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ぼくのかんがえたさいきょうの出版

ひとのことは言えないんですけど、出版界の明日(とか今日)を語るのが好きなひと、多いですよね。
先日も電子書籍の所有権をめぐるトピックがひとしきり盛り上がっていて。
cf. inuro『私たちはいつになったら電子書籍を”買う”ことができるのか』

このトピックになるとデジタル「コンテンツ」としての本を、音楽や映像と比較する声があがることが多く、上記noteに寄せられたそうした声を受けたと思わしきnoteが、こちら。
cf. 古賀史健『もっと過激の落とし穴。』

その古賀さんnoteへのコメントでもある下のツイートを見て、あ。って思いました、というのが本稿であります。


冒頭で書いたとおり、ことが出版となると、みんながみんな何か言いたがるじゃないですか(俺を筆頭に)。
実用系出版社で編集者としてクラシカルに紙の書籍を編集していたころならともかく、いまや完全に出版ではない界隈に身を置いている私が出る幕では本来ないのに、それこそ電子書籍が話題になっていたら俺にも何か言わせろ。という俺の中のリトルなにがしが出しゃばって来る。
それは要するに、私にとって出版界が「いまだに未練がある元カノ」のようなものだからかも、という気付きがありました。

ことばを換えれば、出版界に直接関わったことがないひとが-自分も読者という形で出版界には縁があるから、という参加資格で-いろんなことを言うのも、出版界とそのひととの間に恋愛感情がある/あったから。だと思うと、俺とあいつの恋愛をとやかく言われたくないのと同じで、俺以外のひとと出版界の恋愛を(そうじゃないだろ、ってつい言いたくなるけど)とやかく言うべきではないのではないか。
おまえ明日をも知れぬ容態なんだろ。だったら俺の言うとおりにすれば治るから、って口々に語りかけているのが今だと思うと、仮に急死したとしても、そこまで大事にされていた出版界は幸せだった、っていえるんじゃないですかね(何だこのオチ)。

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