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金の事を考えていたら眠れなくなって朝五時でイライラするぜ。

金があれば好きな物を買える。

もしかしたら夢も買えるかもしれないし、女も買える。最近なんかは買えない女の方が珍しいくらいだもんな。

信用も買えるかもな。

いや違うか、信用されているのは突き詰めると金だ。

誰もが信じている金をたくさん持っているからという理由でよくわからないけど信用出来る人だという空気を纏えるだけだ。

時間は買えるのか?

その短縮には使えるか。マックまで歩いてフィレオフィッシュを買いに行かなくても、いくらか払えば届けてくれるしな。

若さも幹細胞やらを注射するなりしていくらかましになるんだろ?買えるみたいなもんなのかよ。

後は何かあるかな。

金、金、金。

金で何が出来るのかを考えている。

人助けも出来るのか。

クレジットカードの利用金額を確認すると、この金額であれが助かる井戸がいくつ作れるって書いてある。

金って何なんだろうな。

色々出来ることはわかるけれど、どうしてこうまでして増やしたくなるのか。

ゼロの数がひとつ、ふたつってよ。

増えれば増えるだけなんだか嬉しいもんな。

それに札は良い匂いがする。

どこかの誰かがちんぽこしごいた手でベタベタ触ったかもしれない紙切れなのによ、なんだかインクの香りが心地好いんだ。

円、ドル、ユーロにビットコイン。

何でもいいけど文字にするとただの記号みてえなもんなのによ。

俺達の脳味噌はそいつらに支配されちまっている。

記号と数字に支配されている。

魂を売るやつもたくさんいる。バーゲンセールかってくらいにな。

最近は自分の人間としての尊厳が、紙切れよりも軽いってやつがたくさんいるよ。

喜んで靴の裏まで舐めるようなやつ、同情を引いたり胡麻を擂ったりなんかは当たり前って時代だ。

まあ媚びを売ってゼニをもらうなんてのは水商売だと当たり前か。

だがそれにしてもなんだよな。

どうして金がこんなにも偉くなっているのか。その疑問が俺の中で日増しに大きくなってくる。

金が全くないって人、それでも楽しそうに生きている人、そういう連中と接する事が増えてきて余計にそう思うんだ。

しかしまあ若いうちはなかなか難しいか。

良い格好して良い女でも抱きたいもんな。友達に高い時計に車も自慢してやりたいしな。

自分が死ぬ時の事を意識するようになると、驚くほどに金はどうでもよくなる。

あの世には持っていけないんだぜ。

魂に何を刻むか。目で見て手で触れて、愛したり裏切られたり。その記憶だけが最後のお土産だろう。

そんな事を考えながらも来週の日経平均が気になったり明日の馬券でいくら勝つかなんかを夢見ている。

金、そいつに心までが支配されている。

金がなかったらどうするか。

俺はそれでも楽しく生きる自信はあるかな。

路上でもドヤでもいいし、誰にも読まれなくても詩や絵でも書いてたまにワンカップでも飲むよ。

金がないと出来ない事はやれなくなるな。

だけどそれは金があるからやりたいと思うだけなのかもしれない。

もし、俺に全てがなくなった時に。

金を作ってまでやりたい事があるのか?

あればあるなりにやりたい事はあるけれど、ないのに作ってまでやりたい事、叶えたい事。

そういうのを夢とでも言うのだろうか。

しかし金がないと叶わないそいつを夢と呼んでもいいのかどうか。

自分の価値を示す基準が金、そんな人生は寂しいよな。

抱いた女の数、友達の人数、人脈とやらにそれと何だ?

数字と金に支配されていないか?

俺は気付いている。

そいつに支配されているという事を。

どうやったらそいつから解き放たれるのか。

そんな事を考えていたら朝の五時だよ。

答えなんか出やしなかった。

無駄な時間を過ごしたせいで、俺の昼夜逆転はまた進んだかもしれない。

おやすみ。

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