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【ハードボイルド】カレン The Ice Black Queen 第六話

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殺し屋

 カレンを襲った女は、アパルトマンの十階の窓から飛び出したあと、ベランダを伝って逃げた。身軽なやつだ。警部補は部下の警官たちへ発砲を許可したが、間に合わなかったらしい。近隣の道路は警察によって封鎖された。

 犯人はどんな人物だったのか?襲われたカレンは当然としてその場にいた警官全員に聴取が行われた。しかしそいつが女だったこと以外は、顔かたちや髪の色、背格好など、人物の特定に繋がる重要な点は誰も覚えていなかった。俺も同じだ。警官の制服を着ていたこと、覚えているのはそれだけだ。ただ、カレンは、ほのかに香水の匂いがしたと証言した。そのカレンは駆けつけた救急車で運ばれて行った。もちろん、警察の厳重な警護付きだ。

 目の前で犯人を取り逃した警部補は怒り狂った。絶対に捕まえてやると息巻いたが、難しいだろう。警官の制服はどこかで着替えてしまえばいい。そうなれば唯一の手がかりは失われる。素知らぬ顔で検問をすり抜けることができる。

 東の空が明るい。長い夜が明けようとしている。ここにいても、今の俺にできることは何もない。疲れた顔の警部補へ、今日は帰ると言い、俺はカレンの住まいをあとにした。自宅へ戻り、手早くシャワー浴びる。疲れ切った体をベッドへ横たえる。すぐに眠りに落ちた。

 翌日のニュースは、新聞もテレビもカレンの事件で持ちきりだった。プロ・チェスプレイヤー、さらにランカーともなれば著名人だ。ファンも多い。その著名人が同じ日に二度も襲われた。そのうえ犯人の一人は何者かによって殺害され、もう一人は逃亡中、となれば、マスコミがトップニュースとして扱うのは当然だ。しかし肝心のニュースの中身はすでに俺が知っているものばかりだった。新しい情報は無い。記者会見に臨んだ警部補の顔は、数時間前に別れた時よりも憔悴していた。

 事務所へ着いてみると電話の音が聞こえてきた。仕事の依頼かもしれない。すぐにドアを開けずに、外から部屋の中の様子をうかがう。何者かが待ち伏せしている可能性を考慮しての行動だ。しばらくジッとしていたら電話が止んだ。まだ動かない。するとまた唐突に電話が鳴り出した。音を立てないように鍵を開け、ドアノブをゆっくり回す。少しずつドアを開ける。誰も襲ってこない。

 鳴っている電話に飛びついて受話器を耳に当てる。途端にブツっと切れた。どうやら客ではなかったらしい。受話器を戻す。すぐにまた鳴り出した。戻したばかりの受話器を上げ、怒鳴りつけようとしたら、警部補の鋭い声が「病院だ。すぐに来い」と言って切れた。

 またカレンが、今度は運ばれた先の病院で襲われたのか。まったく警察は何をやっているんだ。だが、毒付いている場合ではない。

 振り向こうとした瞬間、背中で気配がした。反射的に上体を前に倒して右足を後ろに蹴り出す。頭の上を何かが通過し「うっ」とうめき声が上がった。とっさに繰り出した蹴りが当たったようだ。向き直ろうとした腰に誰かが飛びついてきた。そいつの首筋へ肘を叩き込む。今度は「うげっ」という、うめき声がした。床に這いつくばった男の横腹を思い切り蹴った。先ほど後ろ蹴りを見舞ってやった奴は、青い顔で股間を押さえてうずくまっている。俺の適当な反撃は、そいつにとって運悪く、もろに急所に入ったようだ。

 男どもの顔には見覚えがあった。昨日、俺に不意打ちを喰らわせたコンビに間違いない。床に転がっているブラックジャックを拾い上げる。今日はこの得物で後ろから俺を襲ったのだ。しかし二回も同じ不意打ちを食らうほど俺は間抜けではないつもりだ。

 さてと。まずは誰の指図なのか口を割らせてやる。だがそこでハッと思い出した。急いで病院へ行かねばならない。仕方がない。暴漢どもを痛めつけるのは諦めた。警察を呼ぶために受話器を取り上げる。すると…入り口ドアの横、男がいた。壁に寄りかかっている。黒いスーツにブルーのシャツ。撫で付けたブロンドヘアの細身の若い男だ。すっと鼻筋が通った美男子の優男。だがその目は冷酷でとても堅気には見えない。男の手にはナイフがあった。俺はデスクの上のガラス製の大きな灰皿に手を伸ばす。

 気配がしなかったので、今の今までそいつがいたのに気づかなかった。この優男は危険だと俺の本能が告げていた。おそらくたった今倒した男どもよりも危険極まりない。

「その灰皿で俺のナイフとやり合うつもりなのかい」

 優男が喋った。その声も、凍てついてしまいそうなほど冷たい。冷酷で冷静。こいつは殺し屋だ。

 まずい状況だ。早いうちにけりをつけないと、傷めつけた二人が回復してしまう。そうなると相手は三人、こちらは一人。大変によろしくない。

 灰皿にやっと手が届いた。その灰皿を、通りへ面している窓に向かって思いっきり投げた。

 ガラスが割れる派手な音。灰皿は窓を突き破り、外へ。朝のこの時間は人通りが多い。

 男の目に驚きの色が浮かぶ。俺がそんな真似をするとは予想していなかったのだ。

「通行人の誰かが警察へ通報するだろう。まもなくここへ警官がやって来るぞ」
「…ふん。それはどうかな」

 優男がうぞぶいた。だが動揺の色は隠せない。ここぞとばかりに俺は畳み掛けてやる。

「それにだ。いいことを教えてやろう。事務所の前の道はパトカーの巡回ルートになっている。あと少しで来るぞ」

 もちろんはったりだ。パトカーの巡回はあるにはある。だがいつ通るかまでは予想できない。

 俺と優男は、一瞬、睨み合い、だが優男が折れた。ナイフを仕舞い、床に伸びている男たちへ「立て。帰るぞ」と、命令する。

 とりあえず危機一髪の状況は切り抜けたらしい。ダメージを受けた二人の男どもが、よろけながら出て行った。優男が俺に向かって薄く笑う。そいつの背中へこう言ってやる。

「おまえのボスに、近いうちにこちらから会いに行くからと伝えてくれ」
「なんだと」

 くるっと振り返った優男へ余裕の笑みを向ける。はったりだったが、こいつらのボスは見当がついていた。

 チッと舌打ちをした優男は、鋭い目で俺を一瞥し、ドアから出て行った。


第七話へ続く

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