ドールズ 《12》
「レイチェル、おはよう」
キッチンにたたずんだまま考え込んでいたレイチェルがはっとして振り返ると、キワが立っていた。ガウンを身につけて、髪を拭きながら、昨日と変わらない顔で微笑む。
「おはよう」
レイチェルも微笑み返す。
「数値は?」
「レイチェルに送ったよ」
了解の意を伝えるために軽く手を上げると、レイチェルは眼鏡型簡易モニタに数値を呼び出した。数値をチェックしながらキワに問いかける。
「具合はどう?」
「んん、昨日とあまり変わらないかな」
そう言うとキワはあくびをした。レイチェルはそんなキワの様子を横目で見ながら、数値を追い続けた。一応どの数値も基準値内。少しだけ、やはり脳の意識レベルと記憶レベルが低下しているか……。
「ねえ、そういえば聞き忘れていたけど、博士とはどんな話をしたの」
「そんなに大した話はしてない。キワのことも少し話した」
嘘はついていない。キワは、そう、というと、話題を変えた。
「今日は遅いの?」
レイチェルは考える。
「今、少し立て込んでるから遅いかもしれない。もし八時までに帰らなければ先に寝てて」
「分かった。ごはんは作っておいておくね」
レイチェルは、カウンターを回ってキワの側に行くと、いつもありがとう、とキワの頬にキスをする。おひさまに焼けたような、溶液の独特の臭いがした。この匂いを嗅ぐと、小さい頃のキワを抱きしめたときの匂いを思い出す。レイチェルはいつもそう思った。
いつもより少し早めに署に着いた。飲み物を買って対策室に入ると、既にデリックが来ていた。
「早いですね」
「レイチェルも早いじゃないか」
デリックは振り返ると笑った。レイチェルは肩をすくめながら、
「キワが最近早寝だから」
と軽く笑った。デリックは迷うような様子を見せながら
「キワの様子はどうだい」
と聞く。
「一進一退ですね」
「そうか」
なるべく平坦に答えたつもりだったが、沈鬱な空気が垂れ込めた。レイチェルは何事もなかったように話題を変えた。
「昨日のメッセージの意味はなんです?」
デリックは、ああ、といって顔を上げた。
「アベルの記憶に外部からアクセスがあったんだ」
レイチェルは驚いて、口に持っていきかけたコーヒーをテーブルに置いた。
「どこから」
デリックは無言で、部屋の前にあるロストチャイルド財団の蝶のロゴを顎で示した。
「入ったのは、昨夜遅く。そこからどういうアクセスだったかを調べていた」
「まさか、徹夜ですか」
デリックは首を傾けて苦笑いし、ま、たまにはね。と答えた。
「記憶の改ざんをしようとしていたようだった。何をするのかを突き止めないといけなかったから、一応させるがままにしておいたんだけどね。もちろんアベルにまだその記憶を同期はしていないが、中身は何だったと思う?」
「さっさと言ってください」
冷たく言い放つレイチェルに、デリックは口を尖らせた。
「少しはもったいぶらせてよ。眠いのに頑張ったんだから」
そう聞いてレイチェルは辺りを見回した。誰か数人は必ずいるはずの対策室に、今はデリックが一人だけだ。
「だから今日は誰もいないんですか」
「そうだよ。流石に部下には仮眠をとらせないと、捜査のパフォーマンスが下がっちゃうからね」
「……工作が分かった時点で私も呼び出していただければ」
デリックは、だって目が覚めたときに君がいないと、キワちゃんが可哀想でしょ、と言った。レイチェルは視線を落とし、言い返せずに息をついた。
「それで、改ざんしようとしていた記憶の中身なんだけど。あのグレンという男の子と、施設で友達になったっていうような記憶だった」
レイチェルはデリックを見た。
「初対面の時に近づいても、アベルは彼のことを『覚えない』ことを『知っていた』。そして確実に『覚える』方法を探ってきた。接触しても、確実に記憶に残るかどうか分からないと思ったのかな。それで、過去に失踪した子達を調べてみたんだけど、ほとんどの子が器官保護装置をつけていても記憶がうまく繋げられないタイプの子達だった」
デリックは、これ飲んで良い? と言ってレイチェルのコーヒーを取り上げる。レイチェルはどうぞ、と勧めた。じゃ遠慮なく、と言いながらデリックは口に運び、流石に疲れたようにため息をついた。
「つまり、グレンはさ、器官保護装置をつけてるか、人体型器官保護装置内に臓器を格納しているタイプの人間に近づいて、その子ども達をどうにかしてるんじゃないかな、というのが僕の今のところの見解。またあとでみんなが来たら詳しく話すけど、確度はかなり高いと思う」
「でも、どうして」
レイチェルの問いに、動機はまだ、分からないな。ちょっと考えるところはあるけど。と答えながらデリックはコーヒーを飲み干した。
「これごちそうさま。今度おごるよ。僕もちょっと仮眠してきてもいいかな。さすがに歳なのか、徹夜は体に堪えるよ」
大げさにぼやくデリックに、レイチェルは手で、どうぞ、とドアの方へ勧める。
「改ざん記憶は、どうするんです?」
「うーん、博士が許してくれれば、僕はアベルにあの記憶を入れたいな。それでもう一度接触させてみたい。あ、記憶映像は格納してあるから、チェックしといて」
じゃ、二時間くらいで戻るから。そう言い残して、デリックは去って行った。
レイチェルは一人残される。対策室を空けるわけにはいかないため、とりあえず昨日の改ざんしようとした記憶を見てみることにした。
関連データが入っている端末にアクセスする。インデックスを確かめ、夜中の日付の映像がいくつか見つかったので、検討をつけて再生してみた。唐突に、きゃあきゃあという子どもの声と、施設内で飛び回る子ども達の映像が表示される。数秒その表示が続いたあと、グレンがじっとこちらを見ている映像が飛び込んできた。
グレンがこちらを見ていたこと自体は、アベルの視覚情報から確認できていた。しかし、その映像から先が事実とは異なっていた。
グレンはにっこり微笑みながらこちらに近づいてきた。アベルに親切な様子でいろいろ尋ねる。特に体のことを聞いているようだった。アベルは全く答えていないが、グレンが一人で話している。まるで会話が成立していたかのような相づちだった。これをもし実際にグレンが一人でアベルに対して行っていたとしたら、施設の大人からは相当不自然に見えただろう。
「これを見越しての、改ざんか……」
レイチェルは呟く。アベルに覚えてもらうには「仲良く話していた記憶」を作らなくてはいけない。しかしアベルは短期記憶がうまく繋げないので「すでに記憶していることしか話せないしできない」。もちろん、時間をかけて仲良くなることもできるが、「すでに仲が良かった」記憶を植え付けた方が、ずっと早い。
しかし、何故?
何故、器官保護装置をつけている子どもを狙う?
レイチェルはグレンの人形のような美しい顔が、かねてからの親友のようにモニタに向かって話しかけてくる映像を見ながら考え続けた。
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