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F・カフカ『喩えについて』を読む(全)

チェコの小説家フランツ・カフカの掌編「喩え《たとえ》について」を読んでみましょう。

 読解のポイント

読解のポイントは、5つです。
(1)  賢者は、どういう人ですか?
(2)  日々の暮らしの現実は、どのようなものでしょうか。
(3)  この中には、どのような世界が対比されていますか? それぞれの世界の機能は何でしょうか?
(4)  「喩えのなかでは負けている」というのは、誰が誰に対して、なぜ、負けていることになるのでしょうか?
(5)  この文章のテーマを、簡潔にまとめてください。

本文を読んでみよう

(※ 喫茶去の訳と、原文を併記します)

喩えについて
VON DEN GLEICHNISSEN

賢者の言うことは喩えばかりで、暮らしの役に立ちやしない。日々の暮らしの現実は、そんな喩えとは無縁なのに、と、多くの人が不満を抱く。
Viele beklagen sich, daß die Worte der Weisen immer wieder nur Gleichnisse seien, aber unverwendbar im täglichen Leben, und nur dieses allein haben wir.

たとえば、賢者がこう言うとしよう。
「かなたへ赴け」
かなたの場所は特定されていない。行くだけの甲斐のある場所として言われているのでもない。賢者のいう「かなた」は、そうではない。お伽話のようなもので、それがどこかは誰にも分からず、詳しい説明もできず、その結果として、何の役に立たないような「かなた」でしかない。
Wenn der Weise sagt: „Gehe hinüber“, so meint er nicht, daß man auf die andere Seite hinübergehen solle, was man immerhin noch leisten könnte, wenn das Ergebnis des Weges wert wäre, sondern er meint irgendein sagenhaftes Drüben, etwas was wir nicht kennen, was auch von ihm nicht näher zu bezeichnen ist und was uns also hier gar nichts helfen kann.

こういった喩えというものは、共有できないものは理解できないということを伝えようとしているだけかも知れない。しかし、そんなことはもう私たちもよく知っている。私たちが日々苦労しているのは、もっと別のことなのだ。
 Alle diese Gleichnisse wollen eigentlich nur sagen, daß das Unfaßbare unfaßbar ist, und das haben wir gewußt. Aber das, womit wir uns jeden Tag abmühen, sind andere Dinge.

これを受けて、ある人が言った。
「どうして歯向かうの? 喩え通りにすればいい。そうすれば自分もまた喩えになる。日々の苦労からは解放されるだろう。」
 Darauf sagte einer: Warum wehrt ihr euch? Würdet ihr den Gleichnissen folgen, dann wäret ihr selbst Gleichnisse geworden und damit schon der täglichen Mühe frei.

もう一人が言った。
「賭けてもいいけど、それだって喩えだね」
 Ein anderer sagte: Ich wette, daß auch das ein Gleichnis ist.

言われた側は言った。
「賭けは君の勝ちだ」
 Der erste sagte: Du hast gewonnen.

相手が言った。
「残念ながら、喩えのなかで勝っただけさ」
 Der zweite sagte: Aber leider nur im Gleichnis.

言い出した人が言った。
「いや、違う。君は本当に賭けに勝った。喩えのなかでは負けている」
 Der erste sagte: Nein, in Wirklichkeit; im Gleichnis hast du verloren.

原文出典

先行訳(抄)

池内紀訳「喩えについて」『カフカ短篇集』(岩波文庫)

長谷川四郎訳「譬話について」『カフカ傑作短篇集』(福武文庫)

読後感

(生涯学習センターの受講者)

賢者って、SF映画とか、ファンタジー映画とかに出てくる人たちですよね。フード付きの長いローブを着ているような・・・スターウォーズのヨーダとかオビ=ワン・ケノービとかも、賢者と言ってもいいような気がしました。けっこう具体的な指摘を主人公たちにしていると思うので、喩えばかりと言われても・・・ 

(生涯学習センターの講師)

分かりますよ。賢者というのは、中世の騎士物語で、騎士とともに行動する存在として描かれるようになってから、魔法使いの要素をもった存在として描かれるようになりました。隠棲した修道士のイメージも付け加わって、フード付きの長いローブのイメージになったのかも知れませんね。

アーサー王伝説にでてくるマーリンのような存在という感じでしょうか。アメリカの推理小説にも、サイモン・アークという何千年も生きている名探偵が現代でも活躍する話がありますね。

そうですね。僕もサイモン・アーク、大好きでした。E・D・ホックの生んだ名探偵は、サイモン・アークに限らず読み漁りました。
さて、話を戻して・・・この「賢者」という人たち、文化圏の異なる僕たちには、なかなか具体的にはイメージできないところもありますが、例えば、山形孝夫教授(宮城学院女子大学名誉教授)の潜入ルポ 『砂漠の修道院』(平凡社ライブラリー)などは参考になるかも知れません。

読解のポイント(1)


それでは、さっそく読解のポイント(1)からみていきましょうか。
賢者は、どういう人ですか? 

