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職員室デジタライゼーション〜関 数男の悲劇④〜

 莫大な量の紙資料を作成し、実質20分も早く始めざるを得ない職員会議。更に、修正案を後日、作成・配付することが常態化している。その状況に困惑している数男を更なる恐怖と混乱が襲った。

 「教育計画、○ページをご覧ください。」次の議題は、毎月の生活目標について生徒指導主任からの提案である。

 「なん、だと…。」数男は、内心で毒づいた。開始前に苦心して作成した資料とは、別に分厚いリングファイル(教育計画)まで、参考にする。確かに、学年主任である明子から「教育計画を忘れないでね。」と声をかけられていたが、まさか、職員会議でそのまま使うとは思わなかった。
 確かに、生活目標のような様々な教育活動の基盤となるようなものについては、分担や日程などの詳細は不要かもしれない。しかし、だからといって、共通理解をすることなく1年間を送ることはできないような議題もある。そのような議題については、教育計画に示された原案を下手にいじるよりも、そのまま共通理解した方がよい。
 しかし、会議資料と教育計画を行ったりきたりする状況では、職員の行動指針が曖昧になってしまう恐れがある。指針として信用すべき根拠がなくなるのだ。

 あくまでも組織として学校を捉えるならば、達成すべき目標は、学習指導要領に示された目標を自校化した「教育目標」である。そして、その達成のための各種計画をまとめたものが「教育計画」となる。更に、教育計画に基づいて実際の教育活動を行うための「行事計画」がある。

 学校現場は、PDCAサイクルというフレームワークこそ全てという風潮があり、とにかく「P(Plan=計画)」の作成に重きを置く。ところが、表計算小学校の現状は、一つの活動に対して複数のPを生み出しかねない。
 更に、「教育計画にあるのか?」それとも「会議資料で示されたのか?」ということが曖昧になってしまう仕組みが蔓延していたのである。

 議題が進むごとに、教育計画を見たり、会議資料を参考にしたりしていく中で、数男は、この学校において何を指針にしたら良いかが全くわからなくなってしまった。

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