知り合いと社長と。


 勤め先の、社長が言った

「キミ。個人の主義だから、干渉したくないんだけどさ?」
「はい?」

 なんのことだろう。わたしは訝る気持ちを隔し、笑顔で応じた。

「大人として、社会人として、常識的な付き合いってあるよね。そこんとこキミ。軽く考えてない?」
「なんのことでしょう」

 まだわからない。社長との付き合いは浅いが長い。わたしが入社する前からの知り合いで、絵画教室の同期にあたる。うまがあったのだろう。生徒同士の飲み会をきっかけに、教室以外でも遊ぶようになった。失業したわたしが、彼女の経営する会社に誘われたのは、そんな流れの帰結だ。運がよかった。入社したてのころは、そう案じたのだが。

「黙ってようかと思ってたんだけど。うちの親。入院したよね? キミも、お見舞いにきてくれたよね?」
「ええ」

 社長の母親が足骨折して入院した。先週のことだ。社員はそれぞれ、お見舞いに駆けつけた。わたしも見舞いの品を片手に、入院先の病院へ行った。それがどうかしたのか。話の方向がまだ見えない。

「お見舞いにきてくれたことは、ありがたいよ。わざわざ、電車代って出費をして、土産までもってきてくれて」
「水羊羹ですね。暑い日だったので喉を通りやすいようにと。お気に入りです」

 1つ220円。それを8個。1860円プラス税。わたしの資金力では精一杯の見栄。正直痛かった。毎月のやり繰りはギリギリなので、こういう予定外の出費は、財布にこたえる。

「あれって、コンビニスイーツだよね? 会社上司の身内に対して、ずいぶん、ぞんざいな扱いなんじゃない?」

 ”友人”であったときのこの人と、社長のこの人は別人だと気づいたのは、入社すぐだった。絵画教室とは違う顔。会社を預かる責任者だから、普段とは違うのは当然。それは覚悟していたのだが。
 思い描いていたよりも、”つきあい””常識””身内びいき”への比重がことのほか高かく、面喰うことも多かった。

「ほかの社員は、いつも常識的だったよ。きちんと包んだ菓子折りを携えてきてくれた。だから私としても、社会人として企業として、大人のつきあいがてきたし、していくことができる。でもキミは」

 そういうことか。コンビニ買いがお気に召さなかった、と。
 言われてみれば、わたしは軽くみていた部分がある。相手が古くからの知り合いの母親ということで、友人の身内を見舞う感覚で接した。
 だが、彼女にとっては違う。自分は社長で、目の前にいるわたしは社員。社員が社長の母親を見舞うのだから、しかるべきもてなしをするべきであると。
 具体的には、知られた名店で購入した丁寧な包装の逸品を持参。それが常識である。

「今後は、キミへの待遇も考慮しなきゃだね」
「わたしにとって、安い買い物じゃなかったんですよ。いろいろ考えて選んだのに。そんなことって」
「最初に言ったよ。個人の主義には干渉しないって。キミはキミの考え。私には私の考えがある。キミの主義が、社会の主義と違ってる。それだけのことだね」

 話は終わりとばかりに、彼女は背を向けてしまった。
 入社からすでに3年が経過してるが、いまだ社長との距離感がつかめないでいる。

 翌日、辞表を提出した。

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