フード付きの長いローブを着た人です、私の中では(笑)。カフカの文章の中では、喩えばかり言って、日々の暮らしには役に立たない存在と書かれていると思います。

その通りですね。これ、逆に、日々の暮らしの役に立たなければ「賢者」と名乗って問題はありませんか?

ダメですよ。本当に役立たずな人って、いますもん。

そうですね! そうすると、役に立たない人の一部は「賢者」で、残りの人の一部が本当の「役立たず」になるということですね。なにが異なるのでしょう?

ふたつ思いつきました。日常の暮らしから離れていることと、喩えをいうこと。本当にダメな人は、日常の暮らしの中にいて、喩えも言えない、ということかな・・・

正に、その通りですね。自分たちの日々の暮らしを俯瞰して、つまり、鳥の目で、客観的に見つめなおすことができ、それを抽象化して表現できる人のことを「賢い」と言っていることが分かります。

たしかに、ちょっと横から自分を見直して、抽象化できると、自分たちの経験を教訓にしたり、逆に、教訓を現在の日々の生活に落とし込んだりすることができるようになりますね。 

読解のポイント(2)

それでは、読解のポイント(2)に行きましょう。日々の暮らしの現実は、どのようなものでしょうか。

日々の日常ですよね。つまらないというか、ごみ捨てとか風呂掃除とか洗濯とか料理とか、びみょうに面倒なことも多いですし、誰かに誤解されたり、怒られたり、どっちつかずで悩んだり・・・  

お金に困ったり・・・

お金は大きいですね。贅沢しているわけではないんですけどね・・・

毎日を生きるのに必死。その毎日も決してきれいなものばかりではなくて、嫌なこと、つらいことの方が多いかも知れない。うつむいてばかりいるところに、「かなたに赴け」なんて言われたところで・・・

暮らしがよくなる保証なんてないですものね。確かに、役に立たないアドバイスにしか聞こえませんね(笑) 

はい。ただ、例えば、自分の中に「本当は、芸術家として生きることが出来たかもしれない」といった気持ちがあるなら、思い切ってその道に行った方が後悔が少なかったかも知れません。その思い切りのきっかけであり、自分の背中を押してくれるのが、賢者のいう「喩え」なのかも知れませんね。

賢者を賢いと思うのは、アドバイスを聞いた側なんですね。

正にその通りです! 

読解のポイント(3)

それでは、読解のポイント(3)に行きましょう。どのような世界が対比されていますか? それぞれの世界の機能は何でしょうか?

賢者の世界と、日々の暮らしの世界が対比されています。
賢者の世界が、日常をすこし離れて、自分ですら客観的に見つめなおそうという世界。日々の暮らしの世界いうのは、日常のこまごまとしたことやお金に追われてあくせく生きている世界。 

そうですね。賢者の世界が、喩えの世界。日々の暮らしの世界が、本当の世界、または現実の世界、とも言い換えられますね。

読解のポイント(4)

そうすると、この「喩えのなかでは負けている」というのは、誰が誰に対して、なぜ、負けていることになるのでしょうか?(読解のポイント(4)ですね。)

「それだって喩えだね」さんは、本当の世界では勝ち、喩えの世界では負けた、ということですから・・・ 誰に負けたかを明らかにすれば、なぜ負けたかも分かりますよね。 

はい。

・・・
 

逆に考えてみたら如何でしょう? 喩えの世界で「勝つ」としたら、どうなっていますか?

「喩えの言うとおりにして勝つ」というのであれば、自分を客観的にみて、新しい自分の可能性に気づき、将来を切り拓くことができる、という流れですよね。「喩えに勝つ」としても、喩えが指摘した内容を超えて、よりよい人生を歩むことが出来た、ということですかね。 

いいですね! では、日々の生活の世界で「勝つ」としたら、どうなっていますか?

「賭けに勝つ」というのであれば、お金が手に入ったのだと思います。
そうか!
「それだって喩えだね」さんは、喩えを超えるような内容を話していません。むしろ、現状維持に追い込むような言動によって、金銭を得ようとしていますね!

そうなんです! 喩えのもつ機能や意義を理解していない、なので、日々の生活にまみれ、人生をよりよくするチャンスを自ら見失ってしまう人という評価もできますよね。

なるほど!そういう側面、たしかにありますね。勝負は、喩えを受け入れた自分と、喩えを金銭を得るためにだけ利用した自分との間で決まっていくものなんですね。どちらが、人生の可能性をひろげたか、納得のいく人生につながったか、ということなのかと思いました。

いいですね!

読解のポイント(5)

では、最後、読解のポイント(5)に行きましょう。この文章のテーマを簡潔にまとめてみましょうか?

そうですね。「喩えは、日々の暮らしを客観的・俯瞰的に見ることを可能とし、自分の将来についての指針を与えてくれることがある。必ずしも日々の暮らしに役に立つものではないものの、これを金銭的な評価だけでとらえようとすることは、喩えの意義を没却してしまう行為となり、喩えの正当な評価とは言えない。」 というのは如何でしょう? 

すばらしい! いいじゃないですか!

この文章、むつかしかったです。どこに対比があるか文章の構造を見抜いた上で、しかも、内容を自分ごと化して捉えないと読み解けない、ということなんですね。

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