2021_0913_本読み

9月13日(月)は、

山崎
1、『ドラッカーと論語』安冨歩 著、東洋経済新報社、
第2部 ドラッカー思想の歴史的意義
第4章全体主義〈組織の罠〉
批判を許さない”強いリーダー”
孔子が憎む者
全体主義とは「覇道」である
フィードバックなき組織の弊害
全体主義は経済的にも最低最悪の浪費
隠された『マネジメント』の目的
(1444から1571/2724)


論語の引用は以下
・子路第一三、一五
・陽貨第一七、二一

これを読んだ後、参加のみんなとちょっとしゃべったのですが、論語の解釈というか、現代語訳が、読み下し文を読んでいる『論語』(金谷治 訳注、岩波文庫)とはすごく違っているところがあります。

それは知っています。

前に『生きるための論語』(安冨歩 著、筑摩書房)を読んだときにそう思いました。

古代の中国語が、どう読むかがここまで色々と可能なのか、ということに驚いたのです。

現代の日本語、しゃべる言葉と書く言葉が近いです。
言文一致をしようという運動の結果ですよね。
それがどうして起きたのか、知らないので知りたいです。

古代の記述って、言文一致をしてる現代人の感覚からは、相当、なんというか、構造的にもかけ離れてるものなのかもしれない、と思います。

ノーバート・ウィーナー(サイバネティックスの提唱者)の使ったフィードバックという言葉が繰り返し出てきます。

ウィーナーは1935年から36年に北京の精華大学に滞在して儒教的教養を持った友人をたくさん持った、とありますが、ここ、とても興味あります。
ゲルニカ爆撃(1934年)と重慶爆撃(1937〜)の間にあるこのときの中国てどんな状況だったのだろうか。

また、ウィーナーについてほとんど何も知らないけれども『胎児の世界』(三木成夫 著、中公新書、p.43)に、クロードベルナールとウィーナーの顔写真が並べられて、内臓世界と体壁世界、という言葉が添えられているのが、大学時代からずっと頭にあって、今もそこを開いて眺めました。

安冨さんの本を読んでいると、関係を見つけ出す楽しさをついつい刺激されます。


こいでさん
2、『芸術と科学の間』福岡伸一 著、木楽舎、 Ⅹ メランコリアⅠ 
北斎瀑布にベクトルを見出す(諸国滝廻り下野霧降山)
分子生物学教科書の裏に遊び心(ワトソン『細胞の分子生物学』) 
晩年でも傑作は生み出せる(モンドリアン、ブギウギ)
 

読了しました。
最後まで面白かったです。絵の滝にベクトル、そんなことは思ったこともなかったです。ですが、滝の形も「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にはあらず」と思うと、たまたま動きがその形をとっているだけであって「物」ではないんだな〜、と妙に朝永振一郎先生が、電光掲示板の文字で電子という粒のあり方を説明していたのが思い出されたりしました。

美術と自然科学を中心に、思わぬ繋がりを見つけて、それをごくごく短い文で言い表すのが、本当にすごいなぁと思いました。

めいさん
3、『節英のすすめ』木村護郎クリストフ 著、萬書房、3、 「自国化」による情報伝達の屈折  (621~630/3674)


各国で流されるニュースは、その国の国内ニュースはもちろん、国際ニュースがとても違っている、という「ニュースの自国化」を見ていく、というこの章の説明でした。
山崎は、YouTubeで主としてアメリカやイギリスのコロナに関するニュースを紹介してくれるチャンネル(一月万冊)を見ているのですが、色々日本では報道が抑えられてるところがあるんだなーと感じます。何もかも忖度だらけで身動きが取りにくい日本の現状が、なんとなく感じられます。


きよもとさん
4、『アインシュタイン 時をかけるネズミの大冒険』トーベン・クールマン 作、金原 瑞人 訳、ブロンズ新社



読み終わりました。
ともかく、絵の描写がとても細かかったです。画面越しに眺めるのは残念なので、今度一度借りて眺めようと思いました。時代を隔てた2つのシーン、時計屋のシーンと特許局の屋根裏部屋、が特に比べて眺めたいです。
それから、最初の方で、子ネズミはアインシュタイン、と呼びかけられていたように思うのですが、それがどう話の筋に繋がったのをつかみ損ねましたし。
本編が終わった後、相対性理論の詳しい解説?みたいのもありそうでした。それもちょっと見てみたいです。

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