2023_0520_本読み
<1408字>
冒頭の写真:
神代植物公園へ行きました。春のバラフェスタが開催されていて、平日でもけっこうな人出でした。バラにあまり興味がなくて、この梅の木に付着させた、セッコク(石斛、って書くそうだ)が目にとまりました。
たしか江戸時代あたりにけっこうはやった園芸植物だったんじゃなかったかな。
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5月20日(土)は以下を読みました。
『あまりにロシア的な。』
亀山郁夫 著
青土社
第4章 記憶の冬、冬の記憶
2 雪の朝、モスクワに……
(235〜238ページ)
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1995年1月のメモランダム、という題で、チェチェン戦争下、1月の1日から31日まで、その日の著者の行動を書いた日記。多くの人と会い、話し、原稿を書き、さまざまの種類の劇や絵や音楽を味わい、という「日常」。
(音読した人:山崎)
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『沖縄ノート』 大江健三郎 作
岩波新書
八重山民謡誌69年
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著者自身の自己嫌悪の部分のしゃべりを聞かないようにして、感じてみよう、と前回思ったが、これは呪詛としてのことばであって、論理を明快に伝えようというものでは全くないし、全部が呪いで埋め尽くされてるように、あとでzoom画面を撮ったスクショで読むと、そう感じた。
いっぽうリアルに聞いていたそのときは、私は眠気がひどくて、全然意味を取れなかったのだった。
ちょっと自分でも音読してみたいと思った。どんな気分になるのだろうか。
多くの人は、論理関係を把握し、理解しようとつとめるのだろうが、
むしろ、呪詛だけを受け取る、という読み方もあるなぁ、それは音読をするととても感じるなぁ、と思った。(ちょっと複雑な文になると、音読では音を出すのが精一杯で文全体の意味はわからなくなる)
(音読した人:こいでさん)
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『俳句的生活』 長谷川櫂 著
中公新書
第10章 俳
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911跡地のグラウンドゼロ(とは、元々は「爆心地」の意味で、広島や長崎について使われた英語)についての、安藤忠雄のデザイン案を称揚する内容。
山崎は、
ちがうものを同じ名で呼ぶ、という違和感を感じずにはいられなかったです。複雑ですね。グラウンドゼロ、というカタカナ言葉の日本語。
と書いてみてから、ground zero、というがどの程度「爆心地」という意味であって、「広島長崎のそれ」なのか、その辺の感覚がわからないので、それを単純にカタカナにして、また別のところのことを、そう呼んじゃうだろうなぁ、というメディアの気分はわかるけど、自分は使いたくない、と思ったのでした。
(音読した人:きよもとさん)
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『芭蕉七部集』 中村俊定 校注
岩波文庫
『猿蓑』
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表題をしるしたページにあった乾坤は、二巻のうちの第一巻が乾、第二巻が坤、という意味としりました。これのかもしだす雰囲気はどんなものだったのだろう。
また、陽と陰の気分が現れた巻1と巻2、なのかどうか、そこも意識して読んでみようと思いました。
とそれはさておき、これまで『芭蕉連句集』で歌仙のかたちの連句ばかりを読んできたので、猿蓑も当然それかな、と読み出したら、いきなり575だけの連発でびっくりしました。しかも全部が「時雨」ということばを含んでいて。
読後に猿蓑を検索して、其角と凡兆による(そして芭蕉が監修ポジション)選集、ということを知りました。連句を巻く、というのとはまた違った世界のものらしい。またまた興味津々です。
(音読した人:山崎)
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