2021_0915_本読み

9月15日(水)は、

山崎
1、『ドラッカーと論語』安冨歩 著、東洋経済新報社、
第2部 ドラッカー思想の歴史的意義
第4章全体主義〈組織の罠〉
「個」の自由さと「無関心の罪」
自分で自分を縛る
組織の恐ろしさ
第3部 ドラッカー思想の現代的意義
第5章情報〈コンピューターの衝撃〉
紙とペンでも情報に基礎を置く組織
六〇年代に「コンピューター病」を指摘
(1576から1700/2724)


論語からの引用は
・微子第一八、六
・衛霊公第一五、一二

人間が集まると組織ができ、それをうまく動かそうとすると、全体主義となりがち。個人が自由であることはそれを防ぐが、個人は必然的に相互に関係をもち、影響を与え合う存在。

〈とどのつまり、『マネジメント』とは、「学習」に着目し、いかに「自由な社会」をつくるのかという道を模索した思想書であり、その本質において、同じく「学習」による社会秩序を求めた『論語』と一致している。これが私の考えである。〉(1614/2724)

山崎は、他の生き物は、そのままで全体と調和を保って生きていそうなのに、人間はそうは行かないというのは、一体どういうことなんだろう、という不思議を感じています。

確かに、人間は「学習」なしには社会的生活はできそうもないです。どうしてこういう生き物になったのかな。




こいでさん
2、『誤動作する脳』樋口真美 著、医学書院
まえがき
Ⅰ ある日突然世界は変わった 今はないあの甘美な匂い
 

レビー小体型の認知症の方本人が、ご自分の病状を観察して、感覚や心の変化を書いているもののようです。

脳の障害は外から見えないので、他の人から理解されることがとても難しい。発達障害など、他の種類の障害のタイプの人とも共通するところがある。わかられる必要を感じるところに書く意味を見出されている。

など、感じました。

山崎が、前々から思うことがあります。(普段教えている)手製本のやり方、という、見て真似すればできると思えるようなことにすら、各人の理解の仕方は実にさまざま、ということです。人の頭?の中の回路?は本当に違っているのだな、と感じます。それはパッと見には全然わからなくて、話したり、ふとしたきっかけで、わかることがある、ということです。

誰もが、他の人のことはわからない、ということを思いながら、「違い」の振れ幅の大きい、この方のような方の本を読むことは、有意義と感じます。



めいさん
3、『節英のすすめ』木村護郎クリストフ 著、萬書房、3、 「自国化」による情報伝達の屈折  
ドイツの「フクシマ」報道(628~669/3674)


ドイツのある新聞で、震災による死者数18000人の全てが原発原因であるかのような書き方になっていた例をあげています。
地震も津波もないドイツで人々の注目を集めるために、とか、原発廃止の世論を推し進めたい意図、などです。

あらゆる報道は、何かの意図によって書かれていると思いますが、常に作用していて、その地域で見えにくいのが「自国化バイアス」というものなのだな、と思いました。


きよもとさん
4、『声で楽しむ美しい日本の詩』大岡信、谷川俊太郎  著、岩波書店


今回の登場
「天」高見順
「湖上」中原中也
「十月の詩」井上靖
「あーあ」天野忠
「マツノキ」まどみちお

中原中也での解説で、中也の七五調は〈一つの魂のあり方〉と書いていたのが印象に残りました。

また、天野忠の解説では、音読の対比で黙読ではなく「目読」ということばが使われていました。

まどさんの詩が、一番入って来やすく感じるのは、長い期間『NHKカルチャーラジオ 科学と人間「まど・みちおの詩で生命誌をよむ」』(中村桂子 著)を読んでいただいていたせいでしょうね。

知らない詩でも、知ってる口調というようなのを感じます。


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