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パート先で教わる中国語 ~ともだち編 その2 戦争のはなし ~

前回の更新から1年以上が経過した。あれから私は仕事を辞め、私に仕事を教えてくれた技能実習生の方たちは、みんな中国に帰国した (今は 入れ替わりでやってきた特定技能生の方たちが身を削って働いている)。

これから書く内容は、1年以上前の出来事ではあるが、忘れられないエピソードのひとつなので、記憶を辿りながら記していこうと思う。


ある日のこと。
仕事中、いつものようにDさんが何かと話しかけてくれていたのだが、話題が変わって「日本人……」「中国人……」と言いながらジェスチャーをし始めた。私はそれらが何を意味するのかすぐには分からなかった。
私「切腹?」「首?」
Dさん(首を振る。敬礼のようなジェスチャーをする。)
私「😂???(何か面白いこと言ってるのかな?とりあえず笑っとこう)」
Dさん「We Chat!私、明日、休み」(We Chatで話しましょう。私は明日休みですから。)
私「OK😊」

その後も仕事をしながら、一体何の話だったんだろう…と考えていて、ふと気づいた。
 “ もしかして、戦争の話だったのでは……!? ”

そして帰宅後(深夜)、Dさんからメッセージが届いた。
(当時のトーク履歴は、一度We Chatをアンインストールした際に全部消えてしまったので、Dさんからのメッセージはかすかな記憶を頼りに書いた。私のメッセージは下書きが残っていたので、ほぼ原文ママ。実際のやり取りでは、お互いに中国語を使った。)

Dさん
「戦争について知ってる?あの残酷な戦争を!」
「とても非道いことをしたんだよ。私はそのことを想うと、心が引き裂かれそうになる。」(意訳)

それを読んで私は、“あぁ、やっぱり戦争の話だった!どうして私はあのとき笑っちゃったんだろう!” と後悔した。既に夜中の3時ぐらいだったので ひとまず眠り、お昼前に起きて返信を考えていると、Dさんからもう1通メッセージが届いた。

「さっきの話は忘れてください。戦争は私達には関係ない。私たちの友情はそんなことでは壊れません。これからも平和な世の中でありますように。」(意訳)

夜になって、私はようやく返事を送った。
「昨日その話をされたとき、私は理解できず、笑ってしまいました。本当にごめんなさい。」
「戦争中、日本軍が中国の人々に対して、とても非人道的なことをしたことは知っています。」
「(日本と中国の) 戦争は終わりましたが、私たちと全く無関係というわけではありません。日本軍が戦争中、中国の人々に対してしたことは決して許されることではありません。」

Dさんからの返信は早かった。
「なかなか返事が来ないから、怒ってるのかと思いました。」「日本では歴史の授業で戦争について学ばない、って聞いたから、知ってるのかなと思って聞いてみただけなんです。」(意訳)

私「確かに、日本のほとんどの学校(小学校〜高校)では、侵略戦争について詳しく教えていません。また、日本は戦争のときに侵略した国々に対して、誠実な謝罪をしていません。これらは本当によくないことです。」(注:私の通った高校は、普通科ではなく専門科ばかりが集まっているところだったので、専門科目の授業時間が、一般科目の時間を圧迫していた。歴史の授業で戦争を学ぶ時間が少なかったのは、そのせいかもしれない。他の学校はどうだったんだろう?)

このあとDさんからどのような返事が来たかは思い出せないが、Dさんと戦争の話をしたのは後にも先にもそれきりだった。

Dさんとは、その後も、会えば話をする仲だったが、もしあのときDさんが、私に面と向かって「太平洋戦争での日本の加害ついて、どれくらい知っていますか?」と訊いてきていたら、私はちゃんと答えられただろうか。


アジアの国々に住む人たちと付き合っていく上で、戦争は「知らなかった」では済まされない話題であり、同時に センシティブな話題でもある。私は、フィリピン出身の英語の先生や、中国・ベトナム・フィリピンから来た技能実習生の方々には、一切戦争の話を振らないようにしてきた。

私の父方の祖父は、戦時中、日本軍の一員としてフィリピンに行っていた。祖母は、家庭科の教師だったので生徒たちと一緒に疎開していたらしい 。
一方、母方の祖母は当時小学校高学年で、家族で大連(=満州国) に疎開しており、同い年の祖父は家族で北朝鮮に疎開していた (二人とも、母や弟妹と共に 命からがら引揚げてきたらしい)。
戦争は、決して私と無関係ではない。

けれども私は、太平洋戦争で日本や沖縄の人々が受けた被害については 何となく知っているが、侵略国の人々への加害ついては断片的にしか知らない。
南京大虐殺については、さすがに中学の授業で習ったが、従軍慰安婦について時間をかけてきちんと教わったのは、夜間短大に入学後、韓国出身の講師による平和学の講義を受講してからだし、731部隊の (個人的にはアウシュヴィッツに匹敵すると思えるほどの) 残虐な人体実験について知ったのは、同じく短大時代に大衆酒場で何度か相席になった、元満鉄(=満州鉄道)職員の女性が、旧満州で仕事をしていた頃の話を 会うたびにしてくれたからだった。

日本政府は 戦後、侵略していた国々に対して何をしたかというと、各地で残虐非道な行為を繰り返していたにも関わらず、賠償をしなかった。(後年、謝罪だけはしたようだが、口先だけなら何とでも言える。誠意があるなら、賠償をすべきではないだろうか。)
想像を絶するほど非人道的な人体実験の結果は、戦勝国へと譲り渡され、日本軍の指揮者たちは天寿を全うした。もちろんそのような歴史は次世代に語り継がれることはなく、学校では、日本が受けた被害については それなりの時間を割いて取り扱っても、侵略した国々でどのような加害をしたのか、そもそもなぜ戦争になったのか、同じ過ちを犯さないようにするためには どうすればよいか、などということは扱われない (入試に出ないから?) 。

また、日本政府は近年、あろうことか「(略奪や陵辱、虐殺や人体実験などの) 記録は存在しないから、そんな事実はなかった」などと公言し、同時に、歴史の教科書から従軍慰安婦に関する記述を削除しようとしている (…んでしたっけ?) 。国を挙げて過去の過ちを『無かったこと』にしようとしているのだ。
本当に「どこまで愚かな国なんだろう」と思うし、自分の生まれ育った国が、こんなにも人間の人権を踏みにじり続ける国であるという事実が、心底嫌になる。もし私が侵略された国の人間だったなら、腸が煮えくり返っているところだ。(入国管理局では、今も現在進行形で、日本にやって来た外国の人々が長期間拘留され、人権も尊厳も奪われ続けている。)


だから私は、いつかアジアの国々を訪れたとき、現地の方から太平洋戦争の話を向けられることがあれば、いち日本人として (本音を言えば『日本人』に括られたくはないけど、やっぱり私はどうしたって『日本人』なので)、彼らのやり場のない怒りを受け止めなければならないなぁ、と思ってきた。

外国語を学んでいても学んでいなくても、国境を越えて誰かと仲良くなりたいと思うのなら、やはり、歴史について詳しく知っておく必要がある。
私はここ数年、毎日 SNSの投稿やネット記事を読むことにばかり時間を費やしているけど、もっと本を読まなければいけないなぁ…。

オチはどこ?って感じですが、この記事は一応これで終わりです。
本を読んだら、追記しようと思います。
今回はいつも以上に個人的な考えを書き散らしましたが、ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。