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幸福とは富か、愛か、名誉か。 詰んドル感想

幸福とはなんだろうか。お金が不自由なく使えることだろうか、愛する人と共に過ごすことだろうか、誰もが羨む地位を得ることであろうか。この映画を見ながら、まだ大学生の私はそんなことを考えていた。


11/3公開初日に「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」を鑑賞しました。元々乃木坂46が好きで、深川麻衣が主演であるのを映画予告で見て、数可決前から鑑賞することを決めていました。朝眠い目を擦りながら、若干寝ぼけながらも鑑賞。とても柔らかくて、あたたかくて、今日からまた頑張ろうと思える映画でした。


主人公・亜希子は元アイドル。アイドル引退後、一般企業で働くが日々の心労から朝も起きられなくなり、職も失ってしまう。そこに友人からの電話があり、ササポンと呼ばれる”おっさん”との同居生活が始まる。

この映画の主要な登場人物に元アイドル・亜希子とおっさん・ササポンがいるというのは予告編からもわかるが、映画が進むにつれてササポンと同等に二人の友人が亜希子に対して影響を与えていることがわかる。亜希子、ササポン、そして二人の友人について感想を書いていきたい。

亜希子という人間

アイドルを引退後もSNSで発信し、自分を良く見せようと着飾った生活を送っていた亜希子。現実は、アイドル時代とは大きく変わってしまった。アイドル時代に着ていた衣装は入らない。そんな自分を良く見せようと言い訳のように早口で喋るようになってしまった。

亜希子は求めることに疲れてしまったのだろうか。アイドル時代のキラキラした過去、もっと華やかに働けると思っていた引退後、隣にはいない恋人。そんな彼女はササポンを通して人生におけるテキトーさを学び少しずつ前を向いていく。

ササポン

同世代の友達は子供の話しかしてくれないという理由で若者と暮らしているおっさん。モットーはテキトーさ。共に暮らし始めた時から終始テキトーに、という言葉を亜希子に頻繁にかけていた。

亜希子と違う点は歳を重ねたことだけなのだろうか。歳を重ねたから達観できるのであろうか。実はササポンもここに至るまで様々な経験があった。その中でテキトーに生きる術を身につけてきた。そんなテキトーさがきっと亜希子にとって心地良いものになっていったのであろう。

二人の友人

亜希子の友人としてヒカリ、景子という二人が登場する。この二人はそれぞれ亜希子が求めるものを持っている。ヒカリは亜希子がササポンと住むきっかけとなった友人で、社長を務めている。景子は亜希子がバイト先で再開した芸能活動をしていた友人で、ストーリー内で結婚をする。

「社長」という富の象徴、「結婚」という愛の象徴、亜希子がこの二人を羨む姿が映画内では描かれる。亜希子が求めていたものをこの二人は持っている。この二人がとても幸せに見える。ただし、この二人も全てが幸せなわけではない。特に景子は結婚に際して続けていた芸能活動を辞めてしまう。全てを手にすることはできなかったのだ。


映画の終盤に亜希子、ヒカリ、景子が海に向かって「幸せになりたい」と叫ぶシーンがある。亜希子からすればヒカリ、景子は幸せに見えるのだがそれでも叫ぶ。

「幸せに際限はない」

どんなに人から幸せに見えても、何か足りないものを欲してしまう。反対に今幸せに思えていなくても、誰かから見れば何か特別なものを持っている幸せな人間なのだ。亜希子にとっての特別なものとはなんだったのだろう。ササポンとの生活で何に気付いたのだろう。

映画の最後、亜希子は前を向いていた。


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