2021_1227_本読み

12月27日(月)は下記を読みました。

これで今年は読み収めです。


『声で楽しむ日本の詩 和歌・俳句篇』大岡信/谷川俊太郎  編

、岩波書店☆今日の俳人:草城 草田男 不器男 立子 林火

〈秋の航一大紺円盤(いちだいこんえんばん)の中〉

この面白い漢字表現がどう区切って読めばいいのかわからず。読後にCDで松本幸四郎さんの朗読を聞き、ああ、こんなふうに!

と、なんとなく理解しました。

(音読した人:山崎)





『111本の木』リナ・シン/文 マリアンヌ・フェラー/絵


こだま ともこ/訳 光村教育図書

インドのラジャスタンの村での木を植える活動のことでしたが、昔話のようなお話が、実際のことなのが驚きで、いい話でした。

(音読した人:はやしさん)



『家守綺譚 』梨木 香歩  著

 新潮社
ツリガネニンジン
南蛮ギセル

ふわーっと美しいお話だったなーとなんとなーく思い出しました。

山崎は(繰り返し書いていますが)植物好きなので、ついついツリガネニンジンとか南蛮ギセルを思い浮かべつつ、感じてしまいます。南蛮ギセルの方は実際に見たことはないですが、ススキなどの寄生植物で、すごく興味深いです。

(音読した人:きよもとさん)




『節英のすすめ』 木村護郎クリストフ 著

萬書房
第2部 節英はどのようにできるのか
《コラム7》理系研究者の言語事情ー英語オンリーは非効率
1 論文の読み書き(2722〜2756/3674)

ほとんど論文は英語で書くという環境だが、日本語で書いたものは、日本人の中では専門外の人にも読まれるので、広がりを持つ、というよう体験が書かれてました。

また「インパクトファクター」について苦言を呈していたのが印象的。このことば良く知らなかったのですが、その論文が過去5年にどれだけ引用されたか、という指標(テレビの視聴率みたいな雰囲気を感じました)。

(音読した人:めいさん)





『芭蕉連句集』

岩波文庫、63〜65ページ辺
十七 初秋は(幽蘭集)

初秋、と秋の季語から始まって、二句目(=脇句)にある注は

〈口とむる月  ー   月は季を合わせたもので投げ込みの月と言われている〉

で『連句 理解・鑑賞・実作』の歌仙季題配置表でみると、発句が秋だと、脇句は秋の月、とあり、まさにこの実例!とちょっと嬉しいです。

〈施餓鬼過ぎたる入相の幡〉

入相(いりあい)の鐘が夕方の鐘とのことで、雰囲気を知りたくなり、ネットサーフィン的にいろいろ検索(結局、時刻のことじゃなく暦のことを調べてしまいました)。

まず、前後の十六や十八の日付を確認すると、この歌仙は貞享5年7月10日。これを検索していたら、下記のサイトを見つけました。https://keisan.casio.jp/exec/system/1239884730

それを使って、西暦(現行のグレゴリオ暦)に直すと1688年8月26日。これで少し、季節感が感じられます。まあ、気候も今とはずいぶん違うだろうから、所詮錯覚的ではありますが。

このサイト、カシオ計算機がやっていて、いろいろ面白そうです。

明治の改暦(明治5年12月3日が、グレゴリオ暦に改暦して明治6年1月1日になった)の日付も書いてありました。たしか福沢諭吉が公務員などへの出費を抑えようとしてやった強引な改暦(12月の3日分を踏み倒し、この一年を11ヶ月にする)という話を思い出しました。

(↑これ間違いで、福沢諭吉は政府の人ではなく、政府のやったことを擁護する本を書いた、ということです。2022年7月5日付記)

ですが、国立天文台のページで太陰太陽暦を見ると、平均19年に7回くらいは閏月があったとのことなので、当時の感じとしては、強引だけれどもまああり、みたいな感じだったのかな、と思いました。いや、でも、13月の年はあるけど、11月の年なぞありえないから、そんなことはないですねやはり。

さらにいろいろ見て、二十四節気、というのは、太陽暦と関連づけるというか、季節感のための指標なんだな、ということが朧げにわかったりしました。

(音読した人:山崎)

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