見出し画像

賀正

あけましておめでとうございます。
生粋です。

生意気にも正月休みということで更新をサボっておりました。

まだ三が日くらいの気分で読んでいただけると嬉しいです。

地球が一周しただけなのに、なぜかバタバタしたり旨いものが食べられたりする年末年始。

今回はそんなお話。

クリスマスが終わった途端に世間は年末ムード。嫉妬の対象になっていたイルミネーションはおしゃれな街灯に成り下がる。

洗脳から恋人たちを救う革命家だった私も一般市民に戻る。恥ずかしがってなかなか姿を見せてくれない自室の床をあらわにする作業に取り掛かった。

俗に大掃除といわれるやつである。

とりあえず収納スペースを開けるために、戸棚から何からぜんぶひっくり返してみた。

この時点で始まる前の倍くらい散らかっている。物を出したのだから当然だ。

この作業で疲れたのでこの日は終了。
道のりは長い。床がまるきりなくなったので廊下で寝た。

翌日、仕事に行く父親に蹴り起こされた。
邪魔だよこのやろう。とさわやかな挨拶で起こされたこの日はやる気に満ち溢れていた。

ゴミ袋を携えて、物を減らす作業から始める。

これは要る、これも要る、これはそのうち使いそう、これは全然いらないけど思い出があるのでとっとく…

物が存在するのには理由がある。
唯一要らないものといえばライターの在庫170本くらいだ。使うわけないだろ。邪魔だし。

仕方がないので読まない漫画をまとめて売りに行った。コンテナ2つ分の漫画を台車に載せて、ブックオフまで歩く。

あと昔やっていたデュエマも売りに行った。
スペースとかは全然とってないけど、金になると思った。

300冊くらい売った漫画は二束三文、全部合わせてもグレンモルトより安かった。グレンモルトが2000円くらいになったので、パチンコを打って帰った。当然負けた。

これからパチンコを始める人に忠告しておくが、パチンコを打つには3万は持っておいたほうがいい。

競馬にすりゃあよかったな。などと考えながら家路につく。貯金に回そうなんて頭はない。

帰ってくると部屋がとっ散らかっていた。
空き巣でも入ったか。取るもんないのに。

この日も部屋が片付くことなく1日を終えた。
現状維持ならまだしも、大掃除を始める前より散らかっているのだから話にならない。
世界は残酷だ。

翌日も年末なのに仕事をしている父親に蹴り起こされた。どこでも寝れるで定評のある私だが、みんなと同じ人間だ。しかもうちはまだ暖房をつけていない。

体は痛いし末端は冷え切っている。
今日も廊下で寝ることになれば生命が危ぶまれる。命の危険を感じた私は、今日こそ布団で寝るんだと決意を固めた。

次の瞬間には卒アルを読んでいた。
知らない人の土地に秘密基地を作っていた小学生時代を思い出す。まだ私が1日3食食べて、ひげが生えていなかった頃の話だ。

この秘密基地というのがわりとしっかりしたやつで、台風に2回耐えた。でかい木の柱に太い針金を渡して、ダンボールを引っ掛けた物だった。武将がつけていたような鎧をイメージしてもらえればわかりやすい。

壁は段ボール、天井はゴミ袋、床はエロ本で出来ていた。

思えばこれが私の性の目覚めである。齢9歳の出来事であった。

紙魚がたかり、しけってカビたエロ漫画は今では思い出すだけでちんちんが萎むような代物だったが、当時の生粋には十分刺激的だった。

ただこの時はエロ本は読んで終わりのものだと思っていた。読むたびに膨らむイチモツとエロスの因果関係に気づくのはまだ少し先のことであった。

イチモツで思い出したが、私は幼稚園に通いながら包茎治療を受けていた。

正月からそんなことを思い出すなと言われそうだ。そういう人は4行くらい読み飛ばしてほしい。すぐ大掃除の話に戻るつもりだ。

父は仕事が忙しかったため、育児はほとんど母親が行っていた。長男である私を育てる上でわからないことが多々あったそうだ。

ある日の母は私の巾着みたいなイチモツを前に頭を抱えていた。

「こんなちんちん、みたことない!」

ネットで調べるとかは手軽にできなかった時代だ。母は私のイチモツが形成不全なのではないかと悩んでいた。

私は小児科に連れて行かれた。私のイチモツは至って正常であった。しかし今でもたまに世話になるおばさん先生の粋な計らいで、私の包茎治療は始まった。

こんなのを読んでくれている女性が存在するかは不明だが、一応説明しておく。

男児たるもの、生まれた時は皆等しく包茎だ。
将来的に男の娘になるやつだろうが、ニューハーフになるやつだろうが、しみけんだろうが包茎だ。

そしてほとんどの人が12歳から15歳くらいで皮がむけていき、よくみるイチモツとなるわけだ。包茎治療というのはその時期を過ぎても包茎で、それを気にしている人がやるやつだ。
幼稚園児がやるようなもんではない。

