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【ホラー】きみが還る夏(完全版) 第四話 

第三話
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♦︎関連作品
きみ歌うことなかれ、闇の旋律を。きみ語ることなかれ、魔の戦慄を。 最果ての城の姫サーガ (西骸書房)

ついてくる


 正午過ぎに署に帰ってきた平川は、まだ自分の机で仕事をしている宮部の姿を認め、昼飯に行こうと誘った。行き先は贔屓にしているいつもの蕎麦屋だ。

「平川さん、蕎麦好きですよね」
「というよりこの店の蕎麦が好きなんだ。故郷が長野でな。この店のそば粉は長野の俺が生まれた故郷で取れた物を使ってるんだ」
「へえ。初めて聞きました。でも何だか羨ましいな。俺はずっと東京だから故郷という感覚が分からないんですよ」
「故郷なんていうと聞こえはいいが、なーんにもないただのど田舎だよ」

 しばらくローカルな話題に花を咲かせた後、会話が途切れた。ちょうど注文したざる蕎麦が運ばれてきたので、二人の男は食欲を満たすことに専念する。

「宮部。午後行けるか」
「白石麻里恵のマンションを管理している不動産屋に当たるんですね。大丈夫です」
「よし」

 蕎麦を食べ終えた平川は蕎麦湯を飲みながら仕事の話を始めたが、宮部の表情に微かな違和感を覚え、開きかけた口を閉じた。

「どうかしたのか」
「はい?なにがです?」
「なにかあったのか?」
「いえ。それが…というか、その」

 なんとも言えない宮部の表情を見て、先ほど自分が体験した後味の悪い体験を思い出した。

「今日の午前中、俺は駅裏にある佐川興業の事務所に行った。飲食店からの相談でな。カビの生えたような所場代という風習を巡ってのトラブルだ」
「ああ、なるほど」
「組事務所から出て歩き始めた時、突き刺すような強い視線を感じた。追いかけてみたが誰もいなかった」
「えっ」
「アレがおまえの所にも来たのか?」

 アレ…か。直接的な平川の表現に苦笑する。それに勘が鋭い。

「手が空いたので平川さんが書いた調書を自席で読んでいました。急に肩に手のような感触を感じて振り返ると誰もいませんでした」
「ふむ。それで?」
「耳元で声がしました。こっちへおいでとか。振り向いても誰もいません」
「こっちへおいで?」
「ええ。それから…」
「まだあるのか?」普段は動じない平川も驚いたように目を見開いた。

「気のせいだろうと思って続きを読んでいると視線を感じて、ほら、受け付けに衝立があるでしょう。振り返ると何かが衝立のの向こう側に隠れたんです。でも行ってみると誰もいなかった。ちょうど一階で受け付けをやっている小山婦警が階段を登ってきたんで不審な人影を見なかったかと聞いたんですが、誰も見てないと」
「ふん。警察署にやって来るとはいい度胸だな」

 平川が腕時計をチラと見て、行くかと席を立った。会計を済ませ、外に出る。押し黙ったまま署まで戻ると、やっと平川が口を開いた。

「先方に二時でアポを入れてある。半に出れば余裕で間に合うだろう」そう言いつつ、宮部の机の上にあった調書を取り上げパラパラとめくり、考える顔になる。

「それで、どう思う」
「どうとは?」
「その怪しいヤツさ。どんなヤツだと思う」
「うーん。ハッキリ見てないですからね」
「お互い先入観を与えないように、一斉ので、そいつの印象を言ってみようじゃないか」
「いいですよ」

 せーので、「女」「女です」と二人の口が同じ言葉を吐いた。

「“こっちへおいで”と言った声は女の声でした。それに衝立の影に隠れる直前に、一瞬だけ服の模様が見えたような気がして。ブルーとオレンジの花柄だった気がします」

 俺も同じだと、平川は宮部の目を見据える。

「いなくなった白石麻里恵だと思うか」
「分かりません。でもアレは…平川さんは霊とか信じますか」

 宮部の質問に「信じない」と即答した平川は、ただしと言葉を濁した。

「常識では説明できない事もあるにはある。だが俺は、自分の見たものしか信じない。それに、怪しい出来事が幽霊だが何だかのせいと決めつけるのは安易すぎる。そんなことをしたらそこで思考停止になってしまうからな」
「そうですね」宮部は納得していない顔で言った。

 その不動産業者は、駅のロータリーに面したビルの一階にあった。よくテレビでコマーシャルが流れているチェーン店だった。車をロータリーの端に寄せて停める。

 事前に用件を伝えてあったので、受け付けカウンターで身分証明書を提示すると、すぐに分厚い管理帳簿を抱えた小柄な女性の担当が現れた。紺色のベストの胸の名札には小坂とある。

「こちらへどうぞ。ただいま責任者が参ります」

 奥に通されるのかと思っていたら、入り口脇の商談スペースへ案内された。程なく小太りの中年男性が現れ「店長の山下です」と名刺を出した。

「早速ですが…」
「こちらですね」
「ありがとうございます」

 管理帳簿を受け取り、担当に指し示された欄には、長野県K市の住所と香川雄三という名前、そして電話番号が記入されていた。承諾を得てから宮部はそれをメモする。

「今でもこういった紙の台帳で管理しているのですか」
「実際の事務管理は電子データでやっています。ただ、お客様とのやりとりはまず書類を作成してからになるので」
「なるほど。この香川さんという方は白石麻里恵さんとどういう関係の方で?」
「親戚としか聞いていません。入居手続きの際の連帯保証人で家賃もこの方名義の口座から引き落としになっています」
「ほう」平川と宮部は顔を見合わせる。

