ドールズ 《9》
一週間後、レイチェルはアベルと一緒に問題の児童保育施設の扉が見える場所に立っていた。髪色をアベルと同じ黒色にし、長く背に垂らしている。瞳の色も濃い茶色に変えた。
レイチェルの手を握るアベルの手はほんのり温かく、けれど子ども特有の湿っぽさは感じられない。人工皮膚には人ほどの汗腺がないからだが、それが妙に人形らしさを際立たせていた。レイチェルには、見破られることはないと言われながらも、一抹の不安がよぎる。
『No.13、聞こえますか』
『聞こえている』
口を動かさずに思考だけで答える。
『二十秒後に接触を』
『了解』
アベルを促すように手を軽く引いた。アベルはレイチェルを見上げる。プログラムされた表情でにこっと笑う。レイチェルも思わずほほえみ返した。
そのまま施設に向かって歩き出した。アベルは素直に手を引かれてついてくる。扉の前に立つと、インターフォンを押した。
「はい」
「今日、予約していた、ミラ・アンダーソンです」
「今開けますね」
そう言うと、扉がスライドして開いた。レイチェルは緊張した面持ちでアベルの手を引いて入る。やわらかな色と素材でできた廊下を進むと、遠く子どもの声が聞こえてくる。
奥から、物腰の柔らかな男性が出てきた。
「ミラ・アンダーソンさん。IDをこちらにどうぞ」
そういうと、端末を指さす。レイチェルは捜査用に作成されたダミーのIDをかざす。青く光る端末は、そのIDが正しく住民データベースに接続されたことを示した。
「ありがとうございます。えーと、本日は……」
「2時間の預かりをお願いしたくて」
レイチェルは落ち着いた様子で答えた。男性は端末のモニタを見ながら手早く情報を打ち込んでいた。部屋の奥の方を覗くと、子ども達が歓声を上げながら遊んでいるのが見える。中は遊具スペースと、学習スペースに分かれていた。
「この子は……」
はっと振り返ると、男性は不思議そうにアベルをのぞき込んでいる。
「あの……二年前の事件で……」
「ああ、そうなんですね」
男性は気の毒そうな様子で頷いた。アベルは男性に対しても、にこっと笑う。レイチェルは申し訳なさそうな表情を作って言った。
「短期記憶がうまく繋げないのですが、一通りの事はできるように補助記憶を毎日更新しています。こちらのことも、事前に補足してあるので、2時間程度なら問題ないと思うのですが……大丈夫でしょうか」
「ええ、大丈夫ですよ。こちらにはそういう子どもも何人かいるので。投薬や特殊な治療は必要ないですよね? それから、生命維持ネットワークへは登録されていますか?」
手慣れた様子で男性はまた端末に情報を打ち込んだ。
「はい。登録しています。投薬は必要ありません」
レイチェルの答えに、男性は安心させるように微笑みかけると、
「ではお預かりします。決済はID経由でよろしいですか?」
「はい」
レイチェルはしゃがみ込むと、アベルに向き直った。できるだけ母親らしい振る舞いをしなくてはならない。
「アベル、私は今から、お医者様のところに行ってきます。ここで、お兄ちゃん達と待っててね」
「分かったよ、ママ」
そう言うと、アベルはレイチェルの首に手を回し、音を立てて頬にキスをした。プログラムされている行動で、既に何度も練習を重ねているとは言え、レイチェルはママと呼ばれることに微妙な抵抗感を覚える。しかしその気持ちはまるで顔には出さず、アベルを軽く抱きしめると額に口づけた。昔からキワにしていたのと同じように振る舞えば良いので、行動に不自然さはなかった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
レイチェルは立ち上がると、男性に向かって声をかける。男性は強く頷くと、アベルに向かって笑顔で手を差し出した。アベルは躊躇なくその手を掴む。二人は、子ども達の声が響く部屋の奥へと歩いて行った。
レイチェルは施設を出る。歩いてしばらくすると、通信が入った。
『No.13、後ろから一人、先ほどとは別の男性が見ています。そのまま予定通り医院に向かって下さい』
『了解』
レイチェルは少し早足でクリニックが多くある医療区画に向かった。医療区域まで来ると、尾行は切れたらしかった。念のため、予約をしていた医院には入り、予定通りの診察を受ける。一時間ほど医院で過ごしながら、アベルの様子を通信で確認していた。
