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地元贔屓の感覚が行方不明です

オリンピックやオリンピック関連のニュースを見ていて気づいたけれど、どうやら自分は地元を贔屓する感覚が失われているらしい。
オリンピックを見ていても日本人選手を応援したい気持ち湧いてこない。テレビやネットニュースでも日本人選手ばかり報道されていることに違和感を感じた。それにはついては別の記事にも書いたけれど。

オリンピックを見ている家族や友人の様子を見ていても、みんな基本的には日本人に着目して応援していたけれど、どうしてもその様子に共感することができなかった。

日本が嫌いなわけではないし、日本人選手が嫌いなわけでももちろんない。ただ、自分自身と直接関わったことがなく、人間性もそこまで詳しく知らない人のことを、生まれた国が同じという理由だけで応援したくなる気持ちがどうしても理解できなくなってしまった。

これはオリンピックに限らずだけど、例えば甲子園やプロ野球、プロバスケ、プロサッカーなどの日本国内で閉じているスポーツにおいても、自分の地元出身のチームや選手を応援したいという気持ちが起きない。単にスポーツに興味がないだけでは?と言われれば、確かにスポーツへの関心はそこまでないではあるけれど、他の分野に関してもこの感覚は同じです。

例えば、地元が同じミュージシャンや芸人、タレントさんに対しても、地元が同じという理由で特別贔屓して応援したいという気持ちになれない。

自分と直接的な接点がないにも関わらず、物理的に生まれたロケーションが近いというだけで応援しようと思ったり、活躍した人のことを誇らしいと思える感覚はみんないつどこでどうやって身につけたのでしょう。身につけるようなものではなく、本能的なものだったりするのでしょうか。

自分自身、いつから地元のことを特別視しなくなったのかは覚えていない。子供の頃はおそらく、人並みに地元を贔屓する感覚は持っていたような気もする。記憶を遡ってみると、おそらく中学生の時点では出身が同じ人を応援する感覚に多少の違和感を感じていたように思う。そして大人になった今、その感覚は行方不明になってしまった。

地元を贔屓する感覚がないことで何か困ることがあるかと言われれば、特別困ることはないんだけれど。ただ、スポーツ観戦を楽しめる人というのは、理屈抜きで無条件にどこかのチームや選手を応援できる人なんじゃないかという気もする。そうなると、地元を贔屓することができる人は、スポーツ観戦など、人生における楽しみはいくらか増えているわけで、そういう意味では地元を贔屓できる人は少し羨ましいなとも思う。

また、選手の立場からすると、顔も名前も知らない人でも、地元が同じというだけで無条件に応援してくれる人がいるのは多分それなりに嬉しいことなんだと思う。そう考えると、きっと地元を贔屓することができる人間は多い方が良いのかもしれない。

地元が同じ人を無条件に応援する感覚はなんだかもう取り戻せる気はしないけれど、理屈抜きで無条件に全力で応援しようと思える「何か」を見つけることができれば、人生の中で少しだけ楽しみは増えるのかもしれない。その「何か」が見つかることを願う。

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