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公立病院改革1-17【経営改善と市民負担】〈2005年〉北陸350床 KN病院

診療報酬に関連して、いま一つ書いておきたいことがある。

それは、診療報酬というおカネの基本的な意味、流れ方だ。

病院の財務を改善するには、売上を高めるか、経費を抑えるかしかない。
診療報酬を漏れなく請求して取ろう、より単価(患者一人当たりの売上)を高めよう、というのは、財務改善の要諦である。

しかし、診療報酬を漏れなく取るということ、患者一人当たりの売上をあげるということは。

まず、患者の金銭負担を高めることを、意味する。
年金暮らしの1割負担で医療を受けるご老人の、その1割負担の額を上げるということだ。
元気な現役世代の3割負担の額を、上げるということだ。

良い医療を提供するということ、病院が売上に本気になることは、患者の金銭負担に直結する話である。

加えて、診療報酬の請求漏れを無くし、患者単価を高め、さらには患者の数も増やしていこうとする努力は、国民医療費の増大にも直結する。
患者が窓口で直接支払う1割~3割などの自己負担以外の、国に請求する7割~9割の保険請求部分も、同時に増加することになる。

保険請求部分は国から病院にドン、とまとめて入金されるが、そのおカネの原資は、我々が国等に納めている国民健康保険税や、社会保険だ。


病院が経営維持のために、良質な医療提供のために、漏れのない請求、患者数の増加や患者単価の増大に向けて頑張ると、その金銭負担はこうした保険料に跳ね返っていく。
だから医療経営のノウハウが発達して、医療業界が量的・質的に発展する社会というのは、競って現役世代の保険料負担を上げ続ける社会である。

では、それが良いのか、悪いのか?

という課題について、議論を発展継続させると、単なる経済論や経営論では済まない話になる。
一人一人の死生観から始まり、国や世代といった集団単位での生命倫理、寿命、社会的強者、弱者などの議論にまで及んでいく。

その議論はさておいて。
ともかく診療報酬(介護報酬なども類似する)は病院経営の源泉であると同時に。
患者負担や国民負担と一体的な、おカネの流れを形成しているということである。

だから公立病院業務で、地方議会などで議論をすると、議員や職員の中には
「病院経営のために、国民負担率が上がるような議論をしてよいのか」
「その計画によって市(民)の介護保険負担が増える」
という声を上げる方も、実際に数多くいる。
確かに、財政脆弱な自治体にとっては、国民健康保険税や介護保険料の増減というのは、重要な課題だ。

こういう議論はとても大切と思う一方で、日本国が形成している集団的な生命倫理感の中では、表立って議論しにくい分野であるとも感じている。

僕はたまたま医療業界の仕事をしているので、上記のようなことは、日々考える。
しかし、最善の医療受診は患者の願いであり、最善の医療行為の提供は医療者の義務である。
それが仕組みがあって成立していることなので、そこに我々事務屋が立入り、または口を挟む話ではないと、普通に得心している。

この話は、別の角度から、ずっと後日に記してみたいと思う。

診療報酬の話が長くなったが。
次回以降は「診療科別原価計算」という成果品と、そこにまつわって、納品前後に起こったミニ事件について、書いてみたいと思う。


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