アベルの瞳には、視認したものを全てネットワーク経由で送るような装置があらかじめつけられている。アベルのIDは作られたものだが、短期記憶を繋げない欠点を生かして、すべて記憶バンクに直接情報を転送する装置がつけられていることが明記されていて、もし施設側が通信に気づいたとしても、そのためのものだという言い訳が可能だった。
『変わった様子は特にないわね』
レイチェルの思考に、他の捜査員が答える。
『ええ、ありふれた児童保育施設ですね。子ども達もごく自然だし、あの妙なムービーも流れているわけではない』
レイチェルは素早くアベルの視野記憶を再度チェックした。時折、施設の男性が言っていた全身器官保護装置のような子どもが数人映り込む。ただし、アベルほどなめらかな動きを行う子は少なく、その中で一人だけ、とても動作がなめらかで美しく、物静かな少年がいることが見てとれた。
その子はアベルの事が気になるのか、度々アベルに目を向けていた。アベルに笑いかけられたようで、たまにぎこちない笑みを返している。通りがかった施設の男性に、アベルの事を聞いているようで、指さす様子も見えた。
『No.13、そろそろ時間です。施設に戻って下さい』
女性の声が頭に響く。
『了解』
レイチェルは医院を出ると、施設に向かった。先ほどと同じようにインターフォンを押すと中に入り、先ほどの男性に挨拶した。
「あ、アンダーソンさん。待ってて下さいね、今呼んできます」
男性はアベルを伴って出てきた。レイチェルはアベルを呼び寄せる。アベルは嬉しそうに近づくと、レイチェルに抱きついた。
「いい子にしてた?」
「うん」
レイチェルは立ち上がった。アベルの手をつなぐと、男性に向かって
「どうもありがとうございました。また利用させていただくかもしれません。ちょっと通院がしばらく必要なようなので……」
と神妙に申し出る。男性は笑顔で
「ええ、またいつでもどうぞ」
と答えた。それからアベルに向かって、またね、と手を振る。アベルはにこっと笑うと、手を振り返した。
レイチェルがほっとしてふと廊下を見ると、あの綺麗な顔立ちの少年が部屋と廊下の境あたりに立っていた。レイチェルの視線に気づくと、ふい、と顔を逸らしてまた奥に引っ込んでしまった。
「あの子は……」
「ああ」
男性は少年の後ろ姿を認めて言った。
「彼は難病で、境遇が似ているのです。ほぼ全身器官保護装置なので、アベル君にも興味を持ったみたいでした。彼はほぼ毎日来ていますね。そろそろ、年齢を上げる手術を受けても良さそうな頃ですが……失礼、しゃべりすぎました。是非またご利用ください」
人の良さそうな男性は、客の情報をうっかり話してしまったことにやや慌てているようだった。レイチェルは微笑んで安心させるように頷く。アベルの手を引くと、施設をあとにした。
「あの子」
かなり遠回りをして、アベルを偽の自宅に預けたあと、服装や髪型や目の色を変えて作戦室に戻ったレイチェルは、その場にいた隊員達に一言だけ告げた。隊員の一人がすぐにモニタを呼び出す。アベルの視点から見る少年の映像がモニタに大写しになった。
「気になりますよね」
男性の隊員が飲み物を口に運びながら答える。
薄い金色の髪が、額にふんわりとかかっている。青い瞳は透き通るように美しく、肌は人工皮膚特有の均一さで、とても美しかった。もともとそういう顔立ちだったのか、それとも器官保護装置に移す段階でこの顔立ちに変わったのかは分からないが、一目見ると忘れられないような美しさだった。
「何が分かった?」
女性の隊員がすぐに答える。
「彼の名は、グレン・ロウ。現在のロストチャイルド財団を設立した、パトリック・ロウの一人息子でした」
「……でした?」
女性はレイチェルの言葉に頷く。
「グレン本人は、死亡したことになっています。十年前に、水難事故で。十歳でした」
レイチェルは女性の顔をじっと見た。
「S街区に住んでいた、既に死んでいるはずの子が、何故D街区の児童保育施設にいるの」
女性は言いづらそうな顔をした。
「彼の両親が……息子を忘れたくなくて彼を作ったようです。両親も二年前のあの事件で亡くなっていますが、学校には入れないのであの施設に昼間は通っているようです」
「つまり、ドールだって言うこと?」
「法律的にはそうなります」
「保護者は誰なの? もう両親はいないんでしょう?」
「送迎をしているのは、彼の持つ財団の執事のようです。保護責任者は伯父ですが、ほとんど接触はないとのこと」
レイチェルはモニタを見た。
彼は、器官保護装置を使っているのではなく、単なるドールという事か。いや、それにしては『自分で考えて行動している』ように見えた。あれも全てプログラムだというのか?
