人生は妥協の連続なんだ

人生は妥協の連続なんだ
そんなこと疾うにわかってたんだ

ヨルシカの「藍二乗」のワンフレーズ。

最近よくこのフレーズが頭の中で流れている。
色々と妥協している、と感じているのだろう。

仕事でもプライベートでも、何かしらの創作活動をしている人たちの中で、一切妥協することなく満足いく形で制作物を完成させている人はどれくらいいるのだろう。

全ての工程を1人で行い、時間が無限に使えるとするなら、妥協を許さずに創作することはきっとできるだろう。完成までのモチベーションの維持が1番の課題になると思う。
時間に縛りがあるとするならば、その分だけ何かを妥協して、クオリティを一部落とさなければいけなくなるかもしれない。時間に関しては締め切りを設けた方が集中して効率よく作業できる面もあるので、使える時間が長ければ長いほど良いというわけでもないけれど、少なくとも、時間の制約の関係で100%を目指せないのであれば、その分だけ何かを妥協する必要が出てくる。
複数人の人を集めて一緒に何かを作る場合、それぞれの価値観や考えが一致していなければ、チームの中の誰かが妥協して他の人の意見を採用する必要が出てくるかもしれない。関わる人数が多くなればなるほど、価値観は多様になるし、それぞれの都合に合わせて何かを妥協しなければいけないことも出てくる。

要するに、関わる人数と時間の制約(あるいはお金の制約)の厳しさによって創作の中での妥協が多くなる。エンタメ業界やアートの世界で創作活動をしている人たちが、どの程度妥協を許して活動しているのか、正直全く想像がつかないけれど、すごく興味がある。

私はずっとIT業界でしか働いていないので、自分の業界の事しかわからないけれど、少なくともIT業界の中でのモノづくりは至る所で妥協が溢れている。今関わっているプロジェクトもきっとそう。ユーザーが使いやすいようにもっとこういうふうに作りたい。あとでメンテナンスしやすいようにプログラムをこういうふうに作りたい。そういう考えは溢れているけど、時間の都合や色んな事情で自分の理想とすることができない。妥協するしかないんだろう、と半分諦めも混じっている。そんなモヤモヤを抱えている時、無意識にヨルシカの曲が頭の中で流れていた。

今の世の中はIT技術がなければ回らないぐらい、至る所にIT技術が散りばめられているけれど、一切の妥協を許さずに作られた製品はきっと数%程度しかないんじゃないかと思う。それでも世の中がうまく回っているのはある意味すごいなと思うし、仮に世の中の全ての製品が全く妥協せずに作られたモノだったとしたら、今の世の中はどれだけ素晴らしい世界になっていたのだろうかとも思う。

趣味で創作活動している場合においては、妥協するかどうかは結局のところ気持ちの問題が一番大きいと思う。仕事(ビジネス)の場合、妥協を生み出す根本的な原因はきっとお金にある。ビジネスにはお金を儲ける目的があるので、そのために時間の制約がかなり大きくなる場合が多い。あるいはスキルのある人の人材不足でリソースが足りないことも多い。ビジネスがお金儲けを目的とする以上、妥協をしない創作をするのは相当に難しいのだろうと思う。世の中がもっと豊かになっていくには、ビジネスのあり方を根本から変えていくしかないようにも思える。

とりあえず現状においては、妥協しない創作は趣味の領域に展開して1人の時間で思いのままに楽しむのが正解な気がしている。

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