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伊勢物語「深草の里」(第123段)を読む
伊勢物語の第123段を読んでみましょう。この段を「鶉」(うずら)とか「深草の里」と呼ぶ人もいますが、正式名称ではありません。ここでは「深草の里」と呼ぶことにしましょう。
ちなみに、伊勢物語は、古今集の六歌仙の一人で、色男として知られた在原業平(825~880)の和歌を主なモチーフとして、「いろごのみ」の理想形を描いたショートショート集です。900年前後に書かれだし、徐々に継ぎ足されて成立したと言われています。
ですので、「正本」が存在せずに、有力な「写本」が複数あるという状態で広まっている書物になります。
読解のポイント
読解のポイントは4つです。
(1) 男性は、どうして深草の里から出ていこうと思ったのですか?
(2) 女性は、男性から別れを切り出されたことに対して、どのように自分を位置づけ、変化しようとしましたか?
(3) 男性は、女性の返答を聞き、なにに気づきましたか?
(4) この話の後、二人はどのように暮らしたと思いますか?
本文
むかし、男ありけり。深草にすみける女を、やうやう飽きがたや思ひけむ。
かかる歌をよみけり。
年を経てすみこし里をいでていなばいとど深草野とやなりなむ
女、返し
野とならばうづらとなりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ
と詠めりけるに愛でて、行かむと思ふ心なくなりにけり。
(現代語訳)
昔、男がいた。深草に住んでいた女に、だんだんと飽きてきたらしく、次のような歌を詠んだ。
「長い年月住み慣れた深草の里から私が去ってしまったら、深草の名前の通りに、草深くて人が来ない(つまらない)深草の野となるのだろうなぁ」
女の返答は次のようなものだった。
「この深草の里が野となってさびれ果てるなら、私は鶉となってこの里で鳴いていましょう。そうすれば、あなたはせめて狩りにくらいはおいでになるでしょうから。」
この女の歌に感じ入って、男は出て行こうという心を無くしてしまった。
読後感
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この男、横暴です。早く出て行って、もう帰ってこなければいいのに。
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おっしゃることは分かります。若気の至りというか、若かったからなのかも知れません。怒っておられるのは、読解のポイント(1)に挙げたところからですかね。
読解のポイント(1)
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まず、読解のポイントの(1)に挙げた、「男性は、どうして深草の里から出ていこうと思ったのですか?」を考えてみましょうか。ちなみに、深草というのは、現在の京都府京都市伏見区にあるエリアです。
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彼女と深草に住むことに「飽きた」から、です。一緒にいてつまらない、とか、退屈だ、ということだと思います。
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そうですね。「飽きる」、つまり、なんらかの対象に対して、ある程度は一通り理解できたと思って、退屈してしまうという心の状態ですね。
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交際相手だけじゃなくて、住んでいる場、その周辺環境も、灰色に見えてくるのだと思います。ウキウキしないし、トキメかないんですよね。
読解のポイント(2)
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では、読解のポイント(2)です。「女性は、男性から別れを切り出されたことに対して、どのように自分を位置づけ、変化しようとしましたか?」
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鶉になろうとしました。
ちなみに、鶉って、京都の絶滅寸前種なんですね。
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そうですね。この鶉に、どういう意味が籠められているかが分かれば、和歌の、そして文章全体の意味を読み取れていくはずですね。
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キジ科でしたっけ・・・?
体格も小さいので、「かよわい」存在という感じでしょうか。
彼氏に捨てられる時に、媚びを売ったということなのかも知れませんね。
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媚びと言えば媚びかも知れませんね。この女性、通常ならあり得ないくらい、自分の価値を下げる行為に出ているんですよね・・・
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そんなにまでして、この男に逢いたいのか、ですよね。
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そこです! 正にそこなんです。
さっき私は、彼女が自分の価値を下げているのではないかと言いました。
でも、おっしゃられた通り、「逢いたい」という気持ちを実現に結びつけるには(なにもしないよりも、リスクは高くても)鶉になっておいた方が、男性が狩りに来てくれ、また会えるという意味で、今の自分よりも良い状態に移行できるというのが、彼女の考えになりますね。
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あぁ、私たちにとっては、人間の方が鶉よりも価値が高いと思いがちですが、彼女にとっての価値は「男にまた会う」点にあるので、鶉の方が人間よりも価値が高いんですね。
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そうです!そうです!そうなんです!
読解のポイント(3)
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そこで、読解のポイント(3)です。男性は、女性の返答を聞き、なにに気づきましたか?
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「この女性、そこまで俺のことが好きだったんだな」と・・・
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そうですね。まずはそこですね。
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まずは・・・ ほかに何かありますか?
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この女性のような返答って、簡単に出来ることじゃないような気がするんです。
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それはそうですね。
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切り返しが早くて巧い。頭の回転の速い方なのでしょうね。
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なるほど。頭の回転が速く、自分のことが大好きで、気が利く彼女のことをなぜ飽きるのか・・・
自分が会話をさせてこなかったからだ、と気づいたということでしょうか。
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私は、そう捉えました。
好きという気持ちが強いと、相手の話をつい聞いてしまうんですよね。
そこで会話が減ってしまったことで「つまらない」と思われるのは、ほんとうにもったいない。
会話って、つなげる努力をしないと、夫婦間でもすぐに途切れてしまうんですよね。
彼女が彼を好きで、彼の話を聞き漏らしちゃいけないと一生懸命なのだったら、今度は、彼が、彼女が話す場所を作ってあげればいい。
「どう思った?」とか、「●●だよね~」とか、相手に発言を促すような言い方を心がけるだけで、まだまだ本当に楽しく暮らせることに気づいてほしいし、彼は気づいたんじゃないかと思うんです。
話をしていて楽しい知的な女性だから一緒になったのに、女性が男性の話を”聞き洩らしちゃいけない”と一生懸命になって口数が減り、それで会話が上手く続かなくなって「飽きた」と思ってしまった。でも、それは、会話がつながるように仕向けて行かなかった自分に問題があったんだ、そう気づいたんじゃないかと思うんですよね。
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男は出ていく気を無くしてしまったんですものね。
飽きて思い返したくらいだったら、またすぐに飽きているんでしょうね。
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そうなんです!
読解のポイント(4)
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それでは最後のポイント(4)です。「この話の後、二人はどのように暮らしたと思いますか?
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男が女性の話をきちんと聞くようにしようと考えるように変わる。女性が、自らの高い知性を発揮する。そんなカップルがどのように暮らすか?ですね。
末永く、仲睦まじく暮らした、と言いたいです。
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そうあってほしいです!
後世への影響
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さて、あとは、後世への影響として、2つご紹介します。
まずは、藤原俊成の歌です。百人一首をまとめた藤原定家のお父さんですね。
そして、太田蜀山人(四方赤良、大田南畝)の狂歌です。
藤原俊成「夕されば・・・」
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藤原俊成は、傑作と言われる歌を数多く詠んでいますが、彼自身が自らの代表作としていた歌が、これです。
夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里
「本歌取り」を習う際に聞いたことがあるかも知れませんね。1190年頃、鎌倉時代が始まる頃の歌ですね。
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女性、振られて鶉になっちゃったんですね・・・
秋風に、男性からの冷たい、「飽きた」という視線を重ねてしまいそうです。
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そうなんです。「鶉ですよー、狩りに来てください!」と懸命に鳴く姿と、荒涼として誰も振り向こうとしない野原が対比されています。
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暗くなりつつある夕焼けの赤い空の下で、「今日も逢えなかった・・・」とさみしい思いをしてしまうのでしょうね。情景が目に浮かびます。
ついつい、引き込まれてしまいます。
大田蜀山人「ひとつとり・・・」
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もう一ついきましょう。江戸時代の狂歌詠み、大田蜀山人(四方赤良)です。1800年前後に活躍した御家人が、趣味で作ったパロディ和歌ですね。
ひとつとり、ふたつとりては、焼いて喰ふ 鶉なくなる 深草の里
大田蜀山人 『蜀山百首』(清好帖)
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深草の里は、振られた女性ばかり。それを狩りに行って食べてたら、深草の里に鶉がいなくなった・・・
心がこもっていない歌なんですね。失礼極まりない感じで、不愉快になります。
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ご指摘の通りですね。ここでお話したかったのは、江戸時代の人たちの教養の深さ、反・権威といった発想の自由さなどをベースに、日本の古典は、明治に入ってしばらくするまでは、ある程度、社会共通の知的財産として共有されていたということです。
深草の里の世界観を理解したうえで、敢えて、みっともなく壊すという知的遊戯を楽しむ余裕があった、ということをお伝えしようというものでした。
内容的には、私もまったく共感しません。
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まさに、江戸時代は太平の世だったんですね。
知的財産の継承は大切ですし、そのためには、オマージュ作品も必要でしょうし・・・
ある程度はパロディを許容しないといけないんでしょうね・・・
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