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正しさにこだわらない

今日は2023年1月23日の月曜日、こんばんは、岸波豊です。

記憶というのはあいまいなもので、こうやって記事を書くときに、読んだはずのことを正しく表現できないことも多いです。
それどころか、そもそもなんだっけ?と忘れていることもよくあります。

正しい表現とか、正しい方法とかいうのは大事なことではありますが、記憶としては丸暗記に近く、自分のものになっていない場合に正しさにこだわる感じがします。
まだ自分のものになっていないときに、むしろ正しさにこだわって、正しく書こう、正しくしようとしている気もします。
芸事でいうところの守破離の守ですかね。

一般的に、正しくあることはよいことだとされています。
しかし、正しさにこだわりだすと、違いを認められなくなります。どっちでもいいことでも、正しいとした方、されている方でなければだめだ、という気になります。
自分が正しくあるだけでなく、人のすることにまで口をはさみたくなる場合もあります。そして実際にはさみだすと、争いになることも。

正しくあることが、そんなに正しいか。その正しさを追求するために、どれだけ労力や資源を費やすか。

何でもかんでも正しいことを目指すのでなく、目的に沿ったものを選択するべし、とも言われます。
これも、その目的が正しい目的かどつうか、とかになっていることもあり、まだ正しさから離れられません。

そこで、自然な流れに任せる、というのでもいいのではないでしょうか。
自然と落ち着くところが、自然であり、調和。
自然や調和は、正しさ、とは離れた感じがしますね。

正しさにこだわりそうになるときこそ、思い出したいと思います。

今日はのっけから抽象的に書き出してみました。
具体には、ハムスターの食器を洗剤で洗うか洗わないかの娘との話からスタートなんですよね…飼い方の本にあるからと娘に正しさから口をはさむ…お世話は任せにゃあな、と。

おやすみなさい。