インパクトを再考する-ウォッシュによる弊害とは何なのか
こんなツイートを発端に、インパクト業界の方による議論が活発化しています。
前提、様々な意見が飛び交うことで、多くの人のインパクト投資についての知識や考えが深まるのは喜ばしいことです。
そして幸いにも、この意見表明により日テレのご担当者様へのインタビューが実現しました。
実際にお話を伺う中で、日テレがインパクト志向であり、課題解決を目的に投資活動を行っていることや、インパクト市場自体の拡大を共に目指す仲間であることも強く感じました。
その上で、私自身もインパクト投資の実践者として、本記事は特定の会社や人物を攻撃することもインパクト投資への参入を阻むことも望んでおらず、これを材料とした建設的な議論と、学習の促進となることを目的としています。
またこの記事の作成にあたり、インパクト業界のこれまでの様々な知見や、今回の議論を発端とした様々な記事を参考にさせていただいております。皆様、深いインサイトのご提供をありがとうございます。
まず初めに、今回の件について「インパクト投資かどうか」「課題があるかどうか」が論点になり、「インパクト投資である」や「もっと丁寧な説明が必要」など、割とそりゃそうだ、みたいな結論ではあるのですが、私が問題提起したいのは「ウォッシュがどのような弊害をもたらすのか」を考えることです。
ただ、それを語るためには「インパクト投資かどうか」「課題があるかどうか」も一応通っていかなきゃいけない話ではあるので、本記事では、以下の論点を順番に取り扱っていきます。
前提:インパクト投資はなんなのか
まず「そもそもインパクト投資はなんのために存在するのか」から考えたいと思います。
SIIFが発行している『日本におけるインパクト投資の現状と課題2021年度調査報告書』のp25にはインパクト投資がどのような背景から生まれたのか簡潔にまとめられていますが、要約すると
などを挙げています。
これらの背景があった上で「パブリックセクターやソーシャルセクターと金融分野とが、異なる規律、価値基準のもとでまわっていることに対する問題意識が生じることは自然であったといえよう。前者はインパクト創出を追求し、後者は財務的リターンを追い求めている。この二つの価値基準両方を、一つの金融取引のなかで統合することができないか-財務的リターンをもたらしながら環境的・社会的効用を実現できないか-それを実現する投資手法にインパクト投資という呼称が与えられたのである」と述べています。
つまり、深刻な社会問題に対して流れるリソースの多様化を狙う「社会課題解決側」と、金融に付加価値化や倫理性を求める「投資側」が合流した結果、現在でいうインパクト投資という形になっていったということになります。
論点1インパクト投資かどうか
さて、その上で、今回の日テレのインパクト投資は「インパクト投資」だったのか、という論点です。
結論から言うと私は「インパクト投資の手法を活用しているためインパクト投資と呼ぶことは自由だが、社会的・環境的インパクトを生み出す投資であるとは断言できない」という判断になりました。
ここでは、インパクト投資と言うために必要十分条件である①インパクト投資の手順に則っているのか②対象としている課題は何なのか、という二つの議論について考えたいと思います。
まず①についてです。
金融庁が公開している『インパクト投資(インパクトファイナンス)に関する基本的指針』に則ると、インパクト投資と呼ぶことに疑義はありません。
この方の解説記事が詳しく分かりやすいためぜひご参照ください→【インパクト投資】その投資は「インパクト投資」ですか?
