見出し画像

知らなかったとはいえ・・・

●2022年の反省

 およそ1年前、北京冬季五輪代表に決まったスキー選手に家族の反応を聞きたく「お父さんと話したか」と質問した。「してないですね」。だったか、そっけない答えが返ってきた。五輪代表になったことで父を超えられたかどうかはわからないがやれるだけやってみるといったコメントをつけ足してくれたような気がするが、想像していた、期待していたものとは随分違った。空振りしたと強く感じた。

 この日の会見より遡ること約1ヶ月、シーズン初めのこと。スキーを始めたきっかけ、目標とする選手などを聞いた際に「父親」と答えていたのも聞いていた。萩原健司でも、河野孝典でも、渡部暁斗でもなく「お父さんなんだ」とメモをとった。彼の父親は私と同じ大学の出身でかつて北野建設に所属していた。スキー取材に携わり始めたばかりの頃に強化選手に選ばれていたこともあり、駆け出しの私は選手カードを作って記録付けをしていた。記憶や古い記録を辿りその人のことを思い描いた。日本が五輪や世界選手権で金メダルを獲得した黄金時代、目指して届かなかった舞台に進んだ息子について父親となって、どんなことを語ったのだろかと。

 オンライン、リモートでの質問。「話したか」ではなく「報告したか」と聞けばまだよかったのかもしれない。オンライン会見の数日後、WEB上に上がっていた長野県・地元紙の記事だったか、山本直鋭さんがすでに他界していることを読んだ。知らなかった。

 2月、北京五輪で日本のノルディックコンバイド陣はチーム戦で銅メダルを獲得した。北海道関係中心に担当していた私だが、この試合は日本の活躍を強く念じて画面越しに見守った。解説は阿部雅司さんだった。素晴らしい戦いを見せてくれた。みな感涙を流した。

 さらに10ヶ月以上がたった今月(2022年12月)。テレビ東京のスポーツニュースで山本涼太選手の特集を放送していた。父親の最期について打ち明けていた。遺した言葉も。同時に受け止めきれていないとも明かしていた。知らなかった。

 2008年頃だったか。マラソン選手にインタビューしたときのこと。お子さんが生まれたことを聞き知っていたので、家族の存在について質問したことがあった。それまで表情豊かに愛想よく答えてくれていた、その選手は顔色を変えた。「私はあなたの私生活に踏み込もうとは思わない。だからあなたも私の私生活に踏み込まないでほしい」と厳しい表情で質問に答えない理由を説明した。

 他人(ひと)の人生を、勝手な妄想でストーリーをつくりあげてはいけない。当たり前のことだ。何度も失敗して、反省してきたはずなのに。人に話を聞くのは難しい。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?