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長野小布施町滞在記

9月8日の夕方に小布施町に到着。岐阜へ入った辺りから長野までずっと風景がなんだか気持ちいい。それは山々の木の植生の豊かさが醸し出しているものだろうと思う。様々な草木、広葉樹が青空の光を受け止めている様子が本当に爽やかだった。
過疎化は中国地方から始まったと言われている。仕事を求めて都市部へ移り住む人々が増えたのと時期を同じくして、中国地方では杉の苗木の植林が推奨されたらしい。苗ひとつ植える毎にもらえる補助金があったらしく、皆して植林後に故郷を出ていった。中国山地の今の風景はそうした歴史の後に形成されたものだ。杉や竹が密になっている山々。僕はそうした山を「これはどうしたらいいんだろうな」と見る度に思う。だからこそ『みんなでつくる中国山地』や「全日本棍棒協会」(棍棒飛ばし全国大会には今年行けないけど。申し訳ない!)の活動の意義と重要さを感じる。
どの辺りかは把握してないが、松本の辺りから長野市エリアを遠くに見ると、やたらと空が広くダイナミックに感じられ始める。鳥取だってどこだって空の広さは変わらないはずなのに。何故だろうと思いながら車を走らせるうち、それは山がつくりだす高低差のコントラストのせいだろうと気付いた。目の前に圧倒的にでかい山々がある。その山々の緑が空を讃えるように両手を目一杯あげて光を気持ちよく浴びているように見える。「空よ、インスタ映えせよ~」と山々が空を讃えている。僕にはそんなふうに見えた。山の緑は空の青さや雲の白さを際立たせる。その空がまるで海のようだった。僕は海のそばにしか暮らせないと今まで思っていたけど、長野へ来て空が海の代わりになることもあると知った。この空があるなら山にも住める。というより、「青くてでっかいどこまでも広がる何か」が生活の中で見えさえすれば良いんだろうなと気付いたのだった。
そんなことを思いながら小布施町へ着いた。町の建築物は漆喰壁の日本家屋が多く残り、歴史を感じさせる。ゲストハウスに荷物を置いて、今回僕を呼んでくれた本屋「スワロー亭」までテクテクと歩いて向かう。噂に聞いていた通り、栗のお菓子がこの町の名産品で美味しいモンブランが食べれそうなカフェが幾つもある。チェーン店のような店は全然無く、個人店がたくさんある。後で聞いたが、小布施町は町として働きかけている訳ではないがチェーン店が進出してこないのだという。町の規模と人口が絶妙で、チェーン店の商圏に入らず、個人店が存続するのにちょうど良い規模。感覚の鋭い人は小布施の辺りはパワースポットというらしいが、それも頷けた。何か気持ちの良い空気に守られている。
スワロー亭は植物園かのような気持ちいい庭園を持つミュージアムの向かいにあった。中へ入ると中島さんが出迎えてくれた。本当に上品で柔らかな御方。今回の旅で本当に良くして頂きました。
店主の中島さんはライターで、パートナーでもう一人の店主、奥田さんはデザイナー。二人で幾らでも本がつくれるコンビだ。店内をぐるーっと見て、古本と新品のバランスの良さを感じる。謎のカレー祭りも開催中だった。選書のチョイスも幅広くて、町にあったら嬉しい本屋。しかし僕は、本よりも奥田さんが自作しているオリジナルひょうたん楽器が見たくてたまらず、全然棚に集中できなかった。ではそろそろ…と、ひょうたん楽器を見せてもらうように頼むと、次から次に愉快な楽器が出てきた。

奥田名人によるオリジナルひょうたん楽器

アフリカやインド、オーストラリアの楽器をモデルに自作された楽器はそれぞれに異なる音色を出す。ディジュリドゥもあった。弦楽器を弾く奥田さんの姿を見て、この時以来ずっと心の中で「陽水さん(井上陽水)」と呼んでいる。庭では今実りつつあるひょうたんも栽培中だった。今回の目的は講演会とトークへの出演がメインだけど、裏テーマにはひょうたんを売ってもらうことと種を分けてもらうことがあった。奥田さんは使っていない大きなプレーンのひょうたんを譲ってくれた。僕はこれで鳥の巣をつくってみようと思う。種ももらったので、来年からは栽培もする。そして種を継いでいきたい。もらった種をずっと種採りして、どこかのタイミングで「スワロー」というひょうたんの品種とかつくれたら最高だろうな。
ひょうたんは元々アフリカの植物で、人類と共にあった。人類が最初に栽培した植物らしい。器や水筒として重宝されてきた歴史がある。それでかどうか分からないが、カタチや色にどこか懐かしさを覚える。太古の記憶を湛えた植物。来年からどんどん栽培しようと思う。