ただ、②について考えるにあたり、GSG Impact JAPAN(人々や地球によりよい影響を与えるインパクト投資/インパクト・エコノミーを推進するグローバルなネットワーク組織の日本支部)やGIIN(インパクト投資の拡大と成果向上を目的として2009年に設立された組織)といった金融庁の基本的指針が参考情報として活用した海外のオーソリティの定義についても確認しておく必要があるかと思いますので以下に引用します。
またGIIN同記事内では、インパクト投資たらしめる要素についても言及されています。(中村要約・日本語訳)
また内閣府が公開する『参考:インパクト投資の定義と特徴』にて言及されているOECDの定義によると、
とあります。
今回の件に照らし合わせて私が「インパクト投資の手法を活用しているためインパクト投資と呼ぶことは自由だが、社会的・環境的インパクトを生み出す投資であるとは断言できない」と主張するのは
①インパクト投資の手順に則っているのか
②対象としている課題は何なのか=世界が抱える最も差し迫った社会的・環境的課題なのか。対象とする受益者はリスクを抱えた人々であるのか。
について、①は今回はクリアしており、②がどうかという判断は、開示材料のみではできないためです。
そのため、私としてはこの論争や疑惑が巻き起こらないためには日テレ側はより何を社会課題と捉え、この投資により具体的に社会のどの部分が良くなるのかをより丁寧に開示すべきだったのだろうな、と感じます。
それについてはKIBOW松井さんが「インパクトデューデリジェンス」について触れられているのでご参照ください→日テレの”インパクト投資”について(建設的に)思うこと
②については開示情報が不十分なうちは、私たちが知らないだけで深い課題があるのかもしれない、とも言えますが、ただそれだと、インパクト投資って主張すればなんでもアリ、になっちゃうので、私は②に踏み込んで議論をしたいと思います。
論点2社会課題解決かどうか
対象としている課題は世界が抱える最も差し迫った社会的・環境的課題なのか、対象とする受益者はリスクを抱えた人々であるのかを考えたときに、
五十嵐さんのnote『「インパクト投資」論争の本質』では、以下のように述べられています。
記事全体を拝読すると、利益や効率性を追求する行為だけでなく倫理観や美意識に基づいた行動(価値合理的行為)を踏まえた上での判断がインパクト投資にとって重要であると主張されています。
個人的には五十嵐さんの意見に完全同意で、痛みがあることを無視した結果、人を傷つけることは避けたいです。一方で、これもまた判断が難しいと感じています。
「あまり痛みを知らないからインパクトだと認知できない」とすると、例えば「爆儲けしてるヘッジファンドのマネージャーが評価が下がるのを恐れて睡眠時間を削りながら資料を作っている問題」も「想像すればそこに痛みがある」となります。
ヘッジファンド会社が「私たちはファンドマネージャーの待遇の悪さを社会課題として捉えており、マネージャーの教育ツールに投資をして、マネージャーがどれだけ昇給できたかを計測します。その結果、大型のディールを取り扱うマネージャーは昇給しやすいということが分かったので、大企業のディールのみを扱えるマネージャーを育てることで社会課題解決になります」と言っていた時に、痛みの存在=インパクトの介在価値とすると「その痛みを過小評価してはいけない、それも社会課題と言えるので、素晴らしいインパクト投資ですね」となると思います。
痛みを軽視してはいけない、というのは重要な視点である一方で、この主観によって課題かどうかの判断する手法をインパクト投資に当てはめた時に、全ての課題は関係者が主張する限り社会課題と認めなくては倫理に反する可能性がある=冒頭のインパクト投資が生まれた背景にもなった「深刻な社会問題に対して流れるリソースの多様化を狙う『社会課題解決側』と、金融に付加価値化や倫理性を求める『投資側』」の合流は意味を持たなくなってしまいます。
そのため、talikiはあえて社会課題を定義しています。
それは「社会課題とは、経済合理性もしくは文化的・生物学的マジョリティによって形成された合理性によって生じた、社会的・経済的・物理的な不条理や暴力や破壊かつ、従来の合理性の中では解決できなかったもの」ということです。
これでもまだ主観を完全に排除できているわけではないのですが、ファンドマネージャーの痛みは経済合理性の中でシステムチェンジを起こさずとも解決できる課題であれば「社会課題」ではないし、途上国の劣悪な労働環境にいる方の痛みは経済合理性の中では解決されないため「社会課題」となります。
もう少し噛み砕いた記事はこちら:「全てのビジネスは社会課題解決」は本当か?社会課題解決の定義を考える
(※五十嵐さんをはじめとするKIBOWさんは、「それは本当に社会課題なのか」という問いを大変シビアに捉え「ディープイシューとして判断できたものに投資をする」という方針を持たれています。今回のnoteは課題かどうかの判断に躍起になって痛みを軽視している可能性に対して反省を促す意図で投稿されたものと推察します)
さて、その上で日テレが今回出資した企業の課題は社会課題解決だったのでしょうか。
