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【ホラー】きみが還る夏(完全版) 第三話 

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きみ歌うことなかれ、闇の旋律を。きみ語ることなかれ、魔の戦慄を。 (西骸書房)

なにかが見ている

「うっ!」

 急にポンと肩を叩かれた。それがいきなりだったので、ビクッと過剰に反応した宮部は、読んでいた調書をばら撒いてしまった。

 こいつ脅かしやがってと思いながら振り返ると誰もいない。あるのはいつもの変わりばえしない署内の風景だ。

 今、確かに誰かが俺の肩を。
 気のせいか。
 薄気味悪い話に意識を集中していたから神経が過敏になっていたのかな。

 釈然としない表情で自席の周囲に散らばった書類を拾っていると耳元で声がした。

「こっちへおいで…」
「うわぁ!」

 驚いてしまい、せっかく拾った調書を落としてしまう。サッと振り向いたら…誰もいない。

 何だ今のは。
 小さな…女の声…だった。

 何をビビってんだと自分を嘲り、調書を拾い上げた。デスクの上でトントンとまとめて、もう一度最初から読み返す。

 白石麻里恵は、日頃から、もうすぐ自分はいなくなると言っていたらしい。二十歳の誕生日にあの人たちが迎えに来たら行かなくちゃいけないと。

 あの人たちって誰?何処へ行くの?と、当然の質問をすると、諦めが感じられる表情で静かにこう答えたという。

“お姉ちゃんとお母さんと一緒に、森へ帰るんだ”

 平川の文章は簡潔で読みやすかった。要点がしっかり押さえられ冗長な部分がない。相談に来た友人は訥々とした要領を得ない話し方だったと言っていたが。

 それにしても薄気味悪い話だ、と宮部は思った。

 推理小説のように密室状態の部屋から忽然と姿を消した白石麻里恵。しかも日頃の本人の言動によると、その日が二十歳の誕生日だった。自分は親戚に預けられて育ったと、友人は麻里恵から聞いたことがあるという。にも関わらず母親と姉が迎えに来るとはどういう事なんだ。

 急にゾクッと背筋に薄ら寒いものを感じた。調書から目を上げる。

 誰かが俺を見ている…。

 辺りを見回して視線の元を探す。と、受け付けカウンターに置いてある衝立の向こう側に何かがスーッと隠れた気がした。ゾゾっと肌が粟立つ。

 サッと立ち上がり、同僚を押し退けながら急いでそちらに向かう。転げるようにしてカウンターの外に出てみると・・誰もいなかった。

「宮部さん。どうしたんです」
「今ここに何か…誰かいなかったか」

 カツカツと靴音を立てて正面の階段を登って来た婦人警官に尋ねたが、誰も見ていないと首を振った。

「今日はまだ二階へのお客さんはいないはずですよ。私さっきまで一階の受け付けにいましたから、目の前をノーチェックで通過するのは不可能です」
「そうか」

 まただ。
 気配を感じてそちらを見ても誰もいない。
 いったい何なんだ。

 二階から上に行く階段には工事現場で使うような味気ないバリケードが置かれていて通れない…はずだ。上は屋上。小さな警察署なので二階建てだった。それに屋上に出るドアは常時施錠されて三年前に赴任してから宮部も屋上に登ったことは一度もない。

 一応、確認しておくか。

 長い足でバリケードを跨ぎ、不思議そうな顔で見ている若い婦人警官をそこに残し、一段飛ばしで階段を登る。あちこち塗装の剥げた頑丈そうな鉄のドアは、宮部の予想どおり鍵がかかっていてビクともしなかった。

「どうかしたんですか。顔色が悪いですよ」
「いや。何でもない。怪しい人物を見かけたような気がしたんだが、俺の勘違いだったらしい」

 戻ってきた宮部へ、婦人警官は当然の質問をした。宮部は笑って誤魔化そうとしたが、次の言葉に顔を強張らせた。

「でも宮部さん。さっき“誰か”じゃなくて“何か”って言いましたよ」
「それはその、言葉のあやさ。どっちにしても俺の気のせいだった」
「何かなんて…なんだか気味が悪いわ」

