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少年が大声を出して泣く訳は?

姉夫婦と私たち、久しぶりに4人で食事をしながら、話題が孫のことに及んだ。

「蓮がね、よく泣くのよ、今度、合宿があるんだけど、母親が一緒に行かないと分かって、友だちの前で大泣きしたみたいよ。家では拗ねて口も利かないらしいの」

姉が箸を置き、手振りを交えて話をしだした。蓮は長女の息子だ。

「でも、蓮はスポーツ万能だよ。県の優秀選手に選ばれたし、ラグビーの試合でもよく点を取る。体は小さいけど、身が引き締まって、走るのは誰にも負けないよ」

義兄は嬉しそうな表情で、すかさず孫を庇った。

「そうなんだ、赤ちゃんの時から大変だったのに、蓮は運動が得意なんだね」と、私は興味が湧き、相槌を打った。

蓮は小学校の5年生。幼い頃に食物アレルギーがあることが分かった。牛乳や卵を誤って口に入れると呼吸困難になり命に関わる。家族や親戚は彼の健康を気遣った。母親はいつも特別に作った弁当を持たせ、息子の世話をしていると私は聞いていた。

「蓮にとっては、母親は命の綱で、少しでも離れると不安なのよ。本人も幼いころから病気が怖かったと思うよ。スポーツをするのは、体を丈夫にして、強くなりたい一心なのよ。」

姉の話では、母親がたまにPTAの会合で夜に外出する際も、蓮は泣いて家の玄関で帰りを待つという。運動の合宿で3日間も母親と別れることは、彼としては受け入れ難いのだろう。ちなみに、後で知ったことだが、合宿に父親は同伴したとのこと。

健気な蓮の話を聞きながら、自分も小学校の5年生頃まで、よく泣いたことがあることを思い出した。

私は3人兄弟の末っ子で、兄と姉とは10歳ぐらい年が離れていた。
小学生の頃、兄たちは九州の田舎から出て東京の大学に進学したので、私は家で一人っ子のような生活をしていた。

彼らが休みで家に戻ってくると、私は話し相手ができ嬉しかった。都会や大学生活の話は新鮮で、それを私は知ったかぶりで友人に話をし、少しませた気分になれた。そして、よく外にも遊びに連れて行ってもらった。

しかし、休みが終わりに近づき、兄たちの帰る日が食卓で話題になる頃から私の調子はおかしくなった。次第に無口になり、帰らせまいと抵抗し、そして、出発の日に、幼い私は恥も外聞もなく大泣きをして、彼らを困らせた。

当時の私には、兄たちと別れることは、楽しい世界が崩落するような感覚だったと思う。
満ち足りた時間がなくなる悔しさもあり、ただ涙が溢れ出ていた。

もう一つ、理由もあったろうか、我が家はコリアンの家だった。私はそのことを友だちに言えずにいた。唯一兄たちには、胸の内を明かすことができ、気持ちが救われたと思う。泣いたのは、家に相談相手がいなくなる寂しさもあったに違いない。

「いつまで、蓮の泣き虫は続くかしらね」と嘆息交じりで言う姉に、私は「あと数年じゃないかな」と返事をした。

私の泣き虫は中学校に入る頃には直った。すでに兄は就職をして、姉は早くに結婚をした。彼らが年に何度か帰省した後、それぞれの家に戻ることがあっても、私が泣くことはなかった。少し大人になり自分の世界ができ、物事を冷静に見る余裕ができたのだと思う。

今の蓮は、母親に守られた安全な世界に必死でくらいついているに違いない。自分でもコントロールができずに涙が出て来るのだと思う。やがて、泣くことが少し恥ずかしくなり、母親と距離を置き、自分という自覚が芽生える時が来るはずだ。

少年が大泣きする姿は不憫だが、本人は真剣そのものなので、周りから見ると可笑しくもある。蓮が笑って、自分がよく泣いたという話ができるのはどのくらい先になるだろうか。

しばらくは楽しみに彼の成長を見守りたい。

(2022年8月30日 脱稿)

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