これについて日テレのご担当者様にもお話を聞いたところ、日テレとしては「クリエイターの支援」をインパクトとして掲げ、「クリエイターの労働環境」を社会課題として捉えているということでした。
確かに、私も報道局で少しだけ働いた経験を振り返ると、制作会社の方々は大変そうだったし「真っ当ではない待遇で働かざるを得ないクリエイター」もいるのだろうなという想像はつきました。
では、仮にこれらを前述の社会課題の定義に当てはめた場合に、クリエイターは今までの手法による課題解決(例えば今持ってる力やお金を使って自分の課題を解決する)が難しいということになり、解決には当事者以外の構造変化をもたらす必要があります。インパクト投資家としては社会課題解決を意図するため「この構造の変化も着目し、計測・管理」しなくてはいけません。
その際に、彼らの投資方針が解決策として妥当であるか、というのが次の論点となります。
論点3解決策として適切かどうか
「真っ当ではない待遇で働かざるを得ないクリエイター」はどのような社会構造によって苦しんでいるのか、考えていきます。
ただ私はこの業界研究をしたわけではなく、ただ経験として短期間そこに関わったことがあるのみですのでその点ご留意ください。
例えば、私が出会った制作会社の方々は、キー局から発注を受けて常駐していらっしゃいました。
無理な納期や、十分でない報酬などの待遇があるとしたら、それはクリエイターの責任ではなく発注元であるキー局の責任とも言えます。つまり、この社会課題解決には、キー局側の変化も必要不可欠であるということになります。
その際、「クリエイターの支援」をインパクトとして掲げ、「クリエイターの労働環境」を社会課題として捉えているのであれば、日テレの開示情報の中に、クリエイターの成長だけではなく「発注元の構造改革」、もっと言うと「日テレのようなテレビ局側の業界構造に対する変革を起こす」コミットメントが必要になるように思うのです。
例えば「セクシー田中さん」の作者の方が亡くなった事件も、クリエイターに対する業界の対応が大きく論争の的となりました。
ただ、日テレの(個別投資先だけではなく、日テレが掲げるインパクト戦略についての)開示情報の中では、クリエイターを搾取しない体制に変化していくことに対する言及はありませんでした。
私としては業界の体質を変えていくことはかなりチャレンジングな試みであることは承知しており、日テレの担当者様との議論の中では、様々な改善に向けた取り組みはある上で、強化する必要があるというご認識でもいらっしゃるようでした。
また私は「映像には社会を変える力がある」という点に関しては心から賛同しており、それらの活動を行う日テレや投資先の方々の存在は尊いものです。
ただ同時に「仮にそこに社会課題があり、解決をインパクトとして謳っているなら、もっとそれがどのような社会構造によって発生しているのか解明し、提示し、その課題の深刻化の一端を自社が担っている可能性にも言及し、かつ映像が社会をどのように変えるのか、今まで解決されてこなかった課題や痛みがどのように事業成長の中で解決されるのか提示しないと、ウォッシュに見えるよ」とも思うのです。
論点4ウォッシュによる弊害に強い自覚を持つべきである
ここからが本題です。
せっかく素晴らしい活動をされているのに、ウォッシュに見えるとどうなるか。ペプシのCMが「ウォッシュ」だとして大変な物議を醸したのをご存知でしょうか。
(※上記はCMフルバージョンではなく、Business Insiderによる一部引用とそれに対する意見の動画)
これが作られたのは、警察による黒人殺害に対する広範な抗議活動があった直後でした。見るとわかる通り、ブラック・ライブズ・マター運動のイメージをオマージュした広告と言えます。これが抗議活動を軽視した広告であるとして、大炎上をしたのです。論点はここでは省略しますが、結果的にペプシは謝罪を発信し、当該コンテンツを撤回、今後の展開を中止する運びになったのです。
このように「ペプシ自体の美味しさ=プロダクト自体の素晴らしさ」があるにもかかわらず、ウォッシュだとみなされることによってその本来の価値にさえ目を向けてもらえなくなるのは、インパクト投資家や投資先にとっても大きな損失となります。インパクトに取り組む意志自体は奨励していきたいしどんどん挑戦していこう!と思いつつ、社会課題に関わる上で軽んじてはいけないステップというのは確実に存在するのです。
また、私が「インパクト/社会課題に関するウォッシュ」に過敏に反応している理由は他にもあります。
インパクトでないものがインパクトを語ることで本当に資金が必要な社会課題解決へリソースが流入しなくなってしまうのを危惧しているのです。
昨今、インパクト投資の盛り上がりによって、資本市場のカネの流れがやっと、チョロチョロと、今まで市場に無視されてきた課題に充てられるようになった。
でも「あれもこれも社会課題と言えるよね」となってしまうと、集中すべき領域へのリソースの絶対量が減ってしまいます。
リソースが無限に流れてたら社会課題の定義なんてなんだって良いのです。でも今の日本の社会課題解決領域に対して資本市場から流れる一滴一滴の水はゼロサムで、ひしめく深刻な課題によってそれを奪い合わないといけない状態です。