夜は次の日の講演会「あなたの困りごとなんですか」

↑このイベントの打ち合わせをした。打ち合わせ場所はスワロー亭から歩いて15分ほどの場所にあるご飯やさん。名前は忘れてしまったけど最高だった。メニューが夜空の星の数ほど品数あって、毎日行っても身体の調子がおかしくならなそうな店。中島さんと奥田さんは小布施に来た当初は毎晩食べにきてたそう。こういう店が徒歩圏内にあって、晩ごはんを食べられる日常って最高だろうなと思った。
久々に心置きなくお酒を飲んだ。なにを話したのか。打ち合わせは程々に、後はUFOの話しばっかりしていたような気がする。
あと、この日は「妖怪夜話」というイベントが町中で開催されていた。小布施町には明治の文化人、高井鴻山記念館があり、今は「妖怪画展」が開催中とのことで、それに関連付けて記念館内部に超巨大お化け屋敷が作られていた。小学生たちがキャーキャー言いながらお化け屋敷ではしゃいでいる。庭園に組まれたステージでは中学生たちがこの日の為に練習したっぽいダンスをお披露目していた。スワロー夫婦は「おお、若者がたくさんいる!」と嬉しそうだった。夏の終わりの最後の祭りという雰囲気。こんな町で育ったらいいだろうなと思う。
酔いを覚ましてゲストハウスに戻り、翌日の為にパワーポイントをつくって眠った。

翌朝。公民館へ着いて、昨夜つくったパワポを見ながら脳内でぶつぶつ呟きながら予行演習をする。人前で話すのは何度やっても慣れない。会話というのはあいづちがあって、返ってくる言葉がある。一方的に話すというのは難しくて、大体話してる途中に何を話しているのか忘れてしまう。脱線し過ぎないように、後で話しとけばよかったと思い出して後悔しないように念入りにぶつぶつ呟く。
1時間は一人でトーク、休憩を挟んでその後の2時間は集まった人々と「whole crisis catalogをつくる」をする。来てくれた方々のおかげでとても良い時間になったように思う。参加者には町長もいたし、町議会議員の方もいた。農家をしている方や長野市から来てくれた若い人もいた。後に小布施町内を歩きながらスワロー夫婦が色んなことを教えてくれたけど、小布施町という町は既に自治が為されている。こうしたイベントに町民、町長、議員が来ているというのがなによりの証拠だと思った。自治が為されている町で「whole crisis catalogをつくる」というイベントをするとどうなふうになるかを体験させてもらったようなものだ。今回の記録はまたみんなでつくるとのことだった。

イベントを終え、安堵感と共に信州そばを食べ、小学校のすぐ隣にある図書館「まちとしょテラソ」を見学した。図書館オブ・ザ・イヤーを受賞したらしいその図書館は空間に広がりがあって明るく、遊び心も感じられた。キッズスペースもむちゃくちゃ快適そうだった。そして向かい側にはどこかから移築されてきたという立派な音楽堂があり、町民は数百円で使えるとのことだった。奥田さんも以前音楽堂を会場にしてイベントを企画したらしい。小学校の通学路に文化的なスペースが開放されている。夢のようだ。
町中は畑と住宅が混在するようなつくりで、木々や作物と家々が美しく調和している。朝歩いていても本当に気持ちがいい町だ。小布施の観光資源は暮らしそのものだという方向で町民は動いているらしい。全体的な方向を定める時、そのエネルギーが歪だと堅苦しい「統制」として人を窮屈にさせる。小布施の場合は「調和」になっている。僕はそんなふうに感じた。