レイチェルは動画を何度も繰り返させる。施設の男性を引っ張ってアベルを指さす様子。アベルを見送るかのように見えた廊下での立ち居振る舞い。そもそも、施設の男性は彼がドールであるなどとは疑ってもいないようだった。
「ロストチャイルド財団は、一体何をしているところなの」
「子どもを失った親で作る、メンタルヘルス事業を行っている財団ですね……。運営費用の一部で、子どもが事故に遭った家族へのサポートも行っているようです」
「サポート?」
「資金援助ですかね。低利で貸金業を行っているというところでしょうか」
レイチェルは得心した。
「それから」
女性が更に言葉を継いだ。
「あのムービーに出ていた蝶は、財団のモチーフです」
レイチェルは黙って口に右手を当てる。
符合。偶然にしてはできすぎている。
作戦室の扉が開いた。レイチェルを含め、隊員達が一斉に振り返る。
「入っても良いかい」
まるで銃を向けられたかのように両手を挙げたデリックが立っていた。
「当たり前です。作戦中なのに一体どちらに行かれていたのです?」
レイチェルが呆れたように言った。
「おいおい、アベルをあのままあの部屋には置いておけないだろう。サム博士のところまで送ってきたんだよ」
「課長が自ら行かれなくとも」
「ちょっと博士に確認したいこともあってね」
そう言いながらデリックはモニタに何度も呼び出される少年の映像に目を留めた。
「彼ね。やっぱり気になったか。僕も映像は見てたんだけど」
そう言うと、これ、再生してくれる? と女性にカードを手渡した。
女性は機器に情報を転送して再生する。
映像には、サム博士のラボから出てくるグレンの様子が映っていた。すぐに専用ポッドに乗り込み、駅を使わずに直接S街区へ上っていった。
「金持ちだねえ。さすが財団の一人息子。いや、一人ドールか」
レイチェルは絶句している。
「なんで……サム博士のところに」
「ちょっと、そうじゃないかなって思って。彼は、器官保護装置の第一人者だから」
そんなことは分かっています。レイチェルは口の中で呟いた。
デリックは聞こえなかったふりで、話を続けた。
「グレンは、十年前に亡くなっている、それは話に出たかな」
隊員達は頷いた。レイチェルも頷く。
「享年十歳。海に出かけた際にボートから転落して溺れてしまった。夫妻はそれはもう嘆き悲しんで、彼をどうにかして生かそうと試みた。しかし、最高レベルの治療を様々に施されたにもかかわらず、彼は命を落としてしまった」
でも。とデリックは彼の静止画を見ながら続ける。
「万が一、死んでしまったときのために、夫妻は彼の脳内を丸ごとデータ化しておいた。 結局グレンは死んでしまい、夫妻は彼の脳内データを持って様々な場所に赴いた。サム博士のもとにも。サム博士は、脳内データを丸ごとコピーした基盤をドールに埋め込めば、維持費もそれほどでなく子どものように側に置いてはおけるだろうと話した。まあ、夫妻にとって維持費なんてどうでも良かったろうが」
隊員達は静まりかえる。
「彼はドールだ。それは博士に確認した。彼の内部には、脳もそれ以外の器官も保護されてはいない。完全にプログラムされた命だ。AIで学習もする。彼の両親は彼の脳内データを移されたドールを、それこそ本物の一人息子のように可愛がっていたそうだ」
デリックはレイチェルを見た。
「すでに両親は不在で、彼を維持しているのは彼自身の意思のようだ。ドールにそのような意思があるのかは分からないが、両親の死後三年近くも動いているのを見ると、そう考えざるを得ない」
レイチェルはデリックに言った。
「でもドールなんでしょう」
「そうだな。もし彼が子ども達の失踪に絡んでいたとして、動機が何かがまだまったく分からない。とりあえず彼の身辺を洗うことが先だ。皆で手分けして情報を集める。レイチェル、二日後にも同じようにまたアベルを預けに行ってくれ」
了解、の声が響く。レイチェルは訝しげな顔をしたまま、しばらく動けなかった。
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