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第124号 平和について

2023年10月10日

10月8日に近畿・中国・四国 口腔衛生学会が広島で開催されました。

久しぶりに「完全趣味!」の立場で参加致しましたので、伸び伸びと学ぶことが出来ました。

学会の内容はまた別の機会に、として、広島まで来たので平和についても学ぶことにしました。

小学生の時に訪れて以来の広島平和記念資料館。英名はPEACE MEMORIAL MUSEUMです。

全国津々浦々を旅している私でも、広島のこの資料館にはなかなか足が向きませんでした。

理由は明白で「資料館での体験がとても怖かったから」です。

否、今となっては「怖かった、かもしれない」くらいの漠然としたボンヤリとした想い出しかありません。だからこそ、オトナになった今、今一度訪れようと思ったのです。

実際に訪れてみて、やはり来て良かった、との想いを強くしました。

世界で最初に原子爆弾を投下された都市、広島。

原爆投下のその日の内に、5万人から10万人が亡くなったと考えられています。

爆心地から10平方キロの圏内は壊滅し、爆発は60キロ以上離れた場所でも体感されました。

爆発時、爆心地の表面温度は3000度を超え、爆風は爆発2秒後に1キロの地点に、4.5秒後に2キロの地点に達し、市内の建物の3分の2に当たる約6万棟が瓦礫(がれき)と化しました。

原爆が爆発すると、瞬時にガンマ線、中性子、X線が3キロ先まで放出され、目に見えない粒子は人体を含め、あらゆるものに降りかかり、細胞を破壊します。いわゆる「死の灰」です。

ちなみに京都市は、東西7キロ、南北12キロくらいの規模の都市です。3方を山に囲まれてますので、京都市の中心地に原爆が投下されたら、京都市は100%破壊されたことでしょう。

(ちなみに京都市も原爆投下ひと月前まで投下予定都市に含まれていました。)

展示物の中に「提出されなかった履歴書」がありました。20歳くらいの女性が、被爆して体調を崩してもなお完治して就職するんだ、という気概で書かれた本人の履歴書です。とても丁寧な筆書きです。単に字が綺麗と言うだけでなく書面から凜とした清々しさを感じました。

駄菓子菓子、この履歴書は使われることなく本人は亡くなってしまいます。無念です。

こんな話が当時は至る所であったと察するに、本人や遺族のやりきれなさ、計り知れず。

爆発から数時間後に、やっと会えた弟が「姉ちゃん、水を飲みたい」というので、酌みに行って戻ってきたら、弟は死んでいました・・・とか、有り得ない!という感情以外で表現できません。

私達は普段、事故死は別として、病気で死ぬということは時間の長短はあれど徐々に体が蝕まれてやがて呼吸が怪しくなり、そして死に至る、という認識だと思います。

さっきまで普通に話してた相手が、数分後に息絶える、なんて、想像すら出来ません。

原爆での被爆というのは、それほどまでに急速な変化を体内にもたらしたのでしょう。

一瞬にして目の前に広がるもの全てが破壊され死滅する、という事象は、オトナになって色々と推察することが出来るようになった私ですが、イメージすら至りません。

戦争肯定論者は少なからず存在していると認識していますが、戦争体験者は皆、口を揃えて「あんな世界は二度と繰り返してはいけない」と言います。

戦争を引き起こす者は戦争を体験していない者なのでしょう、残念な限りです。

令和5年8月6日の子供代表(小学6年生の男女)による平和への誓いは、以下のものでした。

平和な世界の構築を、広島の子供たちだけに押しつけてはいけません。

我々オトナにだって出来るはずです。

オトナこそが規範を示すべきです。

今この瞬間も、世界のどこかで戦争は繰り広げられています。

一人一人できることは違えども、平和に対して出来るコトは必ずあります。


 みなさんにとって「平和」とは何ですか。

 争いや戦争がないこと。

 差別をせず、違いを認め合うこと。

 悪口を言ったり、けんかをしたりせず、みんなが笑顔になれること。

 身近なところにも、たくさんの平和があります。

 

 昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。

 耳をさくような爆音、肌が焼けるほどの熱。

 皮膚が垂れ下がり、血だらけとなって川面に浮かぶ死体。

 子どもの名前を呼び、「目を開けて。目を開けて。」と、叫び続ける母親。

 たった一発の爆弾により、一瞬にして広島のまちは破壊され、悲しみで埋め尽くされました。

 

 「なぜ、自分は生き残ったのか。」

 仲間を失った私の曽祖父は、そう言って自分を責めました。

 原子爆弾は、生き延びた人々にも心に深い傷を負わせ、

 生きていくことへの苦しみを与え続けたのです。

 

 あれから78年が経ちました。

 今の広島は緑豊かで笑顔あふれるまちとなりました。

 「生き残ってくれてありがとう。」

 命をつないでくれたからこそ、今、私たちは生きています。

 

 私たちにもできることがあります。

 自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。

 友だちのよいところを見つけること。

 みんなの笑顔のために自分の力を使うこと。

 

 今、平和への思いを一つにするときです。

 被爆者の思いを自分事として受け止め、自分の言葉で伝えていきます。

 身近にある平和をつないでいくために、一人一人が行動していきます。

 誰もが平和だと思える未来を、広島に生きる私たちがつくっていきます。

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