『甦るフレーブニコフ』音読記録その15

〈 1391字 〉

『甦るフレーブニコフ』音読記録 は、
2020年末〜2021年初めにzoomで音読した毎回の感想を改めて書き出したものです。

著者の亀山郁夫先生のzoom講義(2022年12月4日(日)10時から12時、ヒッポファミリークラブ主催)がありますので、これを機会に、と思いアップしています。

12月4日までにアップし終わるように、2日分程度アップしていこうと思います。

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2021年1月23日(土) 第24章 孤絶
「帰還」と「葛藤」
(486〜505ページ)

フレーブニコフを崇敬する画家ピョートル・ミトゥーリチが現れ、晩年(といっても30半ば過ぎ)のフレーブニコフの面倒を見ました。

そのことで、マヤコフスキーとの確執が一層ひどくなる様子が、語られます。
何が事実なのかは、きっとその人それぞれに違う感じ。

フレーブニコフの原稿は、マヤコフスキーの手を経て、ローマン・ヤーコブソンに渡り、チェコでフレーブニコフを論じたヤーコブソンの本が出版され、その本のよってフレーブニコフ「理解」が始まったことは、本書の初めの方にあったと思います。

そして、1960年代に、榊原陽さんがヤーコブソンと出会うことで、 「創造のふるさとは未来にある」 というフレーブニコフの一種謎的な句が榊原さんの著書に組み込まれることとなり、それを読んだ山崎が、今、この本を読んでいることになったのです。

四年前のトーゴ行きもご一緒させていただいた、かみとまいさんが、そこらへんの感慨も言ってくださいました。
(榊原さん、かみとまいさん、亀山先生、というフレーブニコフ繋がりも)

2021年1月25日(月) 第24章 孤絶
「死」
(505〜513ページ)

フレーブニコフの死の様子が、ミトゥーリチのことばなどで詳しく書かれる一方、詩の引用でも詩人のその時の雰囲気が伝わります。詩の意味付けで、印象的なことばが、いくつもありました。

〈いついかなる場面にあっても非人称の仮面をまといつづけ、「孤独な役者」の演技に徹していた〉

〈詩人のパーソナルな自我が一人称複数の集合的意識へと溶解し、変貌するドラマティックな軌跡をみごとに言語化〉

〈ぼく-国家-太陽の三位一体のメタファーが下賜する自由とは「日焼け」なのだ。〉

などなど。
わからないのですが、だからこそ、詩の全体を読みたくなりました。もちろん、ロシア語の音も聞いてみたいです。

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〈日焼け〉のところ、ギャグな感じ。天才バカボンをちょっと思いました。そんなテイストもありそうです。永井豪を思ったり、赤塚不二夫を思ったり(山崎は漫画に詳しくありませんが。。。)

『あまりにロシア的な。』の方でマヤコフスキーが出てきたばかりだったので、ここの流れだとこんな役回りだったんだな、とおもました。そしてマヤコフスキーにはギャグがなさそう。そのへんも味わっていきたいです。

このころはまだ参考文献のページを読む、ということを知らなかったゆえに、まだ「ロシア語の本」や「ロシア語の音」に触れてないのです。インターネットの入り口は「文字」がとても便利ですね。

参考文献や注をしっかり音読する楽しさは、ヒッポでのオンライン輪読で、おそわり体験しました(正確に言うとヒッポっていうよりそこに居る人からですね)。

あれは、非常に世界が広がりますね。

(2022年11月28日追記)

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