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50years ago

 
『こうして、シンデレラは王子様と結婚し、末永く幸せに暮らしましたとさ』



さて、それから50年後。
「退屈ねぇ」
 皇后シンデレラは、質素ながらも華やかな私室で、繰り返される日常への諦念とも取れる大きなため息をつきました。
 夫となった王子は王位を継いで王となり、庶民だった花嫁に合わせて質素な暮らしをしつつ、「善人には幸福を、悪人には罰を」というスローガンの下で善政を敷いたお陰で、国民の大半は幸せに暮らしています。
 シンデレラと王との間には一男一女が生まれ、男の子は成長して父王の後を継いで新王となりました。女の子はちょっとだけ離れた国へ、お嫁に行きました。ふたつの夫婦には同じ日に双子が生まれ、4人の初孫の顔を見て喜んだ父王様は、その翌年に笑顔のまま亡くなりました。
 こうしてシンデレラは、大きなお城の一室で、ひとりぼっちで暮らすようになりました。
 もちろん家来は大勢いますし、国民も自分を女神のように称えてくれます。4人の孫たちだって、たまに顔を見せに来てくれるので、寂しくはありません。
 ただ、退屈なだけ。
「こういう時は、やっぱりあれかしら」
 若かった頃の美貌もさすがに寄る年波には勝てず、コルセットで無理やり引き絞ったお腹に息苦しさを感じながら、たるんだ足を引きずりつつシンデレラが入った部屋は、お城の書庫でした。
「これはこれは、お后さま」
 眼鏡をかけた髭もじゃの書庫番が、入ってきたシンデレラに恭しく一礼しました。
「今日は、どのような本をお求めで?」
「特に決めてはおりません。面白そうな本があれば、と思って来てみたものですから」
 書庫番は、眼鏡のズレを直しながら
「では、お料理の本などいかかでしょうか?お后さまもお若い頃は、御自分でお料理をなさっていたとか。きっと王室の御馳走にも劣らない、素晴らしい……」
「お料理は、もう二度としないと誓ったのです」
 シンデレラがピシャリと断ったのには、理由があります。初めて彼女がこの書庫を訪れた際、その「料理の本」に興味を持ち、久し振りに自分で料理を始めたのですが、ちょっと油断をして指先を軽く火傷しただけで国中が大騒ぎになりました。
 シンデレラが「それだけは止めて」と息子に言わなかったら、この国では今でも調理に日を使うことが禁じられていたことでしょう。
「ふむ。それでは、編み物の本などはいかがですかな?わたくしが耳にしたところでは、お后さまの編んだ編み物は若い娘に大人気だとか」
「だから困るのです」
 シンデレラが憂鬱そうに答えたのにも、やはり理由があります。子どもたちが生まれた時には子供たちの為に、孫たちが生まれた時には孫たちの為に、色とりどりの毛糸で衣類を編んではプレゼントしていたのですが、あまりにも作り過ぎてしまい、逆にセーターやマフラーが余ってしまいました。   庶民の出らしく、それを勿体無いと思ったシンデレラは、国中の恵まれない人たちに配り始めたのですが、継子から玉の輿に乗った彼女の編んだものは「ご利益」や「良縁」を求める若い未婚の女性たちがこぞって欲しがり、ついには盗みや奪い合いまで起こってしまいました。
 シンデレラが2度と編み物をしなくなったのは、いうまでもありません。
「それでしたら、ええと……」
「あなたが気を使うことはありませんよ」
 言いよどむ書庫番に、シンデレラはにこやかに微笑み、それから大きなため息をついて書庫の本棚へと歩き始めました。

