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「高学歴ホワイトカラーが多い社会=みんなが立ち見するコンサート」説

こんにちは。
二つ目の記事でさっそく歴史からやや外れていますが、「高学歴ホワイトカラーが多い社会=みんなが立ち見するコンサート」説について書こうと思います。


高学歴ホワイトカラーについて

ここ数十年で大学進学率は大幅に高まり、今や大学全入時代と言われています。それに伴って大学卒業後、いわゆるホワイトカラー職に就く人の割合が増加しています。

前回の記事(「JTC総合職=武士」説)にて、ホワイトカラー職は一般的に給与水準が高く、管理者サイドの業務に携われると書きました。

そのため、大学卒業後、多くの人がホワイトカラー職を目指しています。一方で、ブルーカラーと言われる職種は3Kと言われるようなイメージがあるからか大卒層には不人気です。

このような状況があるため、世の中の親たちは少しでも良い暮らしが送れるようにと、多額の教育費をかけて塾に通わせたり私立の学校に入れたりしています。(最近は幼稚園児でも複数の習い事に通い、小学校低学年から塾に通うのも珍しくないそうです。)

みんなが立ち見するコンサートについて

次に、いきなりコンサートの話をします。
全員が着席して観るコンサートをイメージしてください。全員が座っている状態だと、コンサートを普通に楽しむことができます。

そこで一人が立ち上がって観ようとします。そうすると、その人は周りの人よりも前がよく見えるため、周りの人よりもコンサートを楽しむことができます。(マナー違反ということはいったん無視します。)

それを見た他の人も次々に立ち上がってコンサートをより楽しもうとします。するとどうなるか。はじめの方こそ周りが座っていて自分だけ立っている状態だったので、前がよく見えていたのが、周りの人も立ち上がると、立っていてもあまり前が見えなくなります。

これを経済学用語で「合成の誤謬」などと言ったりします。要は、個人にとって最適な行動を全員が取ると、全体にとっては最適にならない状態が生まれます。(このあたりは囚人のジレンマなどで代表されるゲーム理論という経済学がとても面白いです。また機会があればこちらも深掘りして記載しようと思います。)

共通項

私は個別の事象を抽象化して共通項を見つけたがるという謎の習性があるため、これまで話した二つの事象の共通項を解説します。

結論から書くと、高学歴ホワイトカラーが多い社会というのは、まさにこの合成の誤謬が起こっている状態だと考えています。
個人個人は、少しでも良い会社に入るために勉強やスポーツを頑張り、良い大学に入ろうとします。しかし、それが社会の多数になると、実際に手を動かして財を生産する人が少なくなります。

現に、ここ数年建設現場などでは人手不足が深刻化しています。現場ではどこも人が足りない状況である一方で、中高年ホワイトカラーが希望退職でリストラされる、といったことが同じ時代に起こっています。

この問題の根深いところは、個人としては最適な行動を取っているため、なかなか行動を変えられないことです。みんなが立ち上がったコンサートで自分だけ座るとまったく前が見えないように、周りが塾通いしている社会で自分だけ行かないと落ちこぼれてしまうと思ってしまいます。

ちなみに、歴史的にこういう状況は社会矛盾が大きくなっている状態などと言い、このような時は革命や戦争、体制転覆などで社会体制が変革されることがしばしば起こります。

前回と似たような話になってしまいましたが、この説は以上です。異論は受け付けます。
お読みいただきありがとうございました!

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