「それから、お願いしてあった防犯カメラの映像なんですが」
「それなんですが、一か月前のデータは新しい映像を上書きしてしまうので残っていないんでよ」
 
「すると七月の初め頃の映像は残っていないと?」
「今日は八月十日なので七月九日以前はもう。保存しているのは一か月分のデータだけなんです」

 白石麻里恵の誕生日は七月七日だった。自分の誕生日に母親と姉が迎えにくるという話に何らかの意味があるとしたら、麻里恵がいなくなったのは七日かその前後だと思われる。肝心のその数日間の映像が残っていないのは痛い。

「一応、十日以降のデータはこちらです」
「ありがとうございます。お借りします」

 差し出されたメモリーカードを受け取る。

「あのう、白石様は行方不明なんですか?」店長の山下が口を挟んだ。
「ご友人から、一カ月前から連絡が取れなくなったと通報を受けています。警察としては事実確認の必要があり白石さんの部屋を検める必要があったものですから」

 簡潔かつ明確な平川の説明に、山下と年若い担当は困った顔で「はあ」と曖昧な返事をした。が、急にその視線が平川から横に逸れ、訝しむような表情になる。

 平川の後ろは外に面した大きな窓だ。不動産屋でよく見かける、窓ガラスいっぱいに物件情報のチラシが貼ってある代物で、担当の大きく見開かれた目は平川の肩越しにそちらを凝視している。

(俺の後ろに…!)

 何が起きているか瞬時に察知した平川は、いきなり椅子を蹴って立ち上がり店のドアに飛びついた。その視界の端に捉えたブルーとオレンジの残像。ガッとドアを引き開け外に飛び出した平川は左右を見て舌打ちする。

 消えた。逃げたんじゃない。俺に気づかれたと分かった途端、消えやがった。あの女だ。こん畜生!何でこんなに寒気がするんだ。

 店に戻り、呆気に取られている宮部に構わず、ショック状態の小坂に何を見たかと聞く。

「それまでいなかったのに次の瞬間にはそこにいたんです」そう言って震える指で平川の後ろを指差した。
「何がいたんです?」
「そこに立って両手をガラスにベタッと押し付けて、お店の中を覗いて…何だか気味が悪い」
「どんな人物でしたか」

 平川は相手の気を落ち着かせるように静かな声で根気よく質問を重ねる。すると小坂は女性だったと言った。

「オレンジとブルーの花柄のワンピース…サマードレスを着た…髪の長い…綺麗な人」

 宮部が「あの女だ」と、小さく呟いた。

 礼を言い、また来ますと不動産屋を後にする。平川の胸の内にあるのは疑問だった。あの女は白石麻里恵ではない。当然と言えば当然だが、それならいったい誰なのか。そしてそれより大きな疑問は、どうして俺たちにしつこく付きまとうのかという点である。

 取っ捕まえて本人に聞いてみるしかないな。消える前に捕まえることが可能ならば、だが。

「店長はちょっと変わった客程度にしか思わなかったようだ」
「やっぱりあの女は白石麻里恵と関係あるんでしょうか」ハンドルに軽く手を添えた宮部が根本的な疑問を口にした。その横で腕を組み窓の外を眺めていた平川が頷いた。

「タイミングがタイミングだからな。彼女の友人から話を聞くまでは何も起きていなかったんだから」

 待てよ。そうすると…。

 白石麻里恵がいなくなったのが一カ月前。友人の神野彩花が警察に相談するまでは変事は起きていなかった。アレが友人の前に現れていたら俺にそう言ったはずだが、神野彩花はそんなこと一言も言わなかった。

 しかし今はどうか。あの女が現れた理由が、昨日、彼女が俺に白石麻里恵の話をしたからだとしたら。

 神野彩花が危ない。スイッチを押したのは彼女だ。あの女は当然、彼女の元にも現れるはず。住所は…署に戻らないと分からん。まだこんな時間だから大学にいるか。

 ポケットから手帳と携帯を取り出し、聞いておいた神野彩花の電話番号を調べようとしたその時、着信音が鳴り響いた。

 予感を覚え、電話に出ると、今、平川が掛けようとしていた神野彩花の悲鳴が耳を突き刺した。

「刑事さん!神野です。麻里恵のノートを見つけたんです!黒い表紙で、知らないうちにわたしのバッグの中に入っていました。でも気持ち悪いことが起きて」
「今どこですか。ええ。ご自宅の住所を教えてください」遅かったかと唇を噛み、車を停めるよう宮部に合図をする。聞いた住所を諳んじてカーナビへセットし、すぐさま車を出させる。彩花が早口でまくし立てるのは不安な証拠だ。

「気持ち悪いことってどんなことですか?」
「誰もいないはずなのに、変な黒い女が…怖い」

 まずいな。しかし黒い女?サマードレスじゃないのか?

「今そちらへ向かっています。だから電話は切らないで」
「分かりました」
「ノートを読みましたか?まだなら読まない方がいい」
「読みました。麻里恵が子供の時に起きた恐ろしい出来事と、それから…ああっ!ひいいいい」
「神野さん!どうしました!?」

 引き攣るような叫び声を最後に唐突に電話が切れた。舌打ちした平川が車の屋根に赤い回転灯を乗せる。

「急げ!神野彩花が危ない!」


(続く)

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