その後はずっと行ってみたかった本屋NABOへスワロー夫婦の車で向かった。NABOはどこかの森の中にあるものだと思いこんでいたけど町中にあって、こぢんまりとしてはいるが快適な小さな庭がついていた。その庭が森の中のような雰囲気をつくっている。NABOも新品、古本が混ぜこぜになっていた。カフェスペースと本屋スペースが広々していて最高の空間。NABOには置けない古本は同じ通りにある別館に50円均一で販売している。物凄く刺激を受けた。カフェのテーブルには塗り絵が用意されていて「今から近所の子が塗り絵しに来るんです」と言っていたらその子がきた。こんな本屋があったら暮らすのが楽しいだろうな。
NABOを後にして、長野市内の朝陽館に行った。朝陽館は150年間の歴史を持つ老舗で、2年前に内装を全て一新した本屋。ここの店主の荻原さんがこれまでに全く出会ったことのないパワーに満ちた人で僕は終始圧倒された。婿養子として朝陽館の跡を引き継ぐことになった荻原さん。事業を一旦閉業し、新たに生まれ変わらせたとのことで、むちゃくちゃ綺麗な内装は全て資金をセーブする為に自分で施工している。僕も、僕の周りもセルフビルドしている人はたくさんいるけど、荻原さんの施工は手作り感を一切感じさせない程クオリティが高かった。元々建築現場で働いていた人なのかと思って話しを聞くと、ほぼ初めてだという。図面をイラレで精巧につくり、事務手続きと図面作成の合間にyoutubeで工事の仕方を学び、ほぼぶっつけ本番で内装や棚を製作していったらしい。モルタルを塗ったカウンターテーブルも綺麗に仕上げていて「これも初めてなんですか?」と聞くと「いや練習しましたよ。隅っこの部分で。」と萩原さんは言う。それって練習無しも同然じゃないですかとまた愕然とした。電気配線も全て自分でしたらしい。内装がパーフェクト過ぎて訪れる人はほぼ萩原さんが自分で施工したのだと信じてくれないらしい。そうだろうなと思う。この人は一体これまでどんな生き方をしてきたのか。本屋をやることになったのは4年前。それ以前は牛飼いをしたり、コンサル業をしたり会社員をしたりと色んなことをしていたということを後日「吾輩は本屋である」の中で聞かせてもらった。

吾輩は本屋である

朝陽館には約10000冊の新刊があり、その選書も萩原さんがしている。その幅の広さと奥行きにも終始圧倒された。現代社会で生きていく能力が十分にある人というのは、思想だとか哲学をそんなに必要としないのではないかという偏見を僕は持っている。能力が高い人は現代の経済システムをひとつのゲームとして勝ち上がることに熱中しがちだという偏見だ。萩原さんには能力のとてつもない高さを感じると同時に、奥行きのある思想や哲学も感じた。萩原さんは店内を見て「自分にもできるかも」と訪れる人に感じてもらえたらと言っていたが、僕は「自分にできるかどうかはともかく、人間にはこんなにも可能性が秘められている」と受け取った。ひとつの店、人を見て人類の可能性を思うなんて初めての経験だった。トークイベント「吾輩は本屋である」の中でも、イベント後の打ち上げでも色々な話しを聞かせてもらった。僕は「本屋の帝王になってください」と伝えた。本当に帝王になって欲しい。

翌日、小布施を後にして帰り道にはずっと訪れてみたかった諏訪エリアの「ReBuilding Center」へ立ち寄った。リビセンは解体や施工も担い、建築現場で出る廃材や什器、道具を「レスキュー」して店内で販売している。工房とカフェが併設された大きな店舗は人の集う場所として町に存在しているようだった。こんな場所は県にひとつ必要だと思ったし、鳥取で顔の思い浮かぶ建築周りの人、古道具屋、古本屋、空き家対策をがんばる地域おこし協力隊の人や自宅の改装をがんばっている友人などの存在だけでも規模は違えど小さなリビセンをつくることはできるだろうなと思った。
諏訪を後にする直前、高台に登って諏訪湖を一望すると出雲山展望台から見下ろす東郷湖にそっくりだった。

今回の旅では人や店にも刺激を受けたけど、それと同じかそれ以上に土地と人が織りなしてきた歴史が持つ力を感じた。岐阜や長野の山々の植生、町の木々を眺めて、様々な植物がただそこにあるというだけで人を元気づけるということに気付いた。それと同時に、普段自分が見ている、竹が密になってどうしようもない裏山や、秋になっても紅葉しない、杉ばかりの山陰道から眺める山々に毎日軽い絶望を覚えていることにも改めて気付いてしまった。大規模な植林と、その後の放置によって、連綿と続いてきたであろう山と人との関わりが一度リセットされてしまった後の世界が中国地方なのだということを痛感してしまった。これを今からどうにかする金や元気がこの地方にあるのだろうか。山と人との関わりがリセットされることなく紡がれてきた歴史の土台、そのうえで営まれる暮らしの気持ちよさと希望を目の当たりにした。
鳥取へ帰ったら、まずは家の周りや畑に南方を感じさせる草木を植えようと思った。岐阜も長野も別に南方ではないが、様々な植物が青々と生えている様子に僕は南方を感じた。そして凄く元気になった。草木が人にもたらす元気をまずは自分から受け取っていこう。帰り道に運転しながら「南方風景ディストリビューション」という会社名も思いついた。その会社の事業は南方を感じさせる草木の苗を育てたり売ったり植えたりすることと、南方を感じさせる屋台や什器の製作や販売をすること。鳥取の一部でそうした風景を繁茂させていくつもりだ。

スワロー亭の中島さん、奥田さん、出会ってくれた方々、どうもありがとうございました。また長野へ遊びにいきます。

日誌も再開しまーす!


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