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2022_0703_本読み

<1633字>

冒頭の写真:
まったくどうということのない、植え込みです。

これがニシキギです。

下の『芭蕉連句集』で錦木にしきぎが出てきたので、近所にあるのを撮ってみました。

が、17世紀の(あるいはそれよりももっと前の)錦木が今のこのニシキギであるかは、かなり不明と思います。

錦に木をつけた名前って、どんな木にも付けられそうですし。



7月3日(日)は以下を読みました。

『虹の解体』 リチャード・ドーキンス 著

福岡伸一 訳
早川書房
第5章 法の世界のバーコード

全体を見ないで部分を見る世界になってしまっている、と読後にしゃべっている最後に、こいでさんが言いました。

「科学」をきっちりやろうとしていくと、部分をしっかり確かめる世界になっていってしまうのだと思います。

こいでさんいわく「これは「虹の解体」をした、ニュートンの罪、だろう。」

その「解体」はワクワクするような大発見で、その魅力は抗し難いものだったろうと思います。

頭のいい人が、そのワクワクで突っ走って行ったのが、今の世界のような気がします。みんながしゃべりあえる、ということを実行することが必要ですね。


わかってる人がわかってない人を出し抜くような仕方ではなく。

(音読した人:山崎)






『暗殺の年輪』から「溟い海」 藤沢周平 著

文春文庫

英泉や国芳、もちろん北斎も広重もですが、絵だけで知っている浮世絵師たちが、こうして生き生きとしゃべる人として登場してくるのが、山崎には新鮮です。

映画やドラマなどとはまた違う感じなんですよね。

お話を聞くのって不思議な感覚です。あらためて感じます。

北斎の『富嶽三十六景』は1831~34年、広重の『東海道五十三次絵』は1833年。このお話の「今」はどこなんでしょう。

(音読した人:こいでさん)





『連句  :  理解・鑑賞・実作』  五十嵐讓介 著

おうふう
第五章 東明雅 著

再び「第三」について、でした。

こういう説明を読むと、なるほど〜とわかったような気になります。

助詞や助動詞の、音、意味、つながり、などがダイレクトに感じとれたら、楽しいだろうなぁ、と思います。詩の中にある文語というのか。

先輩にみてもらいながら、詠んで経験を積んでいくものだ、と文中にもありましたが、他の分野に増して、そういう世界ですね。

(音読した人:きよもとさん)






『学問のすゝめ』 福沢諭吉 著


岩波文庫
十五編 事物を疑いて取捨を断ずること

長い鎖国の時代のあとに、西洋諸国の文明が押し寄せてくる状態に対して、どう立ち向かうか、大変だ、と思いました。

何が変わり、何が変わらないのか、興味があります。

サコさんが言っているとおり、人のいかようにでも変わってしまう、変われる特性を持ってますが、変えられないもの、も持ってるわけですよね。

人体を作っている細胞が全部死に変わるのに 日ですが、だからといって「自分」は保たれてる、というこの感覚でもあるような気がします。

(音読した人:めいさん)






『芭蕉連句集』  中村俊定・萩原恭男 注

岩波文庫、
三四 溫海山や(曾良俳諧書留)114〜116ページ
三五 馬かりて(卯辰集)117~119ページ

錦木にしきぎの故事から、色を好む宮人、で終わって、そこはかとない笑いが残るような感じでした。

奥州での錦木の風俗は、面白かったです。近所の病院脇にもニシキギ植っているのですが、これがそれなのかどうか?

三五には、北枝ほくし登場。このあいだの連句の本に登場した人ですね!この連句は、7月27日に山中温泉。

三四は出羽酒田で6月21日。

この間の距離はグーグルマップでみると507キロ。すごいような気がしますが、そんなもの、でしょうか。

(音読した人:山崎)

下は、冒頭のニシキギの拡大。

枝にぴらぴらしたものが付いているのが著しい特徴なのです。

紅葉が綺麗だからニシキギらしいのですが、他にはないこの特徴によって名前を付けてほしいものです。

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