小児科に通って、先生が皮をむき、中に怪しいクリームを塗ってもらうというのが私の包茎治療だった。

もしかしたら性の目覚めはここだったかもしれない。

そんなわけで小学校に入る頃には私のイチモツは完成していた。

長くなってしまった。何の話だったか。
好きなエロ漫画家の話か。のり吾郎先生だ。
AV派と漫画派で別れるが私は中立だ。

AVの方が場所を取らなくていいという理由でAVに傾倒していた時期もあったが、

そうだ片付けの話か。まあなんやかんやあって部屋は片付いた。

そんでもってお菓子とかがいっぱい出てきた。
たぶんパチンコ屋でもらってきたやつだ。
どれも消費期限を著しく過ぎていた。

私はこう見えてボランティアだの環境保護だのに関心がある。食べ物を無駄にするわけにはいかない。

スナック菓子、とくに煎餅なんかは食えたもんじゃなかった。菓子の部分より水分の方が多かった。食べたけど。

おそらく除湿機として機能していたそれらを平らげたあと、私の前に大きな壁が立ち塞がった。

やたらでかいペヤングである。これは部活を辞める時に愛しの後輩たちからもらった物だ。

先述の通り物持ちのいい私は、これがもったいなくて食べられなかった。そのまま2年間飾っておいたのである。

もらった花とかもドライフラワーにして飾ってある。作り方がよくわからなかったので枯れ草に成り果ててはいるが。

お手紙なんかは財布に入っている。その財布を何度無くしたかはわからないが。

量が多過ぎて普通に食べても腹を壊しそうなそれを、さらに2年の熟成期間を経て頂いた。
思い出の味がした。あんまりにも思い出が濃かったもんで胃もたれした。

翌日はトイレで過ごした。心当たりが多過ぎて考える気にもならなかった。後輩の名誉のためにも、ペヤングでないことを祈るばかりである。

部屋についで胃腸もきれいさっぱりお掃除した私は祖母宅へ向かった。

おせちの準備は私の仕事である。祖母のレシピで作る松前漬けはべらぼうにうまい。私はこれのことをおせちと呼んでいる。

昆布とイカを切り続けて腱鞘炎になった頃、祖母はその他全ての料理を作り終えていた。私が遅いのではない。祖母が早すぎるのだ。

この日は大晦日である。地元の神社に初詣に行くため、一度帰宅した。

そんなに信心深いタイプではないが、初詣は日が変わったタイミングで欠かさず行っている。

行ったからどうということも無いだろうが、行かなかったらちょっと嫌なことがありそうな気がする。

毎年楽しみにしている甘酒はのど飴に代わっていた。コロナ対策だとか。

とくに願い事も思いつかなかったので、去年のお礼と、来年は甘酒にしてくださいと願っておいた。

友人から声をかけられ、山中湖まで日の出を見に行った。クソ寒かった。

日の出の時に鳥が飛んでいた。希望的観測で言うと、あれは鷹だ。リーチ。初夢SP。ナスを持ってなかったことをひどく後悔した。

太陽は背後から昇っている。

翌日という表現が正しいのかわからないが、元旦当日。大寝坊をかました。

祖母宅についたのは3時過ぎ。おせちはあらかたなくなっており、kgの単位で作った松前漬けだけが残っていた。

松前漬けのことをおせちと呼んでいると言ったが、あれは嘘だ。漬物が主役なわけないだろ。

私だって刺身とか食べたかった。

とはいえ流石に自業自得だ。仕方がない。

お節が残っているかという問題の他に、もう一つ懸念事項があった。元旦から寝坊をかました私が、親戚の集まりにノコノコ行って歓迎されるのかということだ。

考えた末、正月ムードでごまかすという作戦に出た。

努めて明るく、でかい声で挨拶をしながら玄関を開けた。否、開けようとした矢先に外で一服していた叔父に止められた。

ちょっと酒買いに行こうよ、といわれコンビニに向かう途中で両親がかなり怒っていることを告げられた。

ちょうど足りなくなった酒を手土産に、反省の色を見せつつ入場することを勧められた。

これがなかったらかなり危なかった。
プランAで行っていたら、おせちの一品に加えられるところだった。

なんとか侵入を果たしたところで、従姉妹2人が絡みついてきた。

「おとしだまちょうだ〜〜い❤︎」

メスガキがッ、わからせてやるッッ…!

大人の財力をわからせてやろうとしたが2千円しか持っていなかった。1000円ずつ渡して不服そうな顔をされた。

そんな顔しないでくれ。
もう帰りの交通費もないよ。

そんな感じで私の正月は終わった。

このまま初打ち編も書きたいが、長くなったので一度締める。

飽きたでしょみんな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?