モラルのない「好き」は誰かにとっての「嫌い」を生む

「好き」という感情は一見良い事ばかりの感情のように思うけれど、何かを好きになるにはモラルやマナーが必須であると思う。

私の地元はヤンキーが多い。ヤンキーは地元とバイクが好きで、いつも夜遅くまで地元でバイクを乗り回して騒音と排気ガスを撒き散らしている。地元とバイクに罪はないけれど、ヤンキーたちの毎日の頑張りのおかげで私は地元とバイクのことを十分嫌いになることができた。

以前、卓球の水谷選手がゲスト出演している動画番組を見た。水谷選手に限らずだけど、オリンピック選手には誹謗中傷のメッセージや、選手の所属する国に対する攻撃的なメッセージが色々と届いてくるらしい。頑張って試合に勝つと、負けた選手の国の人からひどいメッセージがDMなどを経由して飛んでくるとのこと。そのようなメッセージを送っている人は、愛国心が故にそのような行動をとっているのだろうけど、メッセージを送られた側からすれば、その国のことを嫌いになってもおかしくない。

最近はあまり見かけなくなったけど、人気バンドの野外ライブなどで、ファンのマナーが悪くてライブが終わった後に会場にゴミが多い、みたいなことがあった。ミュージシャンには罪はないけれど、一部のファンによってミュージシャンそのもののイメージが悪くなったり、ライブに行きたくても行くのが怖いと思う人もいたと思う。

そんな感じで、「好き」という感情はもしかすると誰かにとっての「嫌い」を生み出している可能性がある。

とは言え、これら単にモラルとかマナーが悪いよねというだけの話でもある。正しいモラルを持った人間は、夜中にわざわざ騒音撒き散らしながらバイクを走らせないし、誰かを誹謗中傷することもないし、外でゴミをポイ捨てすることもない。

モラルやマナーを持たない状態での「好き」は、別の誰かにとってはただの迷惑でしかない可能性が高い。モラルのない人は、何かを好きになることはしない方が良いし、何かを好きになりたかったらモラルとマナーを持つことが必須だと思う。つまりモラル・マナーを持っていることが、何かを好きになるための十分条件なんだと思う。

好きが平和を遠ざける

もう一つ、好きという感じに対して思うことがある。
私はスポーツにあまり関心がなくて、特定の選手やチームを贔屓して応援することが基本的にないけれど、スポーツの試合を見ていると、敵対する選手やチームに対して罵声を浴びせたり、ブーイングしたりするというのをよく見聞きする。
それはそのスポーツの風習であって、悪意なくやっている人も多いのかもしれないけれど、無意識であれ意識的であれ、敵対関係を作り出しているのは明白。スポーツのような、明確な勝ち負けがつくエンタメを熱狂的に好きになると、好きと同時に「敵」を生み出してしまう。それがエンタメの範囲で収まっていれば問題はないのだろうけど、エンタメの範囲を超えてしまうと最悪は国と国の問題にまで発展する可能性もなくはないわけで。

そう考えると、好きという感情が意外と平和の邪魔をしている気がしている。もちろん、嫌いという感情が多い方が良いとも思わないけれど、好きでも嫌いでもない、「適度な無関心」が世界を平和にするために実は大事なポイントのように思う。

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