見出し画像

読書会、青谷さんぽフェス、はであし崩壊と日記

10.8 気流の鳴る音読書会 第九回

本を読むというのは一つの川に飛び込んでみるようなもので、その川を流れながら時に綺麗な石を見つけて持ち帰ったり、珍しい魚と出会ったりする。その体験が楽しいから色んな川に飛び込む。川の全容を隅から隅まで把握しようというつもりがあまりない。全容は掴めなくとも、川で拾った石(言葉)がその後もずっと自分を生かしてくれたりする。
何度飛び込んでもその度に新しい景色を見せてくれる川がある。『気流の鳴る音』という名前の川だ(川じゃなくて本だろ。)この本の表紙にはインドかどこかの幅の広い川の写真が使われている。そのせいもあって、この本を読む時には他の本以上に、川に飛び込み、流されていくようなイメージで読む。
カルロス・カスタネダというアメリカの文化人類学者がドン・ファンというシャーマンに弟子入りした顛末を記した本があって、それは「呪術師ドン・ファン・シリーズ」と呼ばれている。その本を真木悠介が解説していくという、解説とエッセイと詩で構成された本が『気流の鳴る音』だ。呪術師であるドン・ファンが生きている世界と、現代人であるカスタネダが生きている世界がある。簡潔に言うとそれは「近代以前の世界」と「近代以降の世界」だ。ドン・ファンはシャーマンとしての自分が見たり聴いたりしている世界の姿を、ペヨーテや様々な儀式を用いてカスタネダにも体験させる。その世界では現代社会では「あり得ない」とされている様々な現象が起こる。現代の価値観では非科学的で信用に足らない幻覚や幻聴の類だとして片付けられてしまうかもしれない。だけど僕は、シャーマンが体感している世界の話しを読んでいる時、凄く呼吸がラクになる。水が合うと感じる。近代以降に生まれた自分の中にある、近代以前から変わらぬカタチを保った自分の心が喜んでいるように感じる。
物事を細分化し、ひとつひとつの物質の原理を知ることが科学なのだろう。現代社会の根底にも、あれとこれとを分けて、理解を深めていくという科学的な考え方がベースにある。その行き着いた果てにあり、現代社会においてはベーシックな価値観になっているのが、所有できるはずのない海や土地を切り分けて、ひとつひとつの区画を金と交換し所有するという考え方だ。文化の語源は諸説あるが、現代文化を形成する土台にあるのは「分化」なのではないかという気もする。表裏一体となっているものを表と裏に切り分ける。渾然一体となっているものをひとつひとつ切断して分類する。その為の理論、ルールの構築。それが近代以降の世界で為されたことだ。そのルールは権力の側から、政治の側から、物事にシールを貼るように定められてきた。そしてそのシールはいつも「正しさ」を纏っている。
そのことを僕は言葉ではなく、理論ではなく、なんとなくの体感として感じてきた。つまり、現代社会に対して窮屈さや違和感を感じて生きてきたのだ。『気流の鳴る音』を読む時、シールが貼られてしまう前の世界の匂いを感じる。その匂いが心に元気を与えてくれる。土地とそこに暮らす人が個別に切り離せない存在として一体化している世界、私がコヨーテでありコヨーテが私である世界。その未分化の世界に「本当」を感じる。
こうした感覚、見出そうとする希望を語ると、もしかしたら「はいはい、ニューエイジね。それはもう終わったよ。」と思う人もいるかもしれない。コミューンを築いたヒッピーや、共同体を築いた団体、宗教組織。色々な指摘や懸念があるだろう。大小様々な問題も起きた。だけど、それでもここにはまだ見るべきものが多くある。それどころか、ますます増していると感じる。それで汽水空港では「気流の鳴る音読書会」をしている。今の時代、その意義があると僕は思う。
今日は編集者のアサノタカオさんをゲストに迎えた。アサノさんはこの春に真木悠介さんの詩を中心に編集した『うつくしい道をしずかに歩く』という本を編み出版した。この本の帯には「気流の鳴る音のその先へ」と記してある。読書会ではOさんがその言葉の意図を尋ねてくれた。

と、ここまで書いて、この調子でいくと、この日の日記が凄まじく長くなってしまうのでこの先は読書会に参加した人々の内で留めておくことにする。

アサノタカオさんにとっての真木悠介、山尾三省の存在のでかさから始まり、その後のブラジルフィールドワーク、本の無い世界と本のある世界との行き来、そうした濃い内容のお話しをしてくれました。アサノさん、ありがとうございます。

