俺とカボチャと二コラ・ピンナ~あの秋の天皇賞
二日酔いの頭痛に起こされた俺がテレビを付けるとディズニーランドのコマーシャルがやっていた。
喉の奥から出てくるレモンと酸化防止剤か香料の混ざったようななんとも言えないものを、煙草と買い置きの缶コーヒーで流し込みながらそれを眺める。
そうか。もうハロウィーンパレードの季節になったんだな。
思えばイベントごとってやつが年々増えてきた気がする。
ガキの頃なんか夏休み冬休みに正月、クリスマス、それとゴールデンウィークってくらいだったはずだが、今じゃあ色々あるもんだぜ。
ハロウィーンってやつもいつからこんなにこの国に馴染んできたんだ?
まだ鼻水垂れ流しのガキだった時分にアメリカンスクールに通っていた近所の韓国人の子がお菓子をたくさんくれた思い出があるが、俺にとってはあれが一番最初だろうか。
「これどうしたの?」って聞いた俺に、ハロウィーンでもらったんだと教えてくれたのが確か平成の頭くらい。
だが今でも俺がこの成り立ちもよくわかってねえイベントの時期になると思い出すのはお前のことだよ。それは遠い昔の記憶。戻らない過去の話。
あの時、あれだけパレードに行きたがってたお前を結局そこに連れていってやれなかったこと、今でも俺は悔やんでいるんだ。
あの頃の俺は何から何まで言い訳ばかり。
人混みが嫌いだからとか、遊園地はこどもが行くもんだろとか、デートのひとつもろくにしてやれない。そんな街のチンピラだった。
一丁前にセックスだけはするくせによ、終わったら終わったで眠いだなんだって理由をつけて、お洒落なレストランにも連れて行ってやれなかった。
明日のことなんか誰にもわかりゃあしないのによ、そのうちお前を幸せにしてやれればいいいなんて軽く考えていたのだと思う。
でもお前もお前だぜ?
病気の事、ずっと俺に隠してたじゃねえかよ。
あれは2011年。
恋だの愛だのなんて言う以前に、俺は何かに追い詰められているかのように生き急いでいた。とにかく金が欲しかった。
人に言えたもんじゃないシノギはしていたが、別にそこまで金回りが悪かったって訳でもない。
だがいくら入っても右から左、びっくりするくらいの雨が降っても路肩の排水溝にそれが吸い込まれて行くように、財布の中身がパンパンなのも束の間の話で、自慢の時計も質屋と左の手首を行ったり来たり。
安心したかったんだろうな。自分の蓄えのゼロの桁を増やすことで、自分に安心したかったんだ。
何もない俺だけど、これだけあればもう大丈夫だって、そう思いたかったんだろう。
競馬でも下級条件によくいるだろ?前半はやけに威勢よく飛ばして終いに垂れちまう逃げ馬。それがあの頃の俺。
お前は交通安全運動の標語みたいに「そんなに急いでどこいくの?」なんてよく俺に言っていた。
そんなお前の言葉を遮るように俺は切った張ったの毎日で、それでもお前はいつも俺の隣にいてくれた。
いや、お前の名義のアパートだったから、俺がお前の隣にいたって言う方が正しいか。
金に忙しい俺を気遣ってなのか、たまに飯でも食いに行くかと聞いてもリクエストはサイゼリアだったお前。
サイゼリアのエスカルゴが世界で一番好きなんて言っていたけれど、あれが遠慮して言っていたのか本音だったのかは今でもわからない。
オイルをパンにひたして美味しそうに食べていたのは事実だが、本当にあんなもんが一番のご馳走なのかよ?
なあ、俺も最近はボチボチ安定してきてよ、三ツ星レストランやら予約の取れない寿司屋やら行ってるんだよ。それを自慢げにSNSにアップしたりしちまっているんだ。
あの頃のお前が見たらどう思うかな?
もしこの俺が、あの頃みたいに何かに焦った暮らしをしていなくて、ちゃんと自分名義のマンションに住んでいてよ、それでポケットに何十万か入っていたらお前はどこに連れて行ってほしかったんだ?
