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理解できる人には分かりやすく教えるけれど、理解できない人にはアバウトに教える

今、教育関係の仕事をしていますが、最近自分の教え方のスタンスが、理解力の高い人には色んなことを分かりやすく教えるが、理解力の低い人には何事もアバウトに教える、というスタンスになってきています。

恐らく、学校や塾で授業をする場合などは、一般に逆を推奨する場合が多いかと思います。理解力のある子は、放っておいても自分で勝手に学習を進めていくので、あまりサポートしなくても問題にはなりません。説明を分かりやすく噛み砕かなくても、自分で考えて理解を深めてくれます。一方で理解力のない子は、手厚くサポートして分かりやすく丁寧に教えてあげなければ理解できない場合が多いので、丁寧に詳しく教えてあげる必要があります。

私が講師になったばかりの頃にも、周りの人からはそういう風に教えられました。できる子よりもできない子にフォーカスを当ててサポートすることを心がけましょう、と。

ですが私の考えはどんどん逆になっていて、理解力の高い人にこそ分かりやすく教えるべきで、理解力の低い人にはあまり分かりやすくしない方が良い、と考えるようになっています。

もちろんこの考えに至ったのには理由があります。

理解力の高い人は、論理的思考力や、自分で考える力が既に備わっている人が多いです。私は、考える力が既に身に付いている人には、できるだけ多くの知識を最短の時間で習得してほしいと思っています。結果、理解力の高い人には、多くのことを分かりやすく説明する必要があると思っています。

理解力の低い人は、論理的思考力、自分で考える能力が不十分である場合が多いです。その場合、知識を身につけることよりも、考える力を鍛える方が長期的に見ると重要です。その結果、分かりやすく説明することをせず、自分で考える機会をできるだけ多く設けていこうという発想になります。

考える力が不十分な人には、考える力を付けてもらい、考える力が備わっている人には、新しい知識を得るのに自分で考える手間を省いてもらおうという魂胆です。

この考えはなんとなくお金に対する考えとも似ているとも感じました。

初めからお金をたくさん持っている人は、投資や資産運用をしてさらにお金を増やすことができるし、お金を使って新しいビジネスを始めたり、稼ぐためのスキルを身につけるのにお金を使うこともできる。お金がない人は、投資や資産運用にも手が出せないし、何かを始めようと思ってもそもそもの資金がなくて結局お金を稼ぐことが難しかったりする。お金をたくさん稼ごうと思ったら、まず最初に自分の力である程度稼ぐことができるようになるまで頑張る必要があります。

知識や技術にしろ、お金にしろ、多くを手に入れようと思ったら、まず自分の力で一定の壁を乗り越えることができるかが重要になるのだと思いました。

教育という分野は明確な正解がなく、考え方も人それぞれ。この考えに共感する人もいれば反対する人もいることでしょう。むしろ、この考えに共感する人と反対する人がペアで1つの教室を担当すると、いい感じに全体の満足度を上げる教育ができるような気もします。

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