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パート先で中国語を教わる日々 ~きっかけ編~

中国語の学習を始めて約5ヶ月が経過した。
15年ほど前に中国・麗江の紀行番組を観て以来、いつか中国に行ってみたいなぁと思っていた。また、中国語の音楽的な響きもなんとなく好きで、ここ2~3年は、中国語を話せるようになりたい!とラジオを録音したり、テレビを録画したこともあったが、忙しさにかまけて続かなかった。
けれども今年は、アプリ、テレビ、オンラインのグループレッスン、ラジオを活用して、勉強を続けている。

きっかけは、子育ての傍ら始めたパートで、中国から来た技能実習生の方たちと出会ったことだった。彼女たちは皆すごく親切で、たくさん仕事を教えてもらった。中でも、いつもニコニコしているAさんは、「あなたの子ども髪の毛多いですか?」とか、「あなたの子どもは(私が仕事中)あなたのご主人さんが見ますか?」「羽生結弦、かっこいい」とか、会うたびに話しかけてくれた。

ある日、Aさんに「日本語難しい。日本語教えてください」と言われた(おそらく社交辞令)。私は「じゃあ私に中国語を教えてください」と返事をした。

「你好。『こんにちは』は、你好。」翌日、Aさんは早速教えてくれた。私「『ありがとう』は?」Aさん「谢谢」私「『ごめんなさい』は?」Aさん「对不起」私「『お疲れさまです』は?」Aさん「你辛苦了」私「『お先に失礼します』は?」Aさん「我先走了」Aさん「『息子』は儿子。『娘』は女儿。」「◯◯さん(私)の名前きれい。中国語で何と読むか知っていますか?」などなど……。

私は教えてもらったそれらを、退勤後にググって、"『お疲れさまです』は「◯◯くーら」って言ってたな…『你辛苦了』これかな?"  "『ごめんなさい』は「てぃーぷーちー」って言ってた…『对不起』これかぁ!"  といった具合に復習していった。大体4文字に収まるのが面白いなあと思った。

またあるときは、Bさんに「羽生結弦、かっこいい。あなたは中国の有名人、誰が好きですか?」と訊かれた。私は記憶の片隅にあったテレサ・テンの台湾での芸名『鄧麗君』を書いた(一文字目は思い出せず、謎の字になった)。それを読んだBさんは、「あぁ!Dèng lì jūn!歌上手ですねー!😄」と言ってくれた。


そうして中国語に親しみ始めたのだが、Aさんに中国語を教えてもらえる機会は、週に1度、それも5分あるかないかだ。私は自己学習のため、Hello Chinese というアプリで勉強を始め、中国語ナビ(TV)も毎週録画するようになった。


そうして何日か経った頃、突然Aさんから「◯◯さん(私)、『こんにちは』は?」と抜き打ちテストが実施された。簡単なもの2~3語だったので難なくクリアできた。
Aさん「一日一語(覚えてください)😊」
私「新しいの覚えましたよ。我是日本人(←アプリで勉強した)😄」
Aさん「上手ですねー😊◯◯さん(私)の名前は?」
私「……忘れた😅」

Aさん「日本の小学校は何時からですか?」
私「9時かなぁ(行くのは8時だけど)」
Aさん「中国の小学校は8時から…」
私「うんうん」
Aさん「5時まで」
私「えっっ!5時??」

数日後
私「Aさん、私の名前、勉強しました。□□(中国語読み)。」
Aさん「おぉ~☺️(近くに来たCさんに教える)」
私「我叫□□□□(私の名前は~と申します)」
AさんとCさん「😳!」

Aさん「◯◯さんは何人家族ですか?」
私「3人です。Aさんは?」
Aさん「主人のお母さんとお父さんと…」
私「いいですね」
Aさん「😅(首を横に振る)」
私「でも子どもはナイナイとイエイエ?がいた方が…(←我が子に買ったタッチペン式4ヵ国語図鑑で覚えた)」
Aさん「😳!奶奶と爷爷😊」
私「イエイエは、日本語で『どういたしまして』です😄」
Aさん「じょうずは、中国語で『饺子』です😊」
私「おぉ~😳」


私は中国語とは別に、英語のオンライン個人レッスンも継続しているのだが、私にとって外国語を学習することは、脳の普段使わない部分を使っている感じがして、頭の運動や息抜きになっているように思う。

また、外国をルーツに持つ人と話しているときは、彼らの日常生活や背景(私が普段見ている世界とは別の世界)に思いを馳せる瞬間でもあり、日本人同士で会話するときとは違った新鮮さを感じる。

さらに、技能実習生と一緒に仕事をするようになったことで、技能実習生に関するネット記事や、入国管理局、仮放免における人権侵害の記事なども、以前より身近なこととして感じながら読むようになった。


このようにして、私はその後も、勢いでオンライン中国語レッスンに申し込んだり、TV「中国語ナビ!」のHPでおすすめされていたラジオ「まいにち中国語」にハマったりして、少しずつ中国語の単語や文法を覚え始めた。


つづく