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ファティマ 第3の秘密 (全文)からの懸念

ファティマの奇跡とは?

ポルトガルのファティマ(Fatima)で1917年に聖母マリアが降臨し、羊飼いの子どもたち3名に啓示を与えたといわれています。これがファティマの奇跡です。(カソリック教会も正式に認めている「奇跡」とされています。)

その様子は、いろいろに書かれています。例えば以下をご参照ください。

7万人が、どんな風に目撃したかは、以下のリンクの写真を見てください。

内容は?

1917年は、第1次世界大戦中です。

第1の啓示(預言かつ予言)は、第1次世界大戦の終結が近いというものでした。

第2の啓示(預言かつ予言)は、第2次世界大戦の勃発についてのものでした。

第3の啓示(預言かつ予言)の全文の日本語訳は、後述の通りです。
これがなにを意味するかは不明です。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、1981年5月13日に自らが狙撃されたことをこの預言の内容だと判断しました。(ですので、彼は、内容の公開に踏み切ることができました。2000年に公表されています。)

本も公刊されました。第1の啓示、第2の啓示、第3の啓示のすべてについて、目撃者(聖女ルチア)の手紙の原文と、その日本語訳全文が掲載されています。

邪推

邪推であってほしいのですが、しかし、第1の預言が第1次世界大戦に関すること、第2の預言が第2次世界大戦に関することである以上、第3の預言も第3次世界大戦に関するものとして読むものなのではないでしょうか?

昨今の中東、特にパレスティナにおける痛ましい被害を見ていると、これが大戦の引き金になるのではないかと心配でなりません。

宗教を信じていない人たちが宗教を理由に人を殺すことが行われる昨今の事象こそ、この第3の啓示で表された世界なのではないかと思います。

ファティマ第3の啓示については、上述の通り2000年に公開されていますが、『まだ未公開』というように書かれているものも多く、誤解されているように思います。

現在の痛ましい出来事が、第3次大戦に発展することのないように、そして出来る限り犠牲が広がらないように祈っています。

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ファティマ 第3の啓示(全訳)

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イエス、マリア、ヨセフ、

ファティマのコーワ・ダ・イリアにおいて、1917年7月13日に明らかにされた秘密の第3部。

レイリアの司教と聖母マリアを通してお命じになる神への従順の行為としてペンを執ります。

すでに述べたあの2つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高いところに火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。この剣は、まるで世界を火で焼き尽くさんばかりに、火花を散らして光り輝いていました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で知恵お指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。

それからわたしたちには、はかり知れない光 ―― それは神です ―― の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。その他にも、いく人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。

その頂上には、樹皮のついたコルクのような木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。

教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂のために祈っておられました。それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架の下に膝まづいてひれ伏されたとき、一団の兵士たちによって殺されました。

彼ら(一団の兵士たち)は、教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地位や立場にある多くの信徒たちが、次々に殺されていきました。

十字架の両腕の下には2人の天使がいて、おのおの手にした水晶の聖水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。

トゥイにて
1944年1月3日

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(出典)
 教皇庁教理省『ファティマ第三の秘密』p.21-22
 (カトリック中央協議会・刊)
 同書のp.64-67に原文が記載されている。

※ 漢数字をアラビア数字に変更し、一部の漢字については変更して読みやすくした。また、行替えを行うなど、若干の改訂をした。






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