あの年の10月は何から何まで調子がよくて、俺は毎日上機嫌。
「たまにはどこか出かけるか」なんて話になって、お前が久しぶりに俺にせがんで来たのがディズニーランドだった。
俺達は出かけるっつってもドン・キホーテと新宿WINS、競馬帰りに飯っつっても南口の光麺だったし俺もさすがに悪いと思っていたもんだから、すぐ日取りを決めようって話になったんだ。
最終日に行こうって話になって、それが10月の31日。
前日には天皇賞秋があるから、ディズニーはまず置いておいて、そこでタコみてえに勝ったら高いホテルでも泊まろうぜとか、勝つ前提でじゃあ何泊するかなんて話までしていた記憶がある。
枠順が出て一緒に直前の会見を見ていたらお前が興味を示したのがトーセンジョーダンに騎乗する二コラ・ピンナだった。
歯並びが昔の自分にそっくりだとのことだった。
なるほど確かにピンナは出っ歯気味。それが昔歯列矯正をする前の自分にそっくりだったみたいで、当時はコンプレックスから口を開いて笑うこともしなかったって話を聞かされた。
笑い上戸な女だっただけに、ガキの頃どうやって我慢していたのか不思議だよな。
「馬鹿じゃねえの?歯茎が出ていても出ていなくてもお前はお前だろ?」
そんな風に言い捨てた俺に、女の子の気持ちがわかってないだのなんだのって突っかかってきたのもいい思い出だぜ。
馬券も知らねえ女なんて単純なもんで、あいつはそれだけでトーセンジョーダンを本命だなんて言って、しまいには馬の形もいいだとか知った風な口まで聞いてきたんだ。
俺は二着続きだったとしても最強牝馬ブエナビスタが連覇と信じてここからの馬単。毎日王冠が強かったダークシャドウと前年が強かったペルーサ、それと女の義理もあってトーセンジョーダンを一応入れるような馬券にしようと考えていた。
土曜日に前売りで馬券を買って、南口の回転寿司でも行こうぜなんて話していたのが木曜日の夜。
翌日俺がちょっとしたデリバリーの仕事で昼過ぎに出かけて、帰ってきたらお前はソファーで動かなくなっていた。
キッチンには中身がくり抜かれたカボチャ。ハロウィーンの準備でもしていたんだろう。
あとでわかった死因は遺伝性不整脈による心室細動っていうやつ。
葬式で聞いたら向こうの親族はそれで何人か亡くなっていたそうで、あいつのお母さんは「昔はぽっくり病って呼んだのよ?おかしな名前でしょ?」なんて笑った後に、やっぱり崩れ落ちるように泣いていた。
「俺がもっと気を付けていたら死ななかったかもしれないですよね」
そう言った俺に、仕方ないことだからあなたのせいじゃないと言って作り笑顔をしてくれたあいつのお母さんは少し歯茎が出ていた。
あいつはこれがコンプレックスで歯を矯正したんだなと考えていたら、まだ出会ってもいない頃のお前の色んな表情が頭の中に入ってきて涙が止まらなくなったよ。
家に帰ってもうしばらく着ることもなさそうなコンビニで買ったワイシャツとネクタイをゴミ箱に捨てた俺は、静寂に耐え切れずにテレビを付けた。
すると西武が日本ハムに勝ってパリーグCSのファイナルステージに進出したニュースの次に、トーセンジョーダンが破格のレコードで勝ったという映像が流れてきたんだ。
お前がシルポートの作ったハイペースの中での消耗戦を読み切っていたはずもないが、当たる時なんて大体そんなものなのだろう。
馬上で立ち上がった二コラ・ピンナのガッツポーズを見て、俺は静かにテレビを消した。
もし俺があの時家にいたら、考えたこともねえけどお前の家に除細動器でも置いていたらとか考えると後悔ばかりだったけど、時間ってやつは不思議なもので、最近はこの時期にでもならないとお前のことを思い出すことも減ってきたかもしれないな。
大体ぽっくり病とか言われたところでよ、じゃあお前もそれを先に言っておいてくれよ。
私はもしかしたらいきなり死んじゃうかもしれないから大事にしてねとか、出かけられる時に出かけておこうよとか。
俺はお前がずっと隣にいると思っていたから、あとで幸せにすればいいと思ってたから。そうやって自分を正当化する屑なんだからよ、お前だってそれくらいわかって俺と暮らしてたんだろ?先に言ってほしかったぜ。
そんな言い訳ばかりを今でもこうして文字にしている俺だけど、今こうしてまたハロウィーンの時期になるとやっぱりお前の写真を引っ張り出して眺めているよ。
そしてまた天皇賞が始まる。
お前はどうだ?元気にしていてくれるといいな。
「リーくんなんて地獄行きだね」
悪さばっかりしていた俺を茶化すようにそう言っていたお前は天国で笑えているのかよ?
俺は今でも泣いたり笑ったりだぜ。
良いことと嫌なことはバカラの罫線みたいにかわりばんこにやってくるものだしな。
貸した金は返ってこねえし、昔の連れも一人二人とこの街から消えていく。
体の調子だっていまいち良くねえし、陰惨なニュースは今日もテレビの中を駆け巡っている。
だけど下を向いて始められることなんて靴紐を結ぶくらいしかねえだろ?
笑えない世の中だけど、それすらも笑い飛ばしてしまえばいい。
◎ユーキャンスマイル
あの頃のお前の笑顔に捧ぐ。
俺にゼニなんか投げるならコンビニの募金箱に突っ込んでおけ。 ただしnoteのフォローとスキ連打くらいはしておくように。