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他人の時間を生きている

他人の時間を生きている感覚がある。

でも、それはそれで結構楽しめている。

一般に、他人の時間を生きると損をするし不幸になると言われている。
ホリエモンなどが自身の著書の中でよく言っているし、ネットで検索してもたくさんの記事が出てくる。

人生を豊かに生きるには自分の時間を生きることが大切らしい。
言いたいことは分かるし、同意もできる。

けど今、人に時間を奪われることを楽しめている自分がいる。

私は今新入社員向けの新人研修の講師をしている。

仕事の間は1日中、研修生から多くの質問を受ける。
質問を受けている間は自分の作業はできない。
質問対応が終わって何か作業を始めようとしても、別の研修生からの質問が来るので、深く集中して黙々と作業することはほとんどできない。
これは明らかに、他人の時間を生きているように思う。

でも、質問が多ければ多いほど、それだけ研修生の成長を実感できる。
仕事をしているときの時間が他人の時間であればあるほど、自分の役割が全う出来ているような気もするし、人の成長を間近に感じることができて楽しさは増している。

その一方で、目の前の研修生が日に日に成長しているのを見ながら、自分自身が何も成長していないことに対する焦りを覚えることもある。
また、1日中、集中できない日が続くことで、深い集中ができない体になってしまうのではないかという危機感も感じている。

教育の仕事というはたぶん、他人の時間を生きることで、誰かを成長させることができるのだと思う。
もちろん、人に教えたり、人を成長させることを通じて自分自身が学ぶこともたくさんある。
そういう意味では教育者も仕事をする中で成長はしているのかもしれない。
でも、仕事の中で長時間集中して1つのことに没頭することが難しい。
だから、まとまった時間を使って集中して何かのアイデアを考えたり、長文の文章を書いたり、難しいプログラムを作ったりする仕事をするのは難しい。

自分の時間と他人の時間をどう使い分けるか。
自分の成長と他人の成長をどう天秤にかけるのか。
教育の仕事はそういうトレードオフのバランス関係で成り立っているのかもしれない。

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