久々に東京に行ったら自分がスマホを使っているのかスマホに自分が使われているのか分からなくなった

先週、出張で久しぶりに東京に行ってきました。
東京は何度も来ているので、もう流石にあまり戸惑うことはなくなってきたけれど、東京での移動は未だにソワソワします。

何でソワソワするのか考えてみると、おそらく、分刻みで時間に気を使う必要があるからだと気づきました。

普段地元では車で移動していて、分単位で時間を気にすることはほとんどありません。今いる場所から目的地まで大体どのくらいの時間がかかるかを調べて、少し時間に余裕を持って出発しよう、程度の意識で日常を送っています。

東京に来ると空港から目的地までの移動は電車を使用するので、スマホで乗り換え案内のアプリを使っています。
電車は時間が正確なので、分単位で時間を意識して、何時何分の何線の何番ホームに乗らないといけないかまでを気にしないとけいません。

もはや、自分がスマホを使いこなしているのではなく、スマホ(というか乗り換え案内アプリ)に自分が動かされているような感覚になります。

まあ、これは車での移動だとしても、行ったことがない場所に行く時や、場所が曖昧な場所に行く時にはGoogle Mapを利用してその指示に従って目的地まで向かうので、そう考えると車でも電車でも大して変わらないですね。

結局は、慣れていないことをするのに何かしらの技術使って解決しようとしたとき、時間を細かく気にしながらコンピュータの指示に従って動くことにストレスを感じてしまうみたいです。

もういっそのこと、コンピュータが勝手に脳に指令を出して、目的地まで体が自動的に動くようにスマホがコントロールしてくれたら楽になるのにな、と思います。

AIの発展によって人間の仕事を奪われる、という話をよく耳にします。
だから将来は仕事がなくなってヤバイ、的な話も多いような気がしますが、私はむしろテクノロジーはどんどん発展して、コンピュータが人間の行動をプログラムして勝手に動かしてくれるぐらいまでいくと、いろんな生き方があって良いかもしれないなー、なんてことを思います。

コンピュータに人間が操られるのはなんだか怖い気もしますし、色んな課題があると思いますが、人間が自分の意思でコンピュータに動かされることを選んで、それによってコンピュータが人間を動かすならありではないでしょうか。

グーグルマップで目的地を選んで移動手段を選んだら、コンピュータが脳に指令を出して体が勝手にその移動手段で目的地まで行ってくれる。
そうなると移動のストレスがなくなって楽だなーと思います。
まあ、私が生きている間にそれが実現とま思えないですが。。

こんなことを考えるに至ったのは最近落合さんの本をよく読んでいるからかもしれません。

なかなか難しくて、100%理解することはできていないのですが。

コンピュータと人間、インターネットと人間の境目がなくなるデジタルネイチャーという思想に触れて、コンピュータに人間が使われるという考え方に違和感がなくなってきているのかもしれません。

人間がコンピュータを使うにしても、コンピュータに人間が使われるにしても、いずれにせよ無駄なストレスがなくいろんなことが効率化できるようにテクノロジーが発展してほしいと思っています。

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