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「正しい願い」で自分を変える。それしかできないし、それをやるしかない。

2018年はヨガスタジオの授業で、難しい上級のクラスに挑戦をしていました。

初級レベルに比べて、かなりハード。でも、グニャグニャですごいことができている人たちはかっこいいし、ああなりたい!

そんな思いで最初は挑戦していました。

ですが・・

ペーペーで弱っちくて、へなちょこでダサい自分がいけないのに、ムキになって、死ぬ気で挑戦しては、グダグダ言って、クラスが終わって、ヘナヘナになり、できなかった自分にイライラしたり、周りの人に八つ当たりもしていました。

初級者にしては、死ぬ気で食らいついていたし、それはよかったのだけれど、八つ当たりやイライラは、ダメだろう。

今振り返ると、正直かなりダサい。かっこ悪い。でも、当時は、「難しいこと、大変なことに、耐えまくって死ぬ気で頑張る俺エライ!」って自慢したかっただけなのかもしれない。

それは、「頑張ること」自体が目的だったし、「耐えること」が美徳になっていたし、それを周りの人に責任転嫁して逃げていた幼稚さでもあったのだろうと思います。

そうして頑張っていた結果、燃え尽きて挫折しました。かなりの期間、上級クラスから離れていました。

自業自得。

トラウマになって、上級クラスのヨガを休んだり、逃げて回っていたりもしました。その間、初級レベルをもう一回やり直したり、知らない人に混じって、こっそり一緒にやってみたり。

ヨガの本を読み直したり。ヨガ哲学を実践してみたり。ヨガから離れたところで、ヨガの考え方にも出会いました。

そうして一個一個積み重ね直して、ちょっとずつ、ちょっとずつ、体力を戻し、基礎を固めて、いろんな場所でいろんな人に教えてもらい直し、年が明けた今週、上級クラスに再びリベンジ。

完璧ではないし、周りの人に比べてへなちょこだけれど、休んでいた前よりも、かなり面白く感じれた自分がいました。

アーサナ(ポーズ)も、ちょこっとだけうまくなったり。

そして、何より、できててもできてなくても、周りの人と比べっこしてテンパったりしなくなった自分にも(ちょぴっとだけ)出会えました。

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醜い、ダサい自分の中に、もしかしたら、自閉症スペクトラムに由来する部分はあったのかもしれない。

でも、なんだか障害のせいにする気にもなれなくて、自分が幼くて、未熟でかっこ悪い、っていうほうが正しい気がしています。

悔しい、悔しい、でも怖いって思いながら、でも「変わりたい」って願って、行動を起こしたり、練習をイチからやり直したり。

赤ちゃんみたいに小さな一歩を積み重

ねて、やっとリベンジを果たせたことが意味はとても嬉しい。

「自分は頑張ってすごいんだぞ!」って認めさせたいっていう「間違った願い」じゃなくて、「変わりたい、変わらなきゃ」っていう「正しい願い」に変えれたことが、大きなターニングポイントだった気もします。

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ヨガの世界では、自分の内側の深いところから出る願いを「サンカルパ」というのだそうで。

表面的な「◯◯がしたい」「◯◯がほしい」っていうものじゃなくて、自分の内側を深く見て、「俺は◯◯がしたい」って願うこと。

ただでさえ、人と自分を比べっこして、すぐに落ち込み、凹み、パニックを起こす自分には、もしかするとすごいことを目指す以上に、「比べっこせずに自分に集中する」「正しい決意を願うこと」ことが一番必要だったのかもしれない。

そうして、「正しい願い」をもって、自分を変えていくしか、やれることがないのかもな、やるしかないのかもな、それしかできないのかもな。と思った夜でした。

写真は、今日の夜の月。ヨガの授業が終わった帰り道にとりました。

スーパームーンは終わったけど、自分にとっては見ごたえのある、気づきを得た日に見た、特別な月でした。