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その生き様に憧憬の念を抱く。ソードアートオンライン

 現代の日本で生に固執している人はどれほどいるだろう。
日々、生きていることに感謝をしている人はどれくらいいるだろう。
「生」が当たり前でなくなった時、私はどこまで生きることに必死になれるだろう。

必死に生きる姿が美しい。羨ましい。
多くの若者に支持される理由はきっとそこにあるのだろう。

ーあらすじー
今では現実のものとなったVR。
そのVRを使ったMMORPGへのフルダイブ。
ソードアートオンライン(以下SAO)は、フルダイブ型のVRゲームの中に閉じ込められ、ゲームの中での死=現実の死となり、生きて現実世界へ帰る道はゲームクリアのみという設定で開幕する。主人公キリトは上位数パーセントのプレイヤーとなり最前線で戦う。

*    *    *

 物語はゲームの中で始まる。だけどこれは現実だ。生き残れなければ死ぬ。本当に死ぬのだ。
 誰もが思うはずだ。自分だったらどうするだろう?

 私だったらまずこう思う。トイレはどうすればいいんだろう?
 脳は直接ゲームにつながっているとは言え、肉体は現実世界で生きている。呼吸をしている。臓器が動いている。当然排泄が必要だ。
 同居の家族がいて、気づいてくれればまだいい。SAOのユーザーは多くが病院に運ばれたらしいし、病院に行けば尿道カテーテルを挿れてもらえる。大もおむつをしてもらえば大丈夫だ。だけど一人暮らしとかで発見が遅れたら・・・?漏らしてるところを発見されて終わりかな?それはちょっと恥ずかしいな。でもまぁゲームの中からもう出てこないなら恥ずかしくもないけど。そう言えば大って肉体に意識が向いてなくても排泄可能なのだろうか?まぁいい、いざとなったら腸内洗浄でもして貰えば死なない。

 現実的な問題がクリア出来たら、次はこう思うだろう。
「ラッキー!ずっとゲームの中にいられるなんて夢みたい。」
 サービスが始まったばかりのゲームの中なんて人生が始まったばかりの赤ん坊と同じだ。しかも現実世界で生きてきている分赤ん坊よりは知恵があるし、親のステータスにも左右されない。だって親なんていないんだから。まさに人生自分次第ってやつだ。病気にもならないから健康に気をつけることなんてないし、どれだけ食べても太らない。スキンケアをする必要もないし、風呂だって入らなくていい。歯磨きしなくたって虫歯にならない。つまり、他人から見ればどうでもいいような悩みは一切合切解消される。ついでに学校や仕事で悩んでた人はその悩みも。死ななければ一生異世界での生活を満喫できる。死ななければ。

 YouTubeでとある歌を聞いた。
その歌のコメント欄は死にたいという言葉であふれていた。
「何不自由なく生きてるけど死にたい。」「親も友達も恋人もいるけど死にたい。」「何か理由があるわけじゃないけど死にたい。」
ただ漠然と死にたいと思う人たちがそこには沢山いた。

人は、生きる意味を考える。
生きる目標や夢を設定させられる。
漠然と生きているだけでは意味がない、何かを成し遂げろと言われる。
「生きているだけでいいんだよ、生きているだけ価値がある。」
心からそう言ってくれる人は、例え親でも少数だろう。

だから、憧れる。
彼らの生き様に。
彼らは必死で生きている。生きるために生きている。

ソードアートオンラインを見終わった時、こう思う若者は少なくないはずだ。
「いつか、わたしも彼らのように生きられる日が来るだろうか。」
「いつか、僕にも来るだろうか。生きたいと心から願う日が。」
「SAOの世界で生きたい。」

おわり

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