2021_0818_本読み

8月18日(水)は、

山崎
1、『数学する人生』岡潔 著、森田真生 編、新潮社、最終講義 懐かしさと喜びの自然学 216〜224ページ   四 数学と人生 都市計画
結 新しい時代の読者に宛てて 森田真生


芭蕉、芥川、阿頼耶識、などが関連づけて語られるのですが、どれもよくは知らないのこともあり、この短文では繋がりがよく分かりませんでした。
「懐かしさ」というキーワードは気になります。

続いて、編者の森田さんによる、あとがきに当たるところを読み出しました。ラテン文化をレンゲの花に、日本文化をスミレの花になぞらえるところが、引用されていました。が、西洋と日本という対比にやや食傷気味です。


こいでさん
2、『芸術と科学の間』福岡伸一 著、木楽舎、 Ⅲ 聖女プラクセデス 競売に出た、まだ見ぬ「聖女」 色褪せた名画の背景にある哲学 注がれた牛乳は途切れるか


フェルメールに関する3つの短文。章題にもなっている「聖女プラクセデス」は、日本人が落札し、西洋美術館に寄託されているそうで、そういえば、見にいったな、と思い出しました。フェルメールの真筆かは論争があるみたいです。


めいさん
3、『節英のすすめ』木村護郎クリストフ 著、萬書房、なぜ節英なのか 国際語としての英語の裏側


日本人には、英語は優れている、という思い込みがありますね(きっと第二次大戦でアメリカに負け、アメリカ仕込みの教育で、順化されていったからだろう、と山崎は想像しています)。
物事には必ず光の面と影の面があり、両方見ないと偏った見方になってしまいます。
そのように崇拝?されている英語の、普段注目されない、嬉しくない側面をしっかり見るところから始める、と書いていました。


きよもとさん
4、『ここにないもの - 新哲学対話 』野矢 茂樹  著、植田 真 イラスト、中公文庫


「自分の死を想像することはできるか」
の途中まで読みました。
またまたややこしい対話でした。対話自体が思考実験ということですね。
めいのお子さん、小学校高学年で、おばあさんが亡くなり、「死ぬって怖い」と訴えてきたことがあったそうです。山崎も、まさに同じ時期同じ状況で、死ぬことが怖いと感じたのを思い出しました。
ダンサーでもあった、こいでさんは、土方巽の、ダンサーは「必死に立っている死体である」ということばのことを話しました。山崎も、ダンサー出身の先生から「死んでる」のをやってみて、というよう取り組みを指導された経験があります。


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