今この日記は11日に書いている。読書会の後は店番通常営業をした。この日、他に何があったかは早くも忘れてしまった。

10.9 青谷さんぽフェス

隣り町の青谷で、町全体を会場にしたイベントが開催されて汽水空港も出店した。湯梨浜に暮らして10年以上経つというのに、これまで青谷の町を歩いたことが無かった。立ち寄ることもほぼ無かった。
青谷さんぽフェスは町に点在する幾つかの空き地や公園、神社を会場にしていて、各会場に出店者やDJやミュージシャンがいる。目当ての店やライブを目指して、訪れた人は青谷中を歩いて回る。僕も店番をアキナとスイッチしながら、みちくんと共に町を歩いた。桜並木の川沿いの道は気持ちよく、漁師の多いこのエリアには歩道から川まで降りる階段があって、階段の先には小さな漁船が幾つも停泊している。川の先には海が広がっていて、風が吹き抜けるような開放感がある。海の逆サイドには山があり、その山を背景にした汽車が1日の内に何度も通過していた。その様子が「The 良い田舎の景色」だった。列車大好き人間のみちくんは汽車が来る度喜んでいた。
町を流れる小さな水路には大量のカニがいて、カニのことも大好きなみちくんは逃げるカニを追いかけ続けた。
イベント終了後、あまりにも青谷さんぽが楽しかったから家族3人で引き続き散歩をすることにした。気持ちの良い川沿いを通って海へ出た後、ずっと気になっていた9号線沿いの神社へ探検し、謎にウルトラマンの人形と地蔵がセットで置いてある石碑を見て笑いながら歩いた。そしてずっと行きたかったドーナツハウスでお茶した。
本当に良い町だと思った。あんまり青谷をウロウロすることなかったけど、これから散歩目当てに遊びに行きたい。
あと、イベントはライブも素晴らしかった。汽水空港が出店していた会場でのライブは全部大当たり。ラッキーな場所だった。山だくんありがとう。トリのロボ宙さんは本も買ってくれた。本を手渡しながら、13年前にイベント会場で同じように僕は店番しながらロボ宙さんと会ったのを思い出していた。当時の僕はボランティアスタッフをしていた農業学校の売り子で、ピーナッツを販売していた。ロボ宙さんは何度もピーナッツを買ってくれた。「ピーナッツむっちゃ好きなんだなあ」と当時思った笑 という話しをイベント後に伝えることもできた笑
一通り青谷を堪能した夕方、駅を見たみちくんは「カンカンカン、カンカンカン」と言って汽車の通過まで駅前で待機せよとリクエストしてきた。しばらくフェンス越しに待つこと数分、到着した列車に熱烈な視線を注ぐみちひと坊や。発車まで見届けたいようで、駅から離れることを許してくれない。しかし待てども待てどもなかなか発車しない。もどかしくなって駅のホームに回り、間近で眺めていたらアキナが「きみたちは汽車で帰ったら?私は車で帰るから後で合流しよう。」という天才みたいなワクワクアイデアを提案してきたので即採用。僕とみちくんは米子行きの汽車に乗り込んだ。
「汽車に乗って帰ろう。よし乗るぞ!」と言うと嬉し過ぎてケタケタ笑っていたみちくんは、いざ汽車の中に入るとなんの動きも見せず、ただただ上品に座席に座っていた。どうしたんだろうとしばらく観察していて気付いた。みちくんは全身の五感を通じて列車を感じることに必死なのだった。口を半開きにして、目は向かいの窓から見える風景を見ることに集中し、耳はレールを通過するガタンゴトンという音に向けられている。座席から感じる振動に身体を委ねて、その感覚を味わっている。無反応なのではなく、反応し過ぎて動かなかったのだと気付いた。そして倉吉駅に着くまで微動だにしなかったみちくんは、改札を出てようやく「あーたんは?(母ちゃんは?)」と我に帰った。

夜、「東郷湖に浮かぶサウナつくろうぜ計画」の為に建築家らとZoom会議。むっちゃ面白いことになりそうな予感。

10.10 はであしやり直しと悟空

朝、モーニングファーマーのライングループを見たアキナが絶望の声をあげた。苦労してつくったはであしが見事に倒れている様子が流されていた。昨晩から降り続けた大雨で田んぼにはまた水たまりが出来ている。やることは他にも色々あるが、最優先ではであし直しにかからなければいけなくなった。
再び竹切り、はであしづくりを1からやり直し。「やり直すってマジめんどい。何も楽しくない。」とみーなっつもフカPも嘆く。当然このおれも嘆く。とってもとても、かなり超めんどくさい。しかし僕らはがんばって、めんどくささに打ち勝ち、りょーじあみこも合流し、どうにかこうにか前より頑丈なはであしをつくり稲わらも干せた。
僕は15:30で田んぼを切り上げてあとはみんなに任せて店番へ。シャワー浴びたかったけど浴びる間もなく、汗だくのまま店に到着。アキナはこれからみちくんを連れて実家へ帰る。財布を無くしたり色々バタバタだった。
夕方、真太郎さん、監督が来て、閉店後に中華料理屋の悟空へ向かう。大大大好き悟空。わいわいセットを注文してしばらくすると、大魔王ワクサカソウヘイ一派が到着。会うのは春以来。元気そうでよかった。ワクサカソウヘイはずーーーっと喋ってた。ちゃんとご飯食べたのかな。
みんなの近況を聞くと、誰とも示し合わせてないのにみんな目立たないなんらかのメディアで日記を書き始めていることを知って爆笑。Uさんの日記アカウントを探して、そのフォロワーメンバーを見てさらに爆笑した。いつもの顔ぶれしかフォロワーがいない。なんか、みんな色んな滞りを流したいんだろうな。そのメディアがツイッターではなくなって、各地に散った。いつもの顔ぶれは、滞りを流す手段としてみんな日記をチョイスしてるのがたまらなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?