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「分かりにくさ」への憧れ

最近、友人から、私が書いているnoteの記事について「文章が分かりやすい」というお褒めの言葉を頂いた。気心知れた親しい友人からの忖度ない褒め言葉は素直に嬉しいし、すごくありがたい。

自分の書いた文章を自分で分かりやすいと言うのはすごくおこがましいし、まだまだ改善の余地はたくさんあると思う。
ただ、職業柄、どうすれば分かりやすく伝えることができるかを考える機会が多いので、その中で分かりやすい文章を書くノウハウがある程度身についた気がする。noteの記事もかれこれ300記事以上書いているので、その経験の中で文章を書く技術もそれなりに向上しているのだと思う。

「分かりやすい文章が書ける」というスキルは、社会人として働いてく上ではそれなりに役に立つスキルだし、もしかすると分かりやすい文章を書けることに対して羨ましいと感じる人もいるのかもしれない。もちろん、「分かりやすい」と言って頂けるのはすごくありがたいし嬉しい。
ただ、最近は「分かりやすい文章しか書けない」ことがすごくコンプレックスに感じるようになってきました

分かりにくさの魅力

過去のnoteでの何度か書いているのですが、今現在私が最も好きなミュージシャンの1人に「ずっと真夜中でいいのに。」(通称ずとまよ。)というミュージシャンがいます。

実際に聞いてみると分かりますが、ずとまよ。の曲は歌詞がすごく難解で、1回聞いただけでは全てを理解することはできません。むしろ何回聞いても100%理解するのは私にはできません。

ただ、難解で分かりにくいからこそ、「どういう意味なんだろうか」という好奇心が働き、同じ曲を何度も繰り返し聞いてしまうし、歌詞をみながら色々と想像を働かせる時間も生まれます。分かりにくさがむしろ中毒性を生む1つの要因になっています。

ずとまよの魅力は歌詞だけではありませんが、分かりにくさが魅力になっている一つの例だと思う。

仕事と娯楽の違い

社会人として会社で働いている人はご存知かと思いますが、仕事は短い時間で大きな成果を出せた人が高い評価を受けます。

短い時間で成果を出すには、自分の伝えたいことを短い時間で正確に伝えることが重要です。そのためには、話し方や文章が分かりやすいことは大きな武器になる。

仕事においては、人の時間を奪わないことが正義とされます。

一方で娯楽は、たくさんの時間を奪うものほど価値が高いと言えます。

何回も繰り返し聴いてしまう音楽や、何回も繰り返し観てしまう映像作品。何回も繰り返し読んでしまう漫画や小説。これらは個人からたくさんの時間を奪っていますが、それは悪いことではなく、むしろそれだけ魅力があるということ。

人の時間を奪わずに伝えたいことを簡潔に伝えるには、文章を分かりやすく書くことはすごく重要です。でも、何かに没頭するほど時間を奪おうとするのなら、分かりやすさだけではない魅力が必要です。むしろ、分かりにくいいからこそ、人によって様々な解釈が生まれ、それが魅力につながる場合も少なくないでしょう。

分かりにくい文章を書く難しさ

シンプルに文章力が低いが故に分かりにくい文章を書いてしまう人も沢山います。ただ、分かりやすい文章を書くこと自体は実はそれほど難しくないです。書店に行けば文章力の本が沢山あるし、ネットを検索すれば文章を書くテクニックも沢山見つかる。一度コツを覚えてしまえば、分かりやすい文章を書くことは誰でもできます。

分かりやすい文章が書けることを前提で、あえて伝わりづらい文章を書くのはすごく難しいなと思う。一度聴いただけでは意味を理解できない歌詞を書いている人や、人によって様々な解釈が生まれるような文章や作れる人が、一体どのような思考で文章を考えているのかがすごく気になります。

分かりやすい文章も書けつつ、コンテンツによっては分かりにくい文章を書く文章力も鍛えていきたい。

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