 俺もだよと心の中で相槌を打ち、固い表情の婦人警官へ冗談を言ってから、宮部は仕事に戻った。

「じゃあな。また来るよ」

 革張りのソファーから立ち上がった平川は、入り口のドアを振り返り、顔を戻してから渋い表情になる。

「茶はいらんといつも言ってるだろうが。ヤクザの接待は受けん」
「そんなつれないことを。長い付き合いじゃないですか。旦那」

 おもねるような声に耳を貸さず、ユラっと踵を返してドアに向かう。並んでいた黒服の連中がサッと引いた。ゴツい連中ばかりだが、平川はそいつらと比べても、体格も迫力も負けていない。

 雑居ビルの狭いエレベーターから降りて外に出る。駅前の繁華街から少し奥に入った裏通り。歩き出そうと一歩踏み出したところで、平川は丸めていた背をクッと伸ばして立ち止まる。

 誰かに見られている。
 強い視線を感じる。

 相棒の宮部と違い、それに気づいても振り返って確かめたりしない。そんなことをしたら、視線の主が逃げてしまうからだ。

 気づかない振りをして少し歩いたところで立ち止まる。そして解けた靴紐を直すような動作でしゃがんだ。そうっと注意深く不自然に見えないように顔を後ろに向け、目の端でその人物を捉えようとする。

 どこだ?

 ゆっくり慌てずに、まともに視線の源を見ないように…あそこだ。あの黒い車の後ろ。

 急に凍りつくような寒気に襲われ背筋が硬直した。チリチリと産毛が逆立つような感覚。「チッ」と舌打ちして体を起こし、平川は百メートルほど離れた場所に駐車している黒いセダンに向かって全速力で走り出す。

 ハアハアと息を切らし、その車の後ろに回り込んだ平川は戸惑った。走り出す前は死角になって見えなかったが、そこには大きな鉄製の箱…ゴミ置場があり、人が立つ余地など無かったのだ。

 だが、確かにここに何かいた。
 ここから俺を…逃げる暇など無かったはず。

 …フッ。
 何を考えているんだ俺は。
 “何か”ってなんだ。
 粘りつくような視線を送ってきたのは人に決まっているだろうが。

 釈然としない気持ちで辺りを見回した平川の背には、先ほど感じた悍ましい気配の名残がわだかまっていた。

 講義が終わっても座ったまま動かず、ノートを読み返していた神野彩花は、ふと顔を上げた。

 誰もいない。気づかないうちに講師の準教授も生徒も消えて、広い講堂に自分一人になっていた。

 ノートやペンを急いでバッグに放り込む。しんと静まり返った広い空間。自分の息遣いが聞こえるようだった。

 ハッと気配のようなものを感じて彩花は顔を上げた。同時に遥か下の机の陰に何かが隠れた気がした。

 すり鉢状に机と椅子が並んだ講堂。彩花は後ろの上の方に座っている。

 目の端で何かが動いた。ビクッとそちらに顔を向けると、またしても何かが物陰に隠れた。

「誰かそこにいるの」

 彩花の震える声が沈黙に溶けてゆく。反対側でひょこっと何か動いた。目を向けると、机越しに黒い頭のてっぺんだけが見えるような…。

「誰?脅かさないでよ」

 しかし返事はない。黒い頭もいつに間にか消えている。

 講堂の出入り口は下の方にある。気味の悪いものが見え隠れしている向こうだった。逃げるにしろ、その側を通らなくてはならない。

「いたずらはやめてください」

 こんな酷い悪さをするなんて誰だろう。彩花には、先日、警察に相談した白石麻里恵以外、大学に友人らしい友人はいなかった。付き合っている彼氏もいないので、変ないたずらを仕掛けられる覚えはない。

 また何か動いた。それが次第に近づいてきていることに気づいて半泣きになった彩花は、荷物を抱えて回り込むように横に移動し始める。

 すぐ後ろに、背中に触れるほど近くに何かがいた。強烈な悪寒に捕まった彩花が硬直する。その耳元で、甘く湿った女の声が、ささやくようにこう言った。

「あなたもこっちへおいで」

 ひっ、と息を飲んだ彩花は、次の瞬間、転がるようにその場から逃げ出した。そして振り返ることなく出入り口の大きな扉にしがみつき、体ごとぶつかるように押し開け、向こう側に倒れこんだ。

 その拍子にバックの中身を床にぶちまけてしまった。這いつくばるように慌てて拾う彩花。その中に見覚えのない黒い表紙のノートがあった。

 何だこれ。
 わたしのじゃない。
 ああ、そんなことより早くここから逃げなくちゃ。

 とりあえずその黒いノートもバッグに突っ込み、彩花は泣きながら逃げ出した。


第四話へ続く

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