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われわれと関係がないことは何一つない

2024年1月8日
「中国のどこかで子どもが殴られている時、われわれが責められるべきだ。この世界でわれわれと関係がないことは何一つない」(Phyllis Bottome, Alfred Adler)
 アドラーの言葉である。この少年は目の前にはいないが、決してアノニム(無名)な人ではない。少年が殴られたことを我が身のこととして感じられるのは、自分と他者に共通するもの、人間性(humanity)を分有しているからである。その時、フロムの言葉でいえば「私はあなた」になる(The Heart of Man)。
 我が事として感じられるためには、起きていることを、自分を安全圏に置き対岸の出来事のように見てはいけない。「する」側でなく「される」側に立って見なければならない。
 被災した人の側に立つということであり、すぐに救助に取りかかれなかったのはいたしかたなかったと為政者側から見ないということである。

 今日も校正。校正者の鉛筆が入ったゲラは10日に届くことになっている。それに間に合わすべく頑張っている。初校は誤字、脱字などのチェックだけでなく、強い調子で意見が書いてあって閉口したが、再校は別の人だと聞いている。
 年末に娘、息子夫婦が家から連れ出してくれた。三歳の孫は一人ですわれることを楽しみにしていたのに、姉が「飛行機はジェットコースターみたいだ」というのを聞いて、ジェットコースターをひどく怖がる孫は大泣きして乗らないと言い出し困った。どう説得したのかはわからないが、当日は機嫌がよくて安堵したのだが。
 帰った日、羽田での事故。ニュースを見たようで事故のことを知っていた。飛行機に乗らないとはいわなかったが、幼い子どもたちにとっては、気の重い年明けになった。

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