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人に助けられて生きる

 もう長く鳴りを潜めていた喘息が悪化し、一週間不安な日々を過ごした。呼吸が止まるのではないかという恐怖心にはいつまで経っても慣れない。病気になると今も迷惑をかけると思ってしまう。迷惑をかけることについて考えた。

 老いてから家族に迷惑をかけたくないので寝たきりにはなりたくないという人は多い。日本では認められていないが、安楽死を願う人もいる。信仰上の理由からでも、絶え間ない激痛があるからでもなく、迷惑をかけたくないからと言うのは痛ましい。
 人は生まれてから死ぬまで誰からの助けも受けないで生きていくことはできない。人生のある時期は助ける側に回れるが、ずっとそうではない。若い人でも病気になれば他者の助けが必要である。
 かつて冠動脈のバイパス手術を受けた後、私は長く胸にバンドをしなければならなかった。胸骨を切って手術をしたので、退院後も痛みがあった。痛みがあるだけでなくひどく弱っていたので、電車の中で立っているのはつらかった。それなのに、席を代わってほしいとはいえなかった。
 誰かから席を代わってほしいといわれたら、理由を聞いたりしないで代わるだろう。元気そうに見えるのに、なぜそんなことを言い出すのかなどと思うはずはない。どう思われるかを気にして席を代わってほしいといえなかったのは、私が人を信頼できていなかったからである。
 手術後、ICU(救急救命室)で過ごしたが、自分で食べることができなかったので、看護師さんに食べさせてもらわなければならなかった。幼い頃のことはほとんど何も覚えていないが、きっとこんなふうに親に食べさせてもらったのだろうと思った。早くよくなって自力で食べられるようになりたいと思ったが、病気によっては、また高齢のためにずっと食事の介助をしてもらわなければならなくなるかもしれない。そうなったとしても、迷惑をかけることになるわけではない。
 人に迷惑をかけることになると思う人がいるのは、生産性にしか価値を認めようとしない人がいるからだ。そのような人にとって、何もできない病者や高齢者は社会に必要のない存在である。そのように考える人でも、自分や親が病気や事故のために何も生み出せなくなったら、もはや生きる価値はないと思うのだろうか。どうやら、自分や自分の親はそんな目に遭わないと信じて疑わないのだ。
 自分を安全圏に置き他人事のようにしか考えられない人でも、ひとたび病気になったら考えを改めるだろう。助けてほしいというだろう。その時、元気な時は延命治療はしないといっていただけではないかというようなことを医療者はいわない。ただ懸命の治療をするだけである。
 病者や高齢者はいらないと考える人がいても、人に迷惑をかけていると思わなくていい。人生の巡り合わせで他者から世話をされる側にいるだけである。子どもは自分では何もできないからといって迷惑ばかりかけていると思う人はいないだろう。病気の家族の看病、親の介護も同じである。
 次に、問題は自分が世話をされる側にある時、自分には価値がないと思ってしまうことである。このように思うのは生産性に価値があると考える世間の価値観に影響されているからである。
 癌であることがわかった作家が、「終わった人」と思われたくないので、病気であることを編集者に隠していたという話を聞いたことがある。私も心筋梗塞で倒れた時に、入院していることを編集者に伝えなかった。入院中に近く出版されることになっていた本の校正刷りが届いたのだが、入院中なので締切を伸ばしてほしいといえなかった。今から思えば、そのようにいっても出版しないと編集者がいったはずはないのだが、締切に間に合わないようなら出版しないといわれるのではないかと恐れたのである。
 実際、教えていた学校の非常勤講師の職を解かれた。次の週に出講できないのであれば、すぐに代わりの講師を探さなければならなかったからだろう。私はこの解雇を不当だと思ったが、戦う体力はなかった。こんなことがあったので、出版社からも切られてしまうかもしれないと思ったのである。しかし、本を出せなくなったとしても、そのことで自分の価値がなくなるはずはない。生命が大事なので、無理をして症状を悪化させてしまったら元も子もない。
 今月になって突然体調を崩してしまった。もう何年も鳴りを潜めていた喘息が悪化し、呼吸困難に何度も陥った。締切のある原稿をいくつも抱えていたが、今度は前のように病気を編集者に隠すようなことはするまいと思った。連絡したところ、待ってもらえることになった。
 しかし、仕事ができなければ価値がないという考え方は決して自明ではない。子どもを見て生産性がないから価値がないと思う人はいないだろう。何もしていなくても子どもがただ生きていることが親を始めとしてまわりの大人にとって嬉しい。人間の価値は行動ではなく存在、生きていることにある。生きていることだけで価値がある。子どもについてそう思えるのなら、大人も同じだと考えていけない理由はない。
 非常勤の職を解かれたことで大いに落胆したが、別の学校からは、必ず復帰してほしい、復帰するのを待っているからといわれた。この言葉は入院している私にとって励みになった。入院したのは四月だったが、六月には教壇に立つことができた。これはあくまでも結果なので、たとえ復帰できなかったとしても、その学校は私を低く評価したりしなかっただろう。講師という仕事は他の人でもできるが、現実的に病後教えられるかどうかということとは別に、他ならぬ「私」を待っているといわれたことが私には嬉しかった。

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