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いつもポケットに鉛筆を

 ポール・オースターが八歳の時、初めて大リーグの試合に行った試合の後、ニューヨーク・ジャイアンツのウィリー・メイズの姿を目にした。メイズは、ユニフォームから普通の服に着替えて、オースターのすぐ目の前に立っていた。ありったけの勇気を奮い起こしていった。
「サインしていただけませんか?」
「ああ、いいよ」とメイズはいったが、「坊や、鉛筆は持ってるか?」とたずねた。ところが、オースターは、鉛筆を持っていなかった。父親も、その場にいた大人たちも誰も鉛筆を持っていなかった。彼は肩をすくめていった。「悪いな」。そして、野球場を出て、夜の中に消えていった。その夜以来、オースターはどこに行くにも鉛筆を持ち歩くようになった。鉛筆で何かをしようという目的があるわけではなく、「ただ、備えを怠りたくなかった。一度鉛筆なしで不意打ちを食らったからには、二度と同じ目に遭いたくなかったのである」(ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』)
「ほかに何も学ばなかったとしても、長い年月のなかで私もこれだけは学んだ。すなわち、ポケットに鉛筆があるなら、いつの日かそれを使いたい気持ちに駆られる可能性は大いにある。自分の子供たちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである」(前掲書)
 チャンスがいつ訪れるかはわからないが、その時のための準備をしておくことはできる。ポケットに辞書をいつも入れていた人を知っている。中学生の頃から学校に行かなくなり、十年ほど引きこもっていた若者が私のところにやってきたことがあった。コートの片方のポケットから本を取り出した。ポール・オースターの小説だった。
「ポール・オースターの本が好きなのです。でも、僕は学校に行かなかったので、漢字を読めないのです。それで、これではダメだということは知っているのですが」
と、もう一方のポケットから今度は国語辞典を出してきた。
「総画索引が引けないので、漢和辞典ではなく、国語辞典を使っているのです」
 彼が学校に行っていれば、漢字を読め新聞でも小説でも辞書を引かないで自在に読めるようになっていただろう。しかし、学校に行っていたら、勉強を強いられた結果、むしろ、本を好きにならず、その後の人生においても、本をあまり読まなかったかもしれない。ポール・オースターについて熱く語る彼からは本を読むことが好きでたまらないという思いが伝わってきた。
 本との出会いも人との出会いと同じく偶然的なところがある。私はこの時、オースターの小説を読んだことがなかったが、彼に影響されて読み始めた。
 人との出会いが人生を変えることはあるが、人生を変えうるような本に出会う方がはるかにたやすいように思う。それでも、出会った本が人生を変えるためには準備が必要である。彼がいつもポケットに辞書をを入れていたように。

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