早めに客席についておいてよかったです。

ギャップ萌えにとらわれる

それにしても、衣装の華麗さには目を見張った。おっそろしく庶民的かつ無教養な感覚で述べると、
「こんなに豪華絢爛な衣装でコメディーやっちゃっていいの?」

いやいや、わかってる。歌舞伎だって落語だって、舞台上の方々がお召しになっている着物は素晴らしいお品だということは、ようっくわかってる。だから的外れな感想なのもわかってる。
だけど、能舞台に上がる衣装は、わたしが勝手に頭の中で思い描いていた「まじめにやらなきゃいけない衣装」だったんです。そんなわけで歌唱も(オペラの演目によってはコメディ的なシーンも多いと頭ではわかっていたのに)
「え、イタリア語のオペラ歌唱で、ここのシーンで歌っちゃうの?」
という、これまた無知丸出しの感想を持ってしまった。

が、これこそギャップ萌えである。それが良いのである。

検索しまくり

なんだか長くなってきたので、2回に分けることにする。

ところで今、わたしは、能の公演を検索しまくっている。
「できるだけ初心者向けの演目、できれば解説付きのイベントだとありがたい」と思いながら。先日の観劇体験以来、伝統的な形式の能楽も見てみたいと、興味が沸きまくってしまったのだ。

しかし、どうやら年内には観られなさげである。世の中にこんなに能楽の公演があり、チケットが早々にソールドアウトになってしまっていることも、初心者向けの解説付きの公演があることも、ちっとも知らなんだ。いかに自分が無知であるかをここでも思い知らされた。
来年早々には、「ついに観たぞ!」と報告できると良いのだが…。

では、「桜紅葉」第二部については(2)にて。



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