「市場には多様な価値観があって良い」「そこにも何らかの課題がある」は皆さんの仰る通りなのですが、一滴も水が流れない領域もあれば、「最近ちょっと水量が落ちてきたかもね」というくらいで普段から潤いまくってる領域もある中で、私らのようなインパクト投資家こそが、深刻な社会課題のために汗をかいて「この課題は、人類にとって一番に解決しなきゃいけないもんだろうよ!!!」と予算を取りにいかねばならないと考えています。
また、もし「インパクト投資を語っていながらも社会課題の改善が意図されていない」というインパクト・ウォッシュが起きると、このように先人が必死で水を引いていた部分が干上がってしまう。「色んな人がインパクト投資とか言ってやってたけど、全然社会良くなってないじゃん」と市場が誤学習してしまい供給が止まってしまうからです。
また金融業界は、他のプロダクトやサービスと比べて、最適で効果的な手法が残るまで実験を重ね数多の失敗をすることへの許容度は低い業界だと感じています。
現にESG投資は市場でも懐疑的な目を投げかけられ、目的は素晴らしかったものの手段としての評価は下がっています。
それによって、救えたはずの命が救えなかったら。大切な故郷が海に沈んでしまったら。私はウォッシュという市場のエゴによって大切な命や場所や関係性が毀損されることが本当に怖いのです。
だからこそ我々のような社会課題解決を志す業界人側が、市場に失敗の烙印を押される前に「いやいや、日本のインパクト投資はかくあるべきだ」とオピニオンを持って発信することが重要だと思ってますし、これは本当に社会課題解決と言えるのか?という議論は活発にすべきと思ってるので、今回は「インパクト投資の定義に当てはまるし、みんなでがんばろ!」とお茶を濁さずに、矢面に立つ覚悟で「もしインパクトウォッシュが放置されたらどのような課題が生じるのか」に警鐘を鳴らすべく、この記事を執筆しました。
ただ「これは社会課題なのか?」という問いに共通解を設定するのは非常に難しく、また時流によって社会課題とされることが異なり誰かが課題と言ったら課題として認知されるという構築主義的な特徴からは逃れられないため、インパクト投資の未来(というかそうなりつつある)というのは、社会課題とかインパクトという括りではなく、貧困投資とか、マイノリティ投資とか、ジェンダーレンズとか、そういう各課題に投資の世界も分化していくのだろうなと思っています。
参考)Phenix Capitalによるインパクト投資の類型。JANPIA小崎さんに教えていただきました。『Sustainable Development Goals
& IMPACT INVESTING THEMES』
最後に余計な一言を加えると、社会課題領域を専門的に取り扱う会社のサポートを得ながら作成されたものにもかかわらず、これはウォッシュではないのかという疑念が投げかけられたことに関しては、日テレだけでなくサポートした側も省みる部分があるのではと思いますし、同じ業界の者として自分たちもまだまだ学びを深め気を引き締めていかねば、と感じました。
インパクトを再考しよう
インパクト業界、というかインパクトが流行る前から社会課題に取り組んできた方々は、今までスポットライトが当たらず「端っこでなんか頑張ってるけどイケてない人たち」という扱いをたくさん受けてきました。
社会課題という大きく根深い構造に立ち向かうためには莫大なリソースと関心が必要であり、インパクト投資やらで潮流がきてやっと脚光を浴びている今、今回のようにインパクト原理主義者としてなりふり構わず噛み付くのは当面封印し「インパクトに興味がある人は、別に詳しくなくても一緒に学んで一緒に広げていけば良いよね」というスタンスでいこうと思っています。
そこで、talikiでは10月に「インパクトを再考する」をテーマとしたソーシャルカンファレンス「BEYOND2024」を開催します。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000014.000036295.html
BEYONDは、社会課題解決に取り組むプレイヤーを支援する株式会社taliki主催のソーシャルカンファレンスです。
立場/所属/年齢/人種/性別/限界などあらゆる境界線を飛び越え、社会に新しい価値を共に提案する場として2018年より過去7回開催し延べ1700名以上を動員してきました。
BEYOND2024は過去最大規模の2DAYSで開催。
社会起業家をはじめとした、非営利団体・投資家・民間企業・行政・学生などの各セクターを超えて、次の未来についてともに考えていきます。
<ソーシャルカンファレンス「BEYOND」の開催目的>
1.社会課題解決の市場規模拡大を加速させるための場を提供する
2.ビジネスになりづらい社会課題への取組みに対して、資本の再分配を加速させるための場を提供する
3.インパクトスタートアップ支援の気運を醸成する
BEYOND2024公式SNS:https://twitter.com/beyondkyoto
インパクト業界の人も、そうじゃない人も、ありとあらゆるセクターの方々が同じ問いを見つめる、大変贅沢で優しく本質的な空間に毎年なっています。
この機会にぜひ、皆様と一緒に学びを深められれば幸いです。
ここまでの長文をお読みいただきありがとうございました。