「あら?」
 シンデレラが指を止めたのは、書架に並べられた書籍の背表紙を指で横になぞっているさなか、「魔術入門」と書かれた本の背表紙にたどり着いた時でした。
「あらあら……懐かしいわぁ」
 もちろん、その本に見覚えがあった訳ではありません。
 でもシンデレラ自身には、魔法そのものに懐かしい思い出があります。
 もし50年前の舞踏会の晩に、あの魔法使いのお婆さんが現れてくれなかったら、今の幸せな彼女そのものが存在しなかったのですから。
「履き慣れないガラスの靴で階段を駆け下りようなんて、今では到底思わないでしょうね……あの時は必死だったから」
 よく足首を挫かなかったものだと、若い頃の無謀な挑戦を振り返り苦笑しながら、シンデレラは「魔術入門」を手に取って読み始めました。
「ああ、あったあった」
 小動物を、別の動物に変える魔法。
 野菜を、乗り物に変える魔法。
 粗末な服を、綺麗なドレスに変える魔法。
「ひょっとして……あの時の魔法使いって、このお城に住んでいたのかしら?」
 まさかね、と芽生えた疑問を払拭して、「魔術入門」を抱えたまま、シンデレラは書庫を後にしました。
 別に魔法を使いたいと思ったわけでもなく、ただ懐かしさに駆られて「魔術入門」を読むことにしたシンデレラですが、紹介していた本の内容が、あまりにも簡単そうに書かれていたのが不味かったのかもしれません。
 ページが進むに連れ、シンデレラの関心は読むだけに止まらなくなりました。
「これなら、私にもできるかもしれない」
 魔法使いの助力で不幸な人生から脱出したかつての少女が、魔法そのものにチャレンジしたがるようになったのは、当然といえば当然なのかもしれません。
 とはいえ、「お后さまが城の一室に引きこもり、毎晩のように怪しげな魔術を試みている」などと妙な噂を立てられては困るので、シンデレラは誰にも知られないようにこっそりと、お城の中にあるものを失敬しては新たな魔術を試みることにしました。

 炊事、洗濯、編み物まで出来る変わり種お后さまの、苦手なもの。
 それが「怪しげな魔術」でした。
 こっそり捕まえたネズミを白馬に変えようとしたところ、なぜか巨大で凶暴なドラゴンに変わってしまい、国にはドラゴン退治の騎士たちが13人も集って大騒ぎになりました。
 カボチャは馬車に変わったものの、牽く馬もいないのに勝手にお城の中を走り回り、またしてもお城中が大騒ぎになりました。
 粗末な服をドレスに変えようとしたものの、逆にお城中のドレスが一時的に粗末な服に変わってしまい、やっぱり大騒ぎになりました。
 それでも魔法にこだわっていたシンデレラが、完全に自信を失ったのは、隣国との戦争になりかかった時でした。
「魔法を使えば、戦う心も憎しみの心も洗い流せるかもしれない」
 そう考えたシンデレラは、『争う心を流れる星のように洗い落とせる魔術』の儀式を行ったのですが、どこをどう間違えたのか、戦場に本物の流れ星を落としてしまいました。
 死者こそ出なかったものの、大勢の怪我人が出た両国は「戦争どころではない」と戦場を放棄して撤退したのですが、流れ星による怪我人の姿をお城の塔の上から見たシンデレラは心を痛め、それっきり魔法に対する興味を失いかけていました。
 けれど、そんなシンデレラに合った唯一の魔術が、「魔術入門」の最後の章に載っていました。
『召喚術』。
 お城の宝物庫にあった異国のランプ。そのランプから召喚された青い肌の魔神は、シンデレラの話し相手になりました。
「それじゃあ、あなたたちの世界にも階級があって、位が上の魔神ほど強力な魔術が使えるということかしら?」
「その通りにございます、ご主人様」
 ランプの魔神は、つながった眉毛を震わせながら答えました。
「ちなみに、わたくしは中ぐらいといったところでしょうか」
「上級の魔神というのは、どのようなことができるのかしら?」
「できないことがございません。空間を移動して一瞬で異国の地に降り立つことも、この城そのものを海の底に沈めることも、時間を遡ることさえ上級魔神には可能なのです」
 最後の言葉が、シンデレラの心に引っ掛かりました。
「あら。もしそれが本当なら、小さい頃に死に別れたお母さんにも会えるかもしれない、ということになるわ」
「左様。ただし、上級魔神をこの世界に呼び出すのは生半可なことではございません。わたくしにランプがあるように、まずは奇石が必要になります」
「奇石?」
「かなり珍しい石のことです。たとえば水晶の中に入った色違いの水晶とか……」
「あら。それなら確か、あなたのランプがしまい込まれていた宝物庫で見かけたような気がするわ」

 そして運命の日。
 逢魔が時のタイミングを見計らって、シンデレラはこっそりとお城を抜け出しました。
 コルセットの締めつけからも解放され、綺麗なドレスから濃紺のローブに着替えたその姿を見たとしても、誰も彼女がシンデレラだということに気づかなかったでしょう。
 片手にはビロードに包まれた奇石を、もう片手には禁忌の魔術書と儀式に必要な道具一式を詰め込んだバッグを抱えたシンデレラが向かったのは、城下町の外れにある廃屋でした。
「ああ、まだ残っていたわ」
 すっかり陽も落ち、あたりが真っ暗になったところを見計らったシンデレラはバッグから燭台を取り出し、火を灯して屋内を照らし出しました。
「ただいま、私のお家」
 それから瓦礫だらけの床を掃き清め、開いた空間に魔方陣を描き、その中心に奇石を置いてから魔術書に書かれていた呪文を唱えると、奇石の中に入っていた水晶が輝き始め、次の瞬間にはその場所に、バイオリンを抱えたままうつむいている老人が立っていました。
「あの、もしもし?」
 シンデレラの呼びかけに顔を上げた老人の顔。
 そこには目も鼻もなく、ただ大きな口だけが白い歯をむき出しにして笑っていました。
 普通の女性なら卒倒していたでしょうが、この晩の為に魔術書を読み漁っていたシンデレラは動じません。逆に興奮しながら老人に話しかけました。
「あなたが、上位の魔神ですのね?」
「まあ、そう呼ばれていますね」
 いつの間にか足元に集まってきたハツカネズミを拾い上げ、指で撫でながら魔神は答えました。
「時間を遡ることがお出来になるとか」
「出来なくはありません」
「変身や変化の魔法は使えまして?」
「造作もない。それで、私をこの世界に召喚した理由は? 私に何をさせたいのですか?」
 聞きたい事をすべて聞いたシンデレラは、フゥッと息をついてから魔神に命令を下しました。
「あなたの力を、すべて私のものにしたいの」
「あなたと一体化しろというご命令ですか? それはいけません」
「出来ないのかしら?」
「出来ます」
 即答してから、口だけの老人は急に口ごもりました。
「しかし、入った人間の身体が、とても持たない。せいぜい数時間といったところでしょうか。その後は、燃え尽きたロウソクのようにこの世界から消え失せてしまいます」
「それでいいのよ」
「は?」
「日付が変わるまででいいの。それだけなら持つでしょう?」
「まあ、ギリギリですかね。しかし」
「もう一度、確認します」
 精一杯の威厳を示しながら、シンデレラは魔神に問いただしました。
「物を自在に変えたり時間を遡ったりできるあなたの力を私自身に取り込めれば、明日の朝日は拝めなくても構わない。そう言っているのですよ?」
「承知いたしました」
 指の上で小さなネズミを遊ばせていた魔神がそう答えると、彼の姿は煙のように掻き消え、シンデレラの身体から不思議な力が湧き出てきました。
(自由に望み、願ってください。何でも思い通りになります。ただし、時間をお忘れなく)
 内側から聞こえてきた声は、魔神のものでした。
「ええ、わかっているわ」
 残り数時間の命もなんのその。
 大きな姿見を召喚して自分の格好を見たシンデレラは満足げに頷き、懐から家宝のガラスの靴を取り出しました。もちろん舞踏会で残した片方のみですが、揃いになるもう片方を作り出すことぐらい、魔神の力を得た今の彼女には簡単なことです。
「準備万端!」
 時間を遡りたいと思った途端、シンデレラの前に大きな黒い渦が現れました。
(入ってください。遡りたい時間に遡れます。ところで……どちらへ?)
「決まってるじゃない」
 あの晩に現れた、魔法使いのおばあさんそのものになった老シンデレラは、自分の体内にいる魔神に、そして自分自身に語りかけるかのように意気揚々と宣誓しました。
「待ってなさい、50年前の私! 今すぐ幸せをその手につかませてあげるからね